仕事として見た資金調達コンサル業 4
5月16日
ネットワークビジネスのサポート業から、
ビジネスマッチングの事業へ移行は比較的順調に進みました。
ご本人に問題があるのは当然ですが、
ネットワークビジネスで散々な目にあった方が多かったこともあり、
概ね参加していただきたいと思った方は、ほぼ100%に近い確率で、
新しいビジネスマッチングへの転進を同意していただきました。
それと、ネットワークビジネスのサポート業をしていた頃から、
予想外であったのは、主なメンバーはネットワークビジネスのうまくいかない方でしたが、
10数名は、たとえばニュースキンのブルーダイヤモンド(ほぼ最高位のタイトル保持者)や、
アムウェイの同レベルのタイトルを持つ成功者が含まれていました。
これら成功者たち全員がビジネスマッチングに参加してもらうことになり、
内容はともかく、この方々が持つ人脈の数は多いので、かなり期待したものでした。
ビジネスマッチングをするにあたり、
商材やサービスを提供する会社を見つけることと、
購入したり使用する会社を見つけることが必要でしたが、
この点は問題なく、それなりのコンテンツとネットワークが早い時期に完備し、
様々なマッチング活動が開始されました。
この辺りの内容の詳細は、本論に関係がないので割愛しますが、
時々成約はするものの、継続して成長する事業のビジネスマッチングはできませんでした。
中には数千万円レベルの収益が出たこともありますが、
単発的に宝くじに当ったような状況で、継続性がありませんでした。
さらに大きな問題は、ネットワークビジネス以上に、完全成功報酬であるので、
全くこのビジネスで収入のない方が数多くできてしまったことです。
また、非常に専門性が高い商材やサービスを扱う場合、
その内容を正しく伝えることのできる人が限られ、
極端な場合は、札幌の人が那覇に説明に赴く必要が出てきたり、
主に中国、韓国、台湾など近隣の国がほとんどでしたが、輸出入のビジネスもありましたので、
旅費など活動費の負担の問題が出てきました。
もちろん、中小企業の経営者が多かったので、
ビジネス成約の意向は強かったのですが、
活動のためのお金が不足すると言う大きな問題点が浮上してきました。
この問題は大きな問題で、費用のかからないビジネスに集約するとか、
資金力のある方に集約するとか、いろいろ検討しましたが、
この当時は93、94年で、まさに銀行も大変な危機状況にあったような時期でしたので、
簡単には資金調達ができない状況でした。
この時、メンバーの多く方から、私が東京に在住しているのと、
過去に多額の融資を引っ張った経験があるのと、
銀行被害の方々の相談にものっている事から、
メンバーの資金調達の手伝いをして欲しいとの話が相次ぎました。
「いくら良いビジネスを紹介してもらっても、動くための資金がないとどうにもならない。」
この声を聞き、私もビジネスマッチングの関連サービスとして、
メンバーの資金調達のサポートは欠かせないと思いました。
また、この時、私が前職で大変だった時も、
なかなか資金調達について、安心して相談できるところがないことを思い出しました。
さらに資金調達は会社にとって、ひょっとすると、最も大切な経営資源かもしれないとも思い、
資金調達のサポート事業は、面白い事業になるのではないかと、直感的に感じました。
この時が、現在の資金調達コンサル業の出発点になったのですが、
一朝一夕に現在の状況になったわけではありません。
この頃の状況は、
前職のトラブルから、コンサル事業に大切な親しい金融機関が全くありませんでしたので、
まず、金融機関の発掘からスタートしなければなりませんでした。(続く)
地銀での歩積両建の思い出
5月15日
昨日書きました、某都市銀行による協力預金はかなり特異なことであったかもしれません。
今日書く某地銀との取引の中で体験した歩積両建と、
融資実行の折に担当した副頭取への現金でのお礼などは、
ひょっとすると日本で日常的に行われている銀行と会社の姿であったかもしれません。
