昨日に続き、スポーツトレーナーという仕事に対しての僕の考え方を紹介したいと思います。






今回は「スポーツトレーナーはあくまで黒子であるべき」という観点です。






以前も書きましたが、スポーツトレーナーという仕事は「自分が結果を出すこと」を目指すのではなく、「選手が結果を出すこと」を目的としていると僕は考えています。

それがこの仕事の本質だと思っています。

「結果を出す」という意味





結果を出すのは、トレーナーである自分ではなく、選手・チーム。

トレーナーが「自分が結果を出す」という思考を持って関わっていると、絶対に上手くいきません。





全ての思考は、「選手が良い結果を出すために自分はどうすれば良いか」です。






つまり、そういう意味でトレーナーという立場は考え方も含めて「黒子」であるべきだと考えているのです。





昨今、メディアの扱いも含めてトレーナーという立場で自己主張が強い人が多いですが、僕はそこにはトレーナーという仕事の本質は存在しないと感じています。

ビジネスなので、仕方がない部分もあるかもしれませんが。






そもそも、スポーツで良い結果が生まれるという現象を考えると、選手本人の身体・精神面だけではなく、その日の天候や審判、相手チームなど、多種多用な流動的要因によって決定されることがわかるはずです。






そういった不安定な前提の中で、少なくとも確定できることに近い要因として身体の状態があります。

我々は結果に影響を及ぼす多種多用の因子のうち、ほんの少しを担っているに過ぎない。

なぜなら身体以外の要因はほとんどがコントロールできないものだからです。





でもそれは、「だからトレーナーの責任が軽い」という意味ではなくて、とても重要なことを任されているんだという姿勢が必要だと思うのです。






また、選手心理の観点から考えても、良い結果を生み出して最も脚光をあびるべきは選手であって、トレーナーやトレーニングではありません。
選手は口には出しませんが、自分ではなくトレーナーが脚光を浴びるのは面白くないと感じています。




選手本人が我々トレーナーやトレーニングの重要性を感じてくれて、初めて我々の評価がなされるべきです。

(イチロー選手も、「価値は第三者が決めるもの」と言っていますね。)






だからJARTAの講習会では講師全員が「常に謙虚に、淡々と目の前の人に貢献することだけを考えてほしい」と伝え続けています。






僕は少なくともこの部分に共感してれる人と仕事がしたいと思っていますし、JARTAの講習会にはそういう共感を持ってくださる方に来てもらいたいと思っています。






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JARTA

中野 崇