<数値目標>
https://www.duolingo.com/learn
黒曜石リーグ +20XP,54239XP,学了十二分钟汉语。
https://www.youtube.com/watch?v=-aNrg-q3u7w&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=9
HSK3~4 #7~9 背了四十四分钟单词。
https://www.youtube.com/watch?v=93VZUEQE5xk
【完全版1~1200】HSK5,1h39min~2h2min, 背了一个小时四分钟的单词,再三刻苦!
https://www.youtube.com/watch?v=MqFIXzuSY2A&list=PLvtqcVekLxlUOhgkObOmdlv9YdVuLiKhB&index=9
『責任編集長:周来友』 ~#9 看了十九分钟频道。
https://www.youtube.com/watch?v=6gWcsh9Xa8U
毎日中国語、聞き流し,1h3min~end, 听写的二十七分钟频道。
https://www.youtube.com/watch?v=AODV98-dZuE
上海の妖精,看了六分钟ウェン频道。上海封城2。
https://www.youtube.com/watch?v=STYL8qaVbCA&list=PL2qMvlnKBIIzHtpQFWm6VsHP1h-TC5EU9&index=7
【ワンポイント中国語講座】#6~7, 背了三十分钟句子。一共三个小时二十二分钟。
运动;爬山散步 5.3km, 6275步,11楼。
<やばい! 糟糕! Oops! >
昨日はモールの家電店に行き色々、スマホの画面を液晶テレビに映す器具の下見と情報収集。これは来月に予定するスマホ相互学習会の準備。そのあとで何時ものスタバ行き、溜まった無料チケットでフルーツケーキを注文するとともに入金。
オット!予定より早いじゃないか! 暫く頻度を落とさねば。ラテンナイトも復活するし… う~ん、確かに私にとってスタバのプリペイドカードは若きダスティー・ホフマンの広口瓶と同じ。
https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12565873021.html
<廃仏毀釈への抵抗>
週末に『リモート経済の衝撃』と『廃仏毀釈』をほぼ同時に読み上げた。全く関連性のない本同士だが、結構切り替えながら共に興味ふかく読めた。特に後者の本の中で、明治に起こったこの過激な革命運動?がそれまで一千数百年にわたり日本社会に根付いていた神仏混淆の風習をそんなに簡単に覆すことができたのか、不思議に思っていたことではあるが、今回その実態が少し理解できた。
https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12563207103.html
この本によれば、その運動には濃淡・地域差があり、必ずしもお上の指示通りには行われなかったところが多い。また神社内の仏像の避難や神社内隠匿などもあったことは先の山岳霊場遺宝展でも確認できた。修験道などはまさに境界領域に属するから尚更のことだろう。
https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12714248075.html
ただ、大きな神社、例えば太宰府天満宮や宇美八幡宮などでは神宮寺は完全に跡形もなく消し去られ、今でも余程注意しないとその跡に気か付かない。太宰府天満宮には仏塔の上の部分、相輪摚が山の斜面にひっそりと残るが、ほとんど知られていない。また宇美八幡はさすがに天皇と深い関係を持つので、神宮寺の跡さえ正面から見えないように(逆向き)記載されている。
https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12718861589.html
https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12532667530.html
そんなことを考えるうちに、地元の小さな観音堂に鳥居が併設されていることを思い出した。それで早速、現地調査を行う。ここは一度、紹介したことがあるが、その時は全く神仏混淆の状況に違和感を感じなかった。
https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12590960285.html
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6142/trackback
ここは観音堂がメインで神社はとってつけたようなもの。境内には観音菩薩以外に弘法大師像他が祀ってある。奥に進み階段を上ると鳥居があり山奥に進むと、とても小さな5神社(疫神、祇園、山神、五穀、秋葉神)が合祀されている。これが合祀されたのは明治39年とのことだが、この年はまさに「1町村1神社令」が出た年であることに今回初めて気が付き、すべてが「繋がった!」
おそらく、これらの神社と観音堂は地域の人に一体で祀られていたものだろう。それが神仏分離で切り離され。なんとか観音菩薩や弘法大師像は避難移転し無事だったのだろうが、その後神社が国家財政で維持されるようになると負担に感じた政府は、先の「1町村1神社令」で余計な小さな神社を統合廃止に出た。
この後は私の想像だが、それで元々一体だったであろう、観音様、弘法大師様の下にまた神様たちが集まった、そんな事情ではないだろうか? 真偽の程は今後の課題。
『コロナ後の世界』9
著者が「反知性主義」と呼ぶものには時間性がないという。あるのは目の前の敵を叩く、あるいは勝利するためだけだと、著者の言葉を借りれば、
『反時間という構えのうちに反知性主義の本質は凝集する』p205 と、
それなので反知性主義者は少しの時間と手間を掛ければ根拠がないことが露見する(=嘘がバレる)ことを“自身ありげに(平然と)語る”とする。p206 これは「真理」に対する畏怖がないということだろう。
本題から外れるが、著者はポパーという人物の言葉を借りて『科学者は先行する世代の科学者たちの「肩の上に立って」仕事をするという卓越した比喩を用いた』p199 と書いているが、これは実は西欧中世のシャルトルのベルナール(ベルナルドウス)の言葉。
仏文学専門の内田氏がそのことを知らないはずはないのだが、わざとそれを揚げないのは何か別の意味があるのかもしれない。
https://ameblo.jp/bigsur52/entry-12721116619.html
著者はいう、『民主主義は何か良いことを効率的に、適切に実現するための制度ではなく、悪いことが起きた時、それに責任がないと国民が言えないようにする仕組み』だと。p216
これは本質をついている。株式会社は株という有限責任だが、国家は無限責任。だからこそ戦後生まれの我々も戦前の戦争責任から逃れないと。少なくともその時日本は実態はどうであれ民主主義国家だったのだから。p217
直接本文とは関係ないが面白い一節を記録しておく。曰く、
『現代国語の試験じゃあるまいし、「作者が言いたいこと」などどうでもいい』 p260
もう1つ重要なことが書かれていた。それは、
歴史的にものを見る人は過去、現代、未来を貫く<鉄の法則>を見出そうとする。
だから起きたことしか見ない。「起こりそうだったけど、実際には起こらなかったこと」は見逃す。p265 成る程ね、気をつけなければと思う。