欧州株式市場サマリー(12/8)
ロイターより抜粋
FT100種総合株価指数(ロンドン) <.FTSE>
終値 4505.37(‐ 2.14)
前営業日終値 4507.51(‐131.41)
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クセトラDAX指数(フランクフルト) <.DAX>
終値 4879.91(‐57.56)
前営業日終値 4937.47(‐88.84)
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CAC40種平均指数(パリ) <.FCHI>
終値 3324.33(‐21.76)
前営業日終値 3346.09(‐50.13)
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<ロンドン株式市場> 小幅続落。金属価格下落を背景に鉱山株が軟調だった。
イングランド銀行(英中央銀行)は大方の予想どおり50ベーシスポイント(bp)の
利下げを行ったが、一部投資家の間で失望感を誘った。
チョイスオッズのフェリックス・ライリー代表は「(今回の利下げは)時期も遅いし幅
も小さすぎるが、われわれはこれを受け入れる。政策金利は切れ味の鈍い、目下のところ
無力な武器だ。金融機関の融資を促す政治的圧力が何よりも求められている」と述べた。
鉱山株が下落。リオ・ティント <
ン <
一方で石油株は上昇。米原油先物
BP <
タロー・オイル <
ルコ・ペトロリアム <APC.N
> による新たな発見があった。
銀行株は堅調。バークレイズ <
1.8─4.2%高。
ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド(RBS)は3.3%上昇。フィナンシャル・
タイムズ紙は、海外資産の見直しの一環としてRBSが保有する中国銀行 <3988.HK> 株
4.3%の売却を検討していると報じた。
一方、アジアに注力するスタンダード・チャータード(スタンチャート)銀行 <
は6.5%安、HSBC <
<欧州株式市場> 続落。弱い経済指標を受け世界的な景気後退をめぐる懸念が高まる
中、金融・鉱山株を中心に売りが出た。米小売大手ウォルマート・ストアーズ <WMT.N
> の
12月国内既存店売上高が予想を割り込んだことも市場心理の冷え込みにつながった。
FTSEユーロファースト300種指数 <.FTEU3> は6.93ポイント(0.79%)安
の870.92。一時は859.83をつけた。
DJユーロSTOXX50種指数 <.STOXX50E> は21.99ポイント(0.87%)安
の2516.56。
ウォルマートは第4・四半期(11─1月)の利益見通しを下方修正した。
金融株では、コメルツ銀行
スタンダード・チャータード <
需要懸念で金属価格が下落したことを背景に鉱山株も売り優勢となった。BHPビリト
ン <
ータ <
12月のユーロ圏景況感指数は失業率の上昇を背景に前月から予想以上に低下し過去最
低となった。同月のユーロ圏業況感指数も過去最低水準を記録。インフレ期待が低下する
なか、欧州中央銀行(ECB)が来週の理事会で利下げする可能性が高まった。
[東京 9日 ロイター]
Freddy Spencer 伝説
18になると自動車免許を取り
四輪に転向してしまった私は、
WGPへの関心もあまりなくなって
フレディーのその後についてはあまり記憶に無い。
そこで、ちょっと調べてみました。
〇Freddy Spencer 1961年12月20日生まれ
ケニー・ロバーツ同様、
幼少の頃からダート・トラック・レースに参戦。
〇1980年(19歳) USホンダと契約

〇1981年(20歳) イギリスGPにスポット参戦
〇1982年(21歳) WGPにフル参戦
ベルギーGPで初優勝
ランキング3位

〇1983年(22歳) WGP史上最年少チャンピオン獲得

〇1984年(23歳) WGPランニング4位

〇1985年(24歳) WGP500cc、250ccでWタイトルを獲得

〇1986年(25歳) WGP体調不良により獲得ポイントなし
〇1987年(26歳) デイトナ・スーパー・バイク・レースに参戦
予選でポールを獲るが、転倒により決勝リタイヤ
WGPランキング20位
〇1988年(27歳) 右手首の故障を理由に現役引退
〇1989年(28歳) 右手首の手術をしてヤマハからカムバック
結果が出ずシーズン途中で出場を中止

〇1990年(29歳) デイトナにRC30で出場
〇1991年(30歳) AMAスーパーバイク参戦 RC30 1勝
〇1992年(31歳) AMAスーパーバイク参戦 RC30 1勝
鈴鹿8耐にホンダRVFで参戦 予選3位、決勝4位
〇1993年(32歳) WGPヤマハ・モーター・フランスから前線参戦
WGPから引退
〇1995年(34歳) AMAスーパーバイク ドゥカッティで参戦
ラグナセカで優勝
〇1996年(35歳) レースから引退
フレディー・スペンサーは、
83年に初タイトルを取った後、
85年に250と500でダブル・タイトルを獲得
この時期が一番輝いた時代でした。
その後は右手首の故障に悩まされ
ガラスのエースという感じで、
時折往時の片鱗は見せるものの
ミハエルのようにレース人生の後半に
大きな輝きを放つことはありませんでした。
現在では、レーシング・スクールを
米国で開校しているようです。
それでも、フレディーの爆発的な速さを見ている私は、
彼のライディングが好きでした。
ブレーキングと同時に「ガバっ」とイン側の足を開き
「ズバッ」とマシンを寝かしこむ独特のライディング。
クリップが他のライダーよりもかなり手前で、
アクセルを「ガバッ」と空け、テールを滑らしながら立ち上がる。
まるで蜃気楼のようにゆらゆらと揺れるマシンを
両くるぶしで「ガッシ」とはさんで何事も無かったように加速する。
この通称「スペレプ」(スペンサー・レプリカ)を
かぶってましたもん・・・。
1983 WGP
1983年といえば上のDVDを持っている事を
思い出して早速見ました。
でもね、このDVDイマイチなんですよね。
実際の映像は、シーズン後半しかない上に
レース・シーンもコース全体が映ってない。
ホーム・ストレート付近のかなり限定したところだけ。
どちらかっていうとインタビューが多い。
熾烈なチャンピオン争いを続ける
ケニーとフレディーを中心に
レース前のインタビューが収録されている。
しかし、意外な事に二人の関係が
割りとおだやかな感じなんですよ。
ケニーはキング・ケニーと呼ばれ
3度のチャンピオンに輝いた
正にチャンピオン・オブ・チャンピオンで
引退を既に宣言して、
今シーズンに全てを賭けている。
一方のフレディーは、
史上最年少チャンピオンを狙う若き新星で、
序盤戦からポイントでリードしたものの
後半ケニーの巻き返しにあい、
最終戦まで優勝がもつれ込んだ状況。
これって、2005年のF1の状況と酷似している。
しかし、ミハエルとアロンソの関係が
ぎすぎすしたものだったのに比べ、
ケニーとフレディーの関係は、
「レースでは容赦しないけど普段は友達、
おなじアメリカン・ライダーだしね」
なんて言ってんですよ。
結果最終戦でケニーが優勝を飾るも2ポイント差で
フレディーがチャンピオンに輝く。
正に歴史に残るシーズンでした。