地獄の辞典 第八回
地獄の辞典 第八回
娑婆
娑婆(サンスカール=シャーヴァ、サッヴァ)
シャバダバダ。←“娑婆”と聞くと、こう言う人物が必ず一人はいるだろう。六道輪廻の世界のひとつ。ところで、私の解釈では、六道輪廻の世界というと、いくつかの分類がある。それは、六道輪廻の世界を上層三層と下層三層に分けるやり方と、いまひとつは、六道輪廻の世界を、上層二層、中層二層、下層二層の三層に分けるやり方である。まず、六道輪廻の世界を上層三層と下層三層に分ける方であるが、これは、上層三層が、天道、娑婆、修羅場の三層。下層三層が、畜生道、餓鬼道、地獄の三層である。そして、次に、六道輪廻の世界を上層二層、中層二層、下層二層の三層に分ける方だが、こちらは、上層二層が、天道と娑婆、中層二層が、修羅場と畜生道、下層二層が、餓鬼道と地獄である。上述のうち、世界(六道輪廻の世界=六凡界)を上層と下層の二層に分ける方であるが、上層二層は、上空、下層二層は、地下である。こうしてみると、娑婆(人間の世界=人道)は、上位(上層)第二位であり、けっこう、上位であることがわかる。人間の世界(人道=娑婆)とは、一口に言って、煩悩の世界であるということができるだろう。苦楽、希望(けもう)、煩悩が、この世界(娑婆)を体現する言葉と言ってさしつかえないだろう。娑婆とは、欲や悪にまみれた世界と言って過言でないだろう。そりゃあ、聖人君子もいるだろうが、そういうこと言っているのではない。じゃあ、どういうこと言っているのかというと、この世(娑婆)は、とかく、清流の世界というより、混濁した世界に近いだろう、ということである。苦しみや悩みや幸福や快楽が、世(娑婆)を支配しているといっていいのではないか?そういう意味でこの世界(娑婆)こそ最も六道輪廻の世界らしい世界とも言えるのかもしれない。しかし、それで終始するわけではない。希望(きぼう)もある。仏教の教えでは、人間は、みなそれぞれが生まれながらにして仏であるという。人間は、娑婆に生まれることによって、行を修め、会心(えしん)することによって、悟りを開き、仏天、仏土に往生することができるというのである。そういうわけであるから、人間の世界(=娑婆)とは、単に苦楽や希望(けもう)の世界というわけではなく、一種の修行の地であり、希望(きぼう)の天地でもあるのだと観じるのである。
今年一年を振り返って
今年一年を振り返って
今年一年を振り返ってみたいと思います。(※現在は、2024年12月31日20時17分です。)今年は、2024年、令和6年でした。来年は、2025年、令和7年になります。昭和に換算すると、100年です。昭和100年。記念すべき年です(昭和では)。今年もいろいろなことがありました。今年は、激動の年でした。具体的になにがとは言いませんが、いろいろと激しい動きがあった年でした。かつては激動の昭和などと言われたものですが、激動の令和といってさしつかえないと思います。事実は小説よりも奇なりといいますが、現実に起こっている出来事がもはやフィクションのそれを通り越してぶっ飛んでいる、という印象を与えるものがあります(あると思います)。インダストリアル4.0、WEB3.0、7Gなどというように、時代は、第四次産業革命の只中にあり、われわれは、時代の大転換点にいるといえると思います。時代は、いま〈風の時代〉に入りつつあるといわれています。物質から精神へとパラダイムシフトが進むということらしいです。物質主義的な価値観から精神主義的な価値観へと移り変わる...。AI、ロボット、クローン、ドローン...。それらと風の時代が象徴する“精神文明”がどのように融合していくのか?興味深いところです。さて、来年2025年(令和7年)は、わたしたちにとってどういう年になるでしょうか?それでは、よいお年をお迎えください。
2024年(令和6年)12月31日
2024年(令和6年)の総括
2024年(令和6年)の総括
今年2024年(令和6年)の総括を行って今年一年を締めくくりたいと思います。ことしの年初には、能登半島沖地震がありました。わたしは、今年の年初に今後の将来を占う予言もしています。ちなみに「予言」の内容は、今年(2024年)に日本の経済が復活するというものでした。予言の成否は、どうだったでしょうか?ことしは、いろいろなことがあった年でした。(いつも毎年いろいろなことがあるかもしれませんが。)今年は、衆議院の選挙がありました。それについても、わたしは、“予言”(というか予想)のようなことを行っています。それは、今回の衆議院選挙の結果を受けて政権交代が起こるというものでした。その確率は、70%(60%)というものでした。結果は、劇的な政権交代は起こりませんでしたが。まあ、こちらは、冗談みたいなものですが。先出の日本の経済に関する「予言」は、けっこう本気です。それは、今年一杯かぎりのものではなく、来年以降にもまたがっているものですので、来年以降も守備範囲内ということです。