オズボーンのリスト
オズボーンのリスト
“オズボーンのリスト”とは、ビジネスモデルの用語である。プロダクトモデルを開発する時のセオリーである。四則演算の理論などが存在する。四則演算。足す、引く、掛ける、割る、の四つである(和、差、積、商)。ひとつの完成品であるプロダクツに、これらの四つの計算方式を適用するのである。
足し算
単純にひとつの完成しているプロダクツに、他のこれもひとつの完成しているプロダクツを足す。ふたつのプロダクツを合体させる。
引き算
ひとつの完成しているプロダクツから機能のひとつ(乃至複数)を引く。プロダクツから余計な機能を削ぎ落とすことによって、製品の簡素化、スマート化を図る。
かけ算
ひとつの完成しているプロダクツの性能を倍増させる。これによって製品は、多機能化、マルチ化を図ることができる。
割り算
プロダクツの機能を五割増し(乃至それ以上)低減させる。これによって製品は、省力化、性能の最適化を図ることができる。
「オズボーンのリスト」とは、プロダクトモデルの変形、変質、変身を行うものである。
そこでわたし(筆者)も上記のことをふまえて考えました。
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上記のようなのはどうでしょうか?
競馬を科学する
競馬を科学する
競馬を科学する。類種の書籍ならすでに巷にぼう大な額面が存在するだろう。しかし、あえて、やる、ということです。“競馬を科学する”にあたっては、科学的なアプローチ、数学的なアプローチ、統計学的なアプローチ、そして、確率論的なアプローチ、などが存在するだろう。
競馬関連キーワード
馬(ウマ)
ジョッキー(騎手)
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競馬新聞
赤えんぴつ
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穴馬(あなうま、あなば)
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三連単
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孫臏の故事が参考になるだろう。孫臏は、ある日、自分の主君である斉王と戦車競走を見物する機会があった。斉王は、この時、戦車競走の会場で営まれている賭けに参加していた。そこで王は、孫臏に対し、どうしたら賭けに勝てるか助言をあおいだ。孫臏、答えて曰く、「まず、お手持ちの一番強い馬(戦車)と相手の一番弱い馬(戦車)を競わせなさい。(以下略)」まず、自分の手持ちの最強を相手の最弱に当てる。次に、自分の次に強い馬と相手のそこそこ強い馬を当てる。あとは同じ要領で順ぐりに組み合わせを作っていく...。このやり方で組み合わせを作っていき、最終的に最初の組み合わせ(自分の最強対相手の最弱)に戻る...。この孫臏の助言に従って賭けを行ったところ、王は、勝負(賭け)に勝つことができた。組み合わせの結果、自分の手持ちの馬の中で最も弱い馬が相手の馬の中で最も強い馬と当たることとなり、結果、敗れているが、全体として損害を利益が上回っており、トータルでは、勝つことができたのである。斉王は、この結果に驚くと同時に感激して、孫臏を激賞した。孫臏、応じて曰く「今回のことは、生活における諸々の作事と同じことです。このことは、また、戦(いくさ)にもあてはまります。何事も事(こと)を行うためには多少の犠牲はつきものということです。百戦百勝は現実的にはむずかしいというのなら、少損を出して大きく元を取る、ということです。多くの場合、犠牲の上に勝利は成り立つのです。勝負事においてこのことは鉄則です。」
競馬にも同じことが言えるだろう。孫臏のこの教えは、競馬にも活かせるのである。上述の文章は、競馬というより兵馬だが。百戦百勝は現実的にはほぼ不可能だろう。ならば、犠牲を最小限におさえ、トータルでは、勝利を拾う。こういうことが競馬にもあてはまるだろう。
小さく負けて、大きく勝つ。これが勝負事における鉄則である。
シリーズ惨獄死(さんごくし) 第五回
