「父さん、後悔してるよ」は、言いたくないのです!
どうも、お久しぶりです。
8月1日から昨日までの6日間、東京ライフを過ごしました。
久しぶりな人達と会い
夜の富士山を登り
走って山を降り(笑)
ハードスケジュールな東京ライフでしたが
一番大きかったのは、「父との時間」でした。
はじめの3日間は、父と一緒に旅をしました。
あまり喋らず、感情を表にださない、厳格な日本のお父さん。
家に帰ってもすぐに自分の部屋に走る息子(笑)
そんな、ろくに会話をしてこなかった親子水入らずの旅。
旅の前日に渡した、手紙「普通の家に生まれたかったんだ。」のおかげか
新幹線の中では、父から自分の今までのことを聞いてきてくれました。
・なんでコーチングをしようと思ったのか?
・なんで起業をしたのか?
・シェアハウスにはなんで住もうと思ったのか?
などなど、3時間で今までの自分が何を思い生きてきたのかを
ダイジェストで伝え、「へー」「えー」「ほー」と
父を終始おどろいていました(笑)
価値観の違いか、きっと受け入れにくいものもあったと思いますが
ちゃんと聞こうとしてくれた父の姿に、涙をおさえるのに必死でした(笑)
最後には、泣きましたけど。
何年分もの父との時間を、取り戻したく沢山話しました。
もちろん、まだお互いにぎこちなさはありましたけど
自分の想いを伝えることができた時
「あぁ、自由ってこれだ!」と
心がスーッと開放されていくのです。
広島から東京に行き、1人暮らししても
自由の街ニューヨークに行っても
寝袋1つ持って、東京~名古屋を放浪しても
心の底から「自由だ」と感じることができなかった。
いつも心の中では、雲がかかってたけど
「父に自分の想いを伝えること」で、ようやく感じることができた。
自由って地球の裏っかわになんてない
大切なのものは全て、すぐそばにある
本当に本当に嬉しくて、最後に勇気をふりしぼって
父に握手を求めて、ハグをしました。場所は、東京駅の新幹線の前でです。
「うん、うん、ありがとう」と、父の目は赤くなってました。
まだまだ話す時、頑張ってる感はありますが
それでも、今日もちょっとドライブに行ったりしてます。
ずっと心の底では望んでいた親子関係が生まれ始めました。
何ともいえない安心感です。
死ぬまでしたい10にきっと入ってる1つを達成できたなと
思いました。
よし、次は母だ。笑

家族との和解は、安心感をもたらしてくれる。
「受け入れるということは、表現するということ。」
前回の記事、「普通の家に生まれたかった」読んでいただき、コメントありがとうございました。
色んな人や久しぶりの人からメールもいただきました。
自分にとっては、大きな1歩でした。
が!どこか物足りなさを感じていてました。
「やっぱり、家族に伝えなきゃ」
「うん、やっぱそうだよ。そこ踏み込まなきゃ変わらないよ」
と、自分と自分で話し合いが行われ、自分が怖いと感じる方の道を選びました。

blogの記事をコピーし、仲間からのメールやコメントを一部のせて
家族に伝えました。
表面的な反応は、あっさりしたものでしたが、内心喜んでいたのは、すぐに分かりました。
でも、どう伝わったかよりも
どう思われてるかよりも
「伝えたということ」が、自分に大切だったということ。
それを頭ではなく、体験として知れたのは大きいなと思います。
表現できた分、自分を受けいれられる
表現できた分が、自分を許せられる
ポジティブ・ネガティブ問わず、自分の感じていることを
表現することは、自分の器を広げることになるんだ。
シンプルなこの気づきは、最近の大きな大きな収穫です。
さて、今日はこれから東京に一週間行ってきます。
久しぶりに会う仲間達、新たなに会う仲間達のことを思うと
ワクワクが止まりません。
何より、父と一緒に行く旅なので、どうなるのか楽しみです。
本当に久しぶりに父と、新幹線に乗って旅をします(笑)
まだまだ、話してない自分のビジョンなどを共有できたらと思います。
では、行ってきます^^
堤 祐弥
「普通の家に生まれたかった」が口癖だった。
ずっと隠して生きてきた。
自分がお寺に生まれたということを。
お寺を継がなきゃ、
父は喜んでくれない
母は愛してくれない
自分は、家にいれなくなる。
お寺を継がなきゃいけないのか、と思うと
自分の将来はもう決まってるんだと無性に悲しかった。
将来のことを自由に話してる友達が、すごく羨ましかった。
「普通の家に生まれたかったよ!」
母とケンカした時、泣きながらこの言葉を吐いた。
その言葉で、母も泣いていた。
「何のために生きるの?」
「何でこの家に生まれたの?」
自分が誰なのか、人生が何のか、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
「自分は、お寺の子じゃない。」
「お寺の子」じゃなく、1人の人間として
「堤祐弥」として接して欲しかった。
父の名前は、お坊さんの名前で「知研」。
学校の書類に、父の名前を書く時は周りに見られないように
隠しながら書いた。
実家がお寺だということを隠した。すごく嫌だった。
父の名前を隠した。すごく嫌だった。
でも、一番嫌だったのは、
自分の大好きな家と父を隠して生きてる自分だった。
嫌っていきてる自分が心底嫌だった。
そうして20数年、「お寺を継がない」と逃げて生きてきました。
だけど、今年ようやく向き合うことを決めました。
お坊さんの資格を取ることにしたのです。
だけどそれは、お坊さんになるためではありません。
自分が生まれたルーツを知るためであり、
「何ために生まれたのか?」をより深く知り、生きようと思ったのです。
周りからしたら、「お寺継ぐ気になったんだ、良かったね」かもしれないけど、
自分にとっては、とても大きな決断です。
そして、お寺や過去のことをこうやって表現するのも今までの自分だったら
絶対にやらなかったと思います。
今まさに、自分にとって新たな人生の旅のはじまりなのです。
冒険することは不安を引き起こす。
しかし、冒険しないことは自己を失うことだ。
そして、最高の冒険は、自己を自覚することにほかならない。
セーレン・キルケゴール
p.s
こうして新たな旅のスタート地点に立てたのも、「ありのままの自分」を受け入れてくれた
東京のシェアハウスで出会った仲間
愛するパートナー
そして、生まれてからずっと愛してくれてる家族のおかげだと思っています。
堤 祐弥