わたしの、この、“予言”は、長期間にわたるものなのです。さて、視点を世界に向けてみると、アメリカで大統領選挙がありました。そのアメリカの現在の株価ですが。2024年12月30日 19時44分現在の株価は、ダウ工業平均で43324.80ドルです。ちなみに日本の株価は、日経平均で2024年12月30日 19時48分現在39894円です。アメリカは、史上最高値、日本も、35年ぶりというバブル期以来の高値をつけています。この日本の高値は、バブル期以来の最高値ということです。次にGDP比ですが、アメリカ、中国、ドイツ、日本、インドの順となっています。最近では、GDPの第三位と第四位が入れ代わり、日本は、第四位に後退しています。また、GDP第五位のインド。現在GDP第五位のインドが、日本を猛追しているようです。上から見ていきましょう。まず、現在GDP第一位のアメリカ。財政赤字と貿易赤字を抱えています。社会の分断が進んでいるらしいです。高インフレらしいです。次にGDP第二位の中国。不動産バブルの崩壊によって経済が崩壊しているらしいです。貧富の差が過激になってきているらしいです。GDP第三位のドイツ。移民問題が深刻化しているらしいです。あと、経済がなにげにやばいらしいです。第四位日本。過去三十年間低迷中(物価は安い)。インドも、いろいろと問題があるらしいです(抽象的な表現のようですが)。こうしてみるとろくな国がないみたいな印象を受けますが(GDPの上位五カ国に)。この中で一番まし(というかまとも)な印象があるのは、米国(アメリカ)でしょう。先進七カ国(G7)の中で、総人口が増え続けており、高い労働力、生産力を維持できている国です。IT、AI、半導体などの分野でイニシアティブを取ることができています。中国は、一人っ子政策などにより、人口は減少傾向にあります(といっても14億いるわけですが)。少子化、高齢化、農村部の貧困層の増大などが問題となっています。ドイツは、経済が低迷しているようですが、これは、中国にベットしまくったのが原因でしょう。日本も、少子高齢化が問題となっています。インドにも少子化の波は押し寄せているみたいです。人口15億(16億)の世界一の人口国ですが、そのインドでさえ、人口はピークに達しており、頭打ちです。今後将来、人口が増え続けるのは、アフリカの諸国だけ(大小の差はあるでしょうが)、という試算が出ています。こうしてみると、“人口”という概念が、生産性、経済力に与える影響というのがいかに大きいかがわかります。また、と同時に、人口が、現在、重要なキーフレーズとなっていることがわかります。ちなみにここで挙げた各国の人口(現在の総人口)は、アメリカ合衆国=3億3650万人。中華人民共和国=約14億人。ドイツ連邦共和国=約8500万人。日本国=約1億2500万人。インド共和国=約14億2000万人。ちなみにナイジェリア(ナイジェリア連邦共和国)の現在の総人口は、2億2380万人です。(※現在は、2024年です。)さて、現在の世界は、ドイツの提唱するインダストリアル4.0という時代を迎えているようです。第四の産業革命です。言い換えれば、“第四文明”とでも言うことができるかもしれません。内燃機関からコンピュータへ、コンピュータからAIへと、遷移を遂げた、ということだと思いますが。そして、AIによるブレークスルーです。AIによるブレークスルーは起きるのか?わたしは、起きると思います。近い将来(そう遠くない将来)、AIによるブレークスルーは起きるでしょう。断言してもいいです。ブレークスルーは起きる(でしょう)。(※現在は、2024年です。)さて、今年も残すところわずかとなりました。(現在は、2024年12月30日です。)来年は、巳年ですが。ことしの年初のわたしの予言ですが、ことしが辰年であることとも関係があります。昇竜祈願を念頭に置いてのことでもあったからです。わたしの予言は、来年以降もつづきます。ですから、巳年である来年も守備範囲におさまっています。辰年から巳年へ。というわけで、わたしの予言が、竜頭蛇尾にならないよう願っています。来年が(あるいは来年も)わたしたちにとってよい年になってくれることをお祈りしています。
2024年(令和6年)12月30日
シリーズ惨獄死(さんごくし) 第三回
シリーズ惨獄死(さんごくし) 第三回
孫臏の巻
失脚の故事
孫臏は、ある時、斉の国にやって来た。仕官するためである。しかし、斉には、すでに孫臏の幼馴染みの龐涓が仕えていた。龐涓は、斉の国では、すでに重役に就いていた。龐涓は、孫臏の来国を知ると、孫臏の才能を知っていたため、自分の地位がおびやかされることを警戒した。そこで彼は、計略で孫臏をおとしいれることにした。彼の計略は奏功し、孫臏は、罪を着せられてしまう。捕縛された孫臏は、龐涓の計画どおり、彼(龐涓)によって処遇されることとなった。龐涓は、幼馴染みということもあり、命まで取るのは思いとどまった。孫臏は、五刑の一つである、足切りの刑に処されることとなった。この刑罰は、咎人の両足の膝から下を切断する酷刑である。龐涓としては、孫臏に対して命までは取らないことによって温情をかけたつもりであった。これが「失脚」という語の由来である。