シリーズ惨獄死(さんごくし) 第五回
敗北の巻
周王、南面す。
機は熟した。周では、すでに文王は亡く、その子の武王が立っていた。彼(武王)は、その時、殷王朝を打倒すべく、軍を起こしたのである。その数、わずかに三万。対する殷王朝軍は、百万という大軍勢である。周軍を率いるのは、太公望呂尚。敵は、大兵、こちらは、寡兵である。多勢に無勢。どちらに勝敗がかたむくかは、一目瞭然のようであった。しかし...、
***
しかし、蓋を開けてみれば、結果は、周側の大勝利であった。百万の大軍をそなえた殷軍は、わずか三万の周の軍の前に一敗地にまみれたのである。殷都朝歌は、火煙につつまれ、殷の王城は、陥落した。
この時、武王は、南に面して陣を布いていた。一方、殷軍は、北に面して布陣を営んでいた、という。これが、敗北という語のはじまりである。
地獄の辞典 第九回
地獄の辞典 第九回
修羅場
修羅場(サンスカール=スーラーヴァ)
シュラシュシュシュ~←“修羅”と聞くと、こう言う人がかならず一人はいるだろう。シュラヴァラヴァンヴァ←“修羅場”と聞くと、こう言う人物が周囲に一人はいるだろう。修羅場とは、闘争的な場所である。六道輪廻の階層的には、人道(娑婆)の一階層下、海の層に属する、とされる。これは、実際に修羅界(修羅場)が海中に存在するというわけではなく、そういう比喩である。天道(天界)なら上空、人界(娑婆)なら地上、という具合に、六道(六界)には、それぞれイメージとしてのレヴェル(グレード)が設定されているのである。修羅場は、そのなかでも「海」というレヴェル(グレード)に位するというわけである。
修羅場は、生前に喧嘩や刃傷沙汰が絶えなかったり、戦(いくさ)で死んだ人が往生するとされる。修羅場は、修羅場というくらいだから、当然、そこの住人は、皆、修羅である。修羅とは、阿修羅のことである。修羅のサンスカールは、スーラ、阿修羅は、アスラである。京都四条河原の決戦場や古戦場には、こうした修羅(阿修羅)が、さまよっていそうである。修羅(阿修羅)とは、シリアやアッシリアなどの地方を起源とする一群の闘争的な神々である。ヒンドゥー教の神話では、魔神とされている。仏教では、仏法に帰依しているが。もともとは、禁欲的で正義を重んじ、厳格な性格の神族である。その性格は、仏教にも色濃く受け継がれている。
先述のとおり、修羅場は、闘争的な世界である。そこの住人は、皆、修羅であり、永遠に続く(永遠ではないが。)かのような闘争に、延々と飽くこともなく、明け暮れている。役の僧都・源信の著わした教書『往生要集』にも、地獄や餓鬼道に比べて、その描写が多いわけではないが、地獄や餓鬼(道)に負けず劣らず厳しい場所である、という(イメージ的には、陽性なイメージがあるが)。この世界(修羅界=修羅場)に往生しないためには、なるべく攻撃性をおさめ、平和を愛するように努める、としか言いようがない、だろうか。
OGRE
OGRE
1980年代にリリースされたパーソナルコンピュータ用のゲーム。シミュレーションゲーム(SLG)。軍事シミュレーションゲーム。タイトルにもなっている、OGRE(オーガ)とは、戦車のことである。最新鋭(当時)の戦車。AI(人工知能)を登載した、今日で言うところの自律型兵器。このAI登載戦車“オーガ(OGRE)”が、この作品のメインテーマである。
ゲームのストーリ的には、AIを登載した最新鋭の戦車(オーガ)が、なんらかの理由によって暴走、人類に対し、反旗を翻す、というものである。その“なんらかの理由”とは、コンピューターウイルスやトロイの木馬ではない。AIを構成するプログラムの(人為的でない)なんらかのバグによるものである。人類(プレーヤ)は、このAI登載戦車オーガの、反乱に対して抗戦しなくてはならない、というのがおおまかなストーリである。
物語の骨子は、人類対反乱するAIという構図である。軍事シミュレーションゲームといっても、このゲームに集団対集団という概念はない。一体の敵ユニット(the Enemy)対集団(Player)という図式である。作戦級のゲーム。ルールは、敵(オーガ)を破壊するか行動不能に陥らせるかすれば勝利条件を満たすことができる。そして、こちらが全滅するか、総司令部を攻略されたらおしまい(GAME IS OVER)である。
