「普通の家に生まれたかった」が口癖だった。
ずっと隠して生きてきた。
自分がお寺に生まれたということを。
お寺を継がなきゃ、
父は喜んでくれない
母は愛してくれない
自分は、家にいれなくなる。
お寺を継がなきゃいけないのか、と思うと
自分の将来はもう決まってるんだと無性に悲しかった。
将来のことを自由に話してる友達が、すごく羨ましかった。
「普通の家に生まれたかったよ!」
母とケンカした時、泣きながらこの言葉を吐いた。
その言葉で、母も泣いていた。
「何のために生きるの?」
「何でこの家に生まれたの?」
自分が誰なのか、人生が何のか、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
「自分は、お寺の子じゃない。」
「お寺の子」じゃなく、1人の人間として
「堤祐弥」として接して欲しかった。
父の名前は、お坊さんの名前で「知研」。
学校の書類に、父の名前を書く時は周りに見られないように
隠しながら書いた。
実家がお寺だということを隠した。すごく嫌だった。
父の名前を隠した。すごく嫌だった。
でも、一番嫌だったのは、
自分の大好きな家と父を隠して生きてる自分だった。
嫌っていきてる自分が心底嫌だった。
そうして20数年、「お寺を継がない」と逃げて生きてきました。
だけど、今年ようやく向き合うことを決めました。
お坊さんの資格を取ることにしたのです。
だけどそれは、お坊さんになるためではありません。
自分が生まれたルーツを知るためであり、
「何ために生まれたのか?」をより深く知り、生きようと思ったのです。
周りからしたら、「お寺継ぐ気になったんだ、良かったね」かもしれないけど、
自分にとっては、とても大きな決断です。
そして、お寺や過去のことをこうやって表現するのも今までの自分だったら
絶対にやらなかったと思います。
今まさに、自分にとって新たな人生の旅のはじまりなのです。
冒険することは不安を引き起こす。
しかし、冒険しないことは自己を失うことだ。
そして、最高の冒険は、自己を自覚することにほかならない。
セーレン・キルケゴール
p.s
こうして新たな旅のスタート地点に立てたのも、「ありのままの自分」を受け入れてくれた
東京のシェアハウスで出会った仲間
愛するパートナー
そして、生まれてからずっと愛してくれてる家族のおかげだと思っています。
堤 祐弥