地獄の辞典 第七回
天道
六道輪廻の世界の一つ。天の道。天界。六欲天とも呼ばれる。六欲天というだけあり、六つのレヴェル(階層)からなる。他化自在天、兜率天、夜摩天、忉利天、空居天、地居天などからなる。天界(天道)の住人は、諸尊諸天である。(他化自在天のみちがう。他化自在天の住人は、悪魔である。)諸尊諸天とは、神々である。神々とはいっても、この世界(欲天=六欲天)の神々は、欲まみれ、煩悩まみれである。寿命もある。五衰という現象も存在する。これは、欲天(六欲天)の神々に死が近づいた時、発生するものであり、この段階では、神々の身にさまざまな衰微傾向が生じてくるようになる。こうして五衰を経たのち、天道(六欲天)の神々は、死にいたるわけであるが、死ぬと、神々も人間と同じように、生前の業に応じて他の世界へと転生する。こうしたところは神も人もまったく変わらない。仏教の輪廻転生観では、そうなっているのである。天界(天道=六欲天)とは、極楽の世界であるが、真の浄土ではなく、苦界の一つであり、死をまぬがれることはできないというところがシビアーな仏教の世界像となっているのである。
『地獄の辞典』 補足
『地獄の辞典』 補足
『地獄の辞典』に関しての補足です。『地獄の辞典』では、オカルト(隠秘学)、魔術、魔学、エノク語、神学などをあつかった内容を予定しています。悪魔や魔神だけでなく、天使や神、宗教上の聖人なども登場する場合があるということです。
シリーズ惨獄死(さんごくし) 第二回
シリーズ惨獄死(さんごくし) 第二回
臥薪嘗胆の巻
シリーズ惨獄死(さんごくし)第二回は臥薪嘗胆の巻です。
呉越春秋
ある時の戦で呉は越に対して敗戦を喫した。闔閭自身も、この戦での足のけががもとで亡くなった。息子の夫差は、越への報復を誓い、後年、越に対して勝利を収めている。越の王、勾践もまた、この時、呉への報復を誓い、達成している。
夫差は、敗戦の苦さを思い出すため、時としてたきぎの上に身を横たえて、その痛さに報讐雪恨の念を新たにするのだった。勾践もまた、時として胆を嘗めることで、敗戦を喫した時の心情を思い出すのだった。
感想(まとめ)
夫差、勾践の両者とも雪辱に成功しているが。今日では、臥薪嘗胆の四文字を好きな言葉に選定する向きはあまりいないであろう(と思う)。恨の概念にも通じるものがあると思うが。なにか大事業をなそうという時、なにか事を断行しようという時には、時として必要な概念かもしれないと思います。
地獄の辞典 第六回
地獄の辞典 第六回
バアル
東方の大王。キリスト教に魔神として取り込まれる以前は、バビロニア神話に登場する主神。バビロニア神話における全能の神。
聖書ヘブライ語: בַּעַל
フェニキア語: LOe( ba‘al)
ウガリット語: 𐎁𐎓𐎍( b‘l)
バビロニア神話をはじめとした中近東の神話体系では、アシュタロス、セト、ダゴン、モロク、およびモートなどと関係があるとされる。
カナアン、フェニキア、パレスチナ、シリア、メソポタミア、そして、エジプトというように広範囲にわたって崇拝されていた。
バアルという名前を含む多くの名称が存在する。ハンニバルもそのひとつである。(※ハンニバル…慈悲深きバアルという意味)
シリーズ惨獄死(さんごくし) 第一回
シリーズ惨獄死(さんごくし) 第一回
劉瑾の巻
シリーズ惨獄死(さんごくし)第一回は、劉瑾の巻です。
刻切三千刀の漢
唐代の宦官。唐の時代、官界中枢で権勢をふるった。いろいろと贈答政治を行う。天文学的な数値のまいない金を受領する。しかし、好事魔多し。彼の行った不正は発覚し、劉瑾は、処断されることとなる。彼は、凌遅処死という残酷な刑に処されることとなった。処刑がはじまって一昼夜後に、彼は、粥を二椀すすった、と記録には、ある。この劉瑾の様子を見た見物人は、その彼の強健さ(身体的にも精神的にも)に、あるいは驚き、あるいは一種尊敬の目で、彼を見るのだった。その彼(劉瑾)も、処刑がはじまってから、二日後に、ついに絶命した。処刑のための執刀がはじまってから三千刀、一説に五千刀だった。
惨獄死(さんごくし)
惨獄死(さんごくし)
シリーズ惨獄死(しりーずさんごくし)
アイデア段階ですが。考えました。古今東西のちょっと残酷な話の集大成です。(実際にはちょっとではないが。)第一回は、劉瑾の巻を予定しています。しかし、題材があまり手に入らず、第一回で終わってしまうかもしれませんが。いや、第一回どころか一回もやらないかもしれませんが(その場合、第0回)。この名前(惨獄死およびシリーズ惨獄死というタイトル)は、使ってもらってもかまいません。別に意匠登録とかもしてませんし。そういうことです。とくにオチのようなものはないかもしれませんが、そういうことです。告知のようなものと思ってもらいたいです。では。