コンバットの要素は存在するが、多対一というけっこう変わった(?)SLG(シミュレーションゲーム)である。敵(オーガ)も、六角へックスのコンバットフェーズ上では、一体でも、実際には、複数種類、存在し、自分(この原稿を書いている筆者)が確認したところでは、マークⅢ、マークⅤという種類が存在するのがわかっている(雑誌に載っていた)。筆者は、このゲームをプレイしたことはないが、雑誌の記事を読んだところでは、オーガ自体が相当強いであろうことは容易に想像できる記事内容だった。現在(現在は、2025年です。)、エミュレータやダウンロード版が出回っているかどうか不明だが、雑誌(筆者が当時読んだ)の記事内容からは、かなりの上級者仕様ということが想像できるので、興味がある向きは、遊んでみてはいかがだろうか。
シリーズ惨獄死(さんごくし) 第四回
惨獄死 第四回
左遷の巻
秦の時代の流刑地と関中王劉邦
昔、周末の戦国時代、いわゆる春秋戦国時代、秦がまだ王国だった当時、中華の大陸の西北に位置する秦王国の南に、未開の領域があった。西北の秦の南、すなわち中華の大陸の西南である。この地は、古くから蜀という地名で知られていた。秦では、罪科のある者が刑罰としてこの地に送り込まれ、居住を余儀なくされていた。いわゆる流刑地である。峻厳な山間の地であり、もとより人の手のついていない、この未開の土地を開発するという労働刑を、罪人としてこの地に送り込まれた者たちは課されていたわけである。
時代はくだって秦帝国滅亡後の中華世界。秦を滅ぼした項羽が、秦滅亡直後の論功行賞の場で、秦滅亡にあたって大功を立てた劉邦に対して、関中王に封ずとの処遇であった。“関中”とは、南鄭(漢中)の南に位置し、四囲を山岳で囲まれた地形の土地、蜀の別名であった。項羽は、劉邦が強大な権限を持つことを警戒し、この地に転封することによって、劉邦を監視することとしたのである。
蜀は、中華の大陸の左に位置する。秦の時代には、この地は流刑地であり、のちには劉邦がその勢力を削ぐ目的で転封された地でもある。これらのことから、「左に遷す」とは、流罪や降格といった否定的な言葉を意味する語彙となった。これが、左遷という語の由来となった、といわれている。
地獄の辞典 第八回
地獄の辞典 第八回
娑婆
娑婆(サンスカール=シャーヴァ、サッヴァ)
シャバダバダ。←“娑婆”と聞くと、こう言う人物が必ず一人はいるだろう。六道輪廻の世界のひとつ。ところで、私の解釈では、六道輪廻の世界というと、いくつかの分類がある。それは、六道輪廻の世界を上層三層と下層三層に分けるやり方と、いまひとつは、六道輪廻の世界を、上層二層、中層二層、下層二層の三層に分けるやり方である。まず、六道輪廻の世界を上層三層と下層三層に分ける方であるが、これは、上層三層が、天道、娑婆、修羅場の三層。下層三層が、畜生道、餓鬼道、地獄の三層である。そして、次に、六道輪廻の世界を上層二層、中層二層、下層二層の三層に分ける方だが、こちらは、上層二層が、天道と娑婆、中層二層が、修羅場と畜生道、下層二層が、餓鬼道と地獄である。上述のうち、世界(六道輪廻の世界=六凡界)を上層と下層の二層に分ける方であるが、上層二層は、上空、下層二層は、地下である。こうしてみると、娑婆(人間の世界=人道)は、上位(上層)第二位であり、けっこう、上位であることがわかる。人間の世界(人道=娑婆)とは、一口に言って、煩悩の世界であるということができるだろう。苦楽、希望(けもう)、煩悩が、この世界(娑婆)を体現する言葉と言ってさしつかえないだろう。娑婆とは、欲や悪にまみれた世界と言って過言でないだろう。そりゃあ、聖人君子もいるだろうが、そういうこと言っているのではない。じゃあ、どういうこと言っているのかというと、この世(娑婆)は、とかく、清流の世界というより、混濁した世界に近いだろう、ということである。苦しみや悩みや幸福や快楽が、世(娑婆)を支配しているといっていいのではないか?そういう意味でこの世界(娑婆)こそ最も六道輪廻の世界らしい世界とも言えるのかもしれない。しかし、それで終始するわけではない。希望(きぼう)もある。仏教の教えでは、人間は、みなそれぞれが生まれながらにして仏であるという。人間は、娑婆に生まれることによって、行を修め、会心(えしん)することによって、悟りを開き、仏天、仏土に往生することができるというのである。そういうわけであるから、人間の世界(=娑婆)とは、単に苦楽や希望(けもう)の世界というわけではなく、一種の修行の地であり、希望(きぼう)の天地でもあるのだと観じるのである。
