パワーには量と質がある。
スポーツにおいて、「パワー」は非常に大きなファクターとして位置づけられていることは、反論のしようがありません。
スポーツでいうところのパワーは、パフォーマンスに関してだけではなく、「筋力」という形で言い換えられ、その不足は障害の原因とされてきました。
パワーは今更言うまでもなく、スポーツのパフォーマンスを語る上では欠かすことのできないファクターであり、同様に障害改善や予防においても欠かすことのできないものです。
例えば大きな力を出すことは当然としてバランスやスピードにおいても筋力という名のパワーが重要視されますし、身体のどこか(例えば前腕)が疲れやすいと選手が訴えればその部分の筋力不足だということで筋トレしたりします。
だから、一定以上パフォーマンスを高めたい選手の大半は必ず筋トレをしますし、指導者の方もそう指導します。
目的は、もちろん「パワーの”増加”」です。
つまり容量の向上です。
具体的に言うと、筋繊維の肥大や筋出力の向上です。
これ自体はもちろん重要ですし、否定する必要もありません。
しかし前回記事の「体力」と同様に、パワーという考え方にはもう一つの側面があります。
※厳密にいうと発生する「パワー」にはスピードも深く影響していますが、ややこしくなるため、ここではスピードの要因は省いて考えます。
それはパワーの「質」です。
ここでは筋肉の質とかいう器質的なことではなく(それも当然重要)、スポーツにおけるパワーの「意味」に関係します。
スポーツにおけるパワーとは、どういう目的があるのでしょうか。
わかりやすいように、押し合いの場面を例にとりましょう。
相手を押すこと、それは言い換えると相手に自分の力を伝えることです。
当然相手も押し返しますので、相手からも自分に向かって力が伝わります。
その「差」が、自分の方が大きければ相手を押して動かすことができます。
自分:10
相手:8
であれば、差が2なので、その分だけ相手に力が伝わって押し勝てる、ということです。
両者の出している力の引き算ですね。
仮に
自分:10
相手:12
であれば負けてしまうわけです。
だから「自分の力を大きくすればいい」ということで誰もがその根源となる筋力を高めようとしているのだと思います。
12の相手であれば自分が15となれれば、ということですね。
しかし当然限界があります。
身体の大きさ(骨格)が決まっている以上、そして骨格をベースとして筋肉が形成されている以上、そこに発生させられる力には限界があるのです。
欧米の選手など、身体のサイズという前提条件が異なる相手と同じこと、同じ運動様式をしていてもフィジカル面で勝てないのはこういうところが理由です。
だから自分の限界以上の力を持った相手に対したとき、勝つ術を失うことになります。
だからフィジカルで劣る日本人が世界で勝つためには技術・戦術、という方向性になったりします。
競技はパワーだけで決まるわけではないので、そういった考え方も非常に重要ではありますが、これは非常にもったいないことです。
僕は世界に対する日本人選手、そして小柄な選手においてもパワーの側面においてまだまだ活路があるはずだと考えます。
なぜなら、上記のような、パワーの一般的な考え方には隙があるからです。
長くなってきたので、理由はまた明日掲載します。
JARTA
中野 崇