今年一年を振り返って
今年一年を振り返って
今年一年を振り返ってみたいと思います。(※現在は、2024年12月31日20時17分です。)今年は、2024年、令和6年でした。来年は、2025年、令和7年になります。昭和に換算すると、100年です。昭和100年。記念すべき年です(昭和では)。今年もいろいろなことがありました。今年は、激動の年でした。具体的になにがとは言いませんが、いろいろと激しい動きがあった年でした。かつては激動の昭和などと言われたものですが、激動の令和といってさしつかえないと思います。事実は小説よりも奇なりといいますが、現実に起こっている出来事がもはやフィクションのそれを通り越してぶっ飛んでいる、という印象を与えるものがあります(あると思います)。インダストリアル4.0、WEB3.0、7Gなどというように、時代は、第四次産業革命の只中にあり、われわれは、時代の大転換点にいるといえると思います。時代は、いま〈風の時代〉に入りつつあるといわれています。物質から精神へとパラダイムシフトが進むということらしいです。物質主義的な価値観から精神主義的な価値観へと移り変わる...。AI、ロボット、クローン、ドローン...。それらと風の時代が象徴する“精神文明”がどのように融合していくのか?興味深いところです。さて、来年2025年(令和7年)は、わたしたちにとってどういう年になるでしょうか?それでは、よいお年をお迎えください。
2024年(令和6年)12月31日
2024年(令和6年)の総括
2024年(令和6年)の総括
今年2024年(令和6年)の総括を行って今年一年を締めくくりたいと思います。ことしの年初には、能登半島沖地震がありました。わたしは、今年の年初に今後の将来を占う予言もしています。ちなみに「予言」の内容は、今年(2024年)に日本の経済が復活するというものでした。予言の成否は、どうだったでしょうか?ことしは、いろいろなことがあった年でした。(いつも毎年いろいろなことがあるかもしれませんが。)今年は、衆議院の選挙がありました。それについても、わたしは、“予言”(というか予想)のようなことを行っています。それは、今回の衆議院選挙の結果を受けて政権交代が起こるというものでした。その確率は、70%(60%)というものでした。結果は、劇的な政権交代は起こりませんでしたが。まあ、こちらは、冗談みたいなものですが。先出の日本の経済に関する「予言」は、けっこう本気です。それは、今年一杯かぎりのものではなく、来年以降にもまたがっているものですので、来年以降も守備範囲内ということです。わたしの、この、“予言”は、長期間にわたるものなのです。さて、視点を世界に向けてみると、アメリカで大統領選挙がありました。そのアメリカの現在の株価ですが。2024年12月30日 19時44分現在の株価は、ダウ工業平均で43324.80ドルです。ちなみに日本の株価は、日経平均で2024年12月30日 19時48分現在39894円です。アメリカは、史上最高値、日本も、35年ぶりというバブル期以来の高値をつけています。この日本の高値は、バブル期以来の最高値ということです。次にGDP比ですが、アメリカ、中国、ドイツ、日本、インドの順となっています。最近では、GDPの第三位と第四位が入れ代わり、日本は、第四位に後退しています。また、GDP第五位のインド。現在GDP第五位のインドが、日本を猛追しているようです。上から見ていきましょう。まず、現在GDP第一位のアメリカ。財政赤字と貿易赤字を抱えています。社会の分断が進んでいるらしいです。高インフレらしいです。次にGDP第二位の中国。不動産バブルの崩壊によって経済が崩壊しているらしいです。貧富の差が過激になってきているらしいです。GDP第三位のドイツ。移民問題が深刻化しているらしいです。あと、経済がなにげにやばいらしいです。第四位日本。過去三十年間低迷中(物価は安い)。インドも、いろいろと問題があるらしいです(抽象的な表現のようですが)。こうしてみるとろくな国がないみたいな印象を受けますが(GDPの上位五カ国に)。この中で一番まし(というかまとも)な印象があるのは、米国(アメリカ)でしょう。先進七カ国(G7)の中で、総人口が増え続けており、高い労働力、生産力を維持できている国です。IT、AI、半導体などの分野でイニシアティブを取ることができています。中国は、一人っ子政策などにより、人口は減少傾向にあります(といっても14億いるわけですが)。少子化、高齢化、農村部の貧困層の増大などが問題となっています。ドイツは、経済が低迷しているようですが、これは、中国にベットしまくったのが原因でしょう。日本も、少子高齢化が問題となっています。インドにも少子化の波は押し寄せているみたいです。人口15億(16億)の世界一の人口国ですが、そのインドでさえ、人口はピークに達しており、頭打ちです。今後将来、人口が増え続けるのは、アフリカの諸国だけ(大小の差はあるでしょうが)、という試算が出ています。こうしてみると、“人口”という概念が、生産性、経済力に与える影響というのがいかに大きいかがわかります。また、と同時に、人口が、現在、重要なキーフレーズとなっていることがわかります。ちなみにここで挙げた各国の人口(現在の総人口)は、アメリカ合衆国=3億3650万人。中華人民共和国=約14億人。ドイツ連邦共和国=約8500万人。日本国=約1億2500万人。インド共和国=約14億2000万人。ちなみにナイジェリア(ナイジェリア連邦共和国)の現在の総人口は、2億2380万人です。(※現在は、2024年です。)さて、現在の世界は、ドイツの提唱するインダストリアル4.0という時代を迎えているようです。第四の産業革命です。言い換えれば、“第四文明”とでも言うことができるかもしれません。内燃機関からコンピュータへ、コンピュータからAIへと、遷移を遂げた、ということだと思いますが。そして、AIによるブレークスルーです。AIによるブレークスルーは起きるのか?わたしは、起きると思います。近い将来(そう遠くない将来)、AIによるブレークスルーは起きるでしょう。断言してもいいです。ブレークスルーは起きる(でしょう)。(※現在は、2024年です。)さて、今年も残すところわずかとなりました。(現在は、2024年12月30日です。)来年は、巳年ですが。ことしの年初のわたしの予言ですが、ことしが辰年であることとも関係があります。昇竜祈願を念頭に置いてのことでもあったからです。わたしの予言は、来年以降もつづきます。ですから、巳年である来年も守備範囲におさまっています。辰年から巳年へ。というわけで、わたしの予言が、竜頭蛇尾にならないよう願っています。来年が(あるいは来年も)わたしたちにとってよい年になってくれることをお祈りしています。
2024年(令和6年)12月30日
シリーズ惨獄死(さんごくし) 第三回
シリーズ惨獄死(さんごくし) 第三回
孫臏の巻
失脚の故事
孫臏は、ある時、斉の国にやって来た。仕官するためである。しかし、斉には、すでに孫臏の幼馴染みの龐涓が仕えていた。龐涓は、斉の国では、すでに重役に就いていた。龐涓は、孫臏の来国を知ると、孫臏の才能を知っていたため、自分の地位がおびやかされることを警戒した。そこで彼は、計略で孫臏をおとしいれることにした。彼の計略は奏功し、孫臏は、罪を着せられてしまう。捕縛された孫臏は、龐涓の計画どおり、彼(龐涓)によって処遇されることとなった。龐涓は、幼馴染みということもあり、命まで取るのは思いとどまった。孫臏は、五刑の一つである、足切りの刑に処されることとなった。この刑罰は、咎人の両足の膝から下を切断する酷刑である。龐涓としては、孫臏に対して命までは取らないことによって温情をかけたつもりであった。これが「失脚」という語の由来である。