むしろ、こちらの方が病根としては問題かもしれません。
この某地銀とは、私もかなり下降気味の時点で接点がありました。
端的に言えば、過剰融資の話なのですが
ある地方都市の中堅ゼネコンが待つ不良債権寸前の土地を購入し、ビルを建設してもらえるなら、
5億円の余剰資金を貸し付けても良いと、この中堅のゼネコンの社長と親しい某地銀が言っているというものでした。
このゼネコンもその当時、ゴルフ場の開発やらマンション開発などで、
かなりの不良資産を抱えていたのですが、
このゼネコンの社長とこの地銀の頭取が、なぜか常軌を外れるほど非常に親しく、
この社長などは、
宴席で、「○○銀行は私の財布です」なんて癒着を堂々と話すような関係であったようです。
私から見て、打診のあった土地は、不良債権寸前とは書きましたが、
それなりに利用価値のある土地で、
協力預金のあった銀行とのトラブルも起こっていましたので、
5億円の真水の融資は非常にありがたいと思われる状況でもありました。
こういう状況でしたので、私はこのゼネコンの社長の口利きで、
この某地銀より過剰融資を受けることになりました。
正直なところ、いくつか都市部の地銀とは付き合いがありましたが、
協力預金を要請してきた銀行との付き合いが中心であったので、
地方都市の地銀との付き合いはかなりカルチャーショックを受けるものでした。
その一番が歩積両建てでした。
協力預金を要請した非常識な都市銀行でさえ、
典型的な歩積両建の要請は一度もなかったのですが、
この地銀の話し振りだと、むしろ日銀検査の時に預金がないとまずいと、
あたかも日銀が歩積両建を推奨しているのかごとく言うので、驚いたことを覚えています。
ともかく総額10億円の融資額の余剰額5億円は全額定期預金にして欲しいと、
当たり前の顔をして言われたので驚きました。
2番目に驚いたのは、
一個人であるゼネコンの社長のことを、私の担当をした支店の支店長も恐れおののいていることでした。
都市銀行でもあるのでしょうが、ここまで露骨に癒着が認知されていることには驚きました。
このゼネコンの社長の立場は、特に優良取引先でもなく、有力な人物とつながっている様子もなく、
ただ当時の頭取と親しい、それも非常識なぐらい親しいというだけなのに、?????でした。
3番目に驚いたのは、
融資が実行された後、地方都市にあるこの地銀の副頭取に挨拶に行き、
お礼として現金200万円を渡して欲しいという要請でした。
もちろん、都市銀行でも、この手のことがあった事は私も承知していますが、
ここまで日常の習慣とも取れる調子で、ゼネコンの社長から言われた時は驚きました。
協力預金の都市銀行は、私がトップや役員と親しいことを知っていたので警戒したのかもしれませんが、
中元やお歳暮で、商品券を贈っただけでも丁重に返却してきたことを思えば、
この地銀の副頭取への挨拶には心底カルチャーショックを受けました。
後日談があって、ゼネコンの社長と特に親しかった頭取と、私がお礼をした副頭取は、
数年後、確か銀行に損害を与えた背任などの疑いで、二人とも逮捕された報道がありました。
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私の歩積両建 体験
5月14日
私は前職の不動産会社時代、取引銀行は大喧嘩した某都市銀行が中心でしたので、
純然たる歩積両建はそれほど経験がありませんが、
私の場合は、協力預金と言う、変則的な歩積両建を体験しています。
また、1行だけ取引をした、某地銀。
ここでは典型的な歩積両建を体験しました。
地銀での体験は、今から考えると、日本の銀行が持っていた病根のような体験であったかも知れません。
今日は、以上のことをできるだけ、具体名はさすがに書けませんが、忌憚なく書きたいと思います。
プロフィールにも書いていますように、私は銀行とはかなり密な付き合いをした方かもしれません。
まず、私が体験した都市銀行の変則的歩積両建から書いていきます。
私が取引をしていた某都市銀行の支店は中心部にあるものの、
大企業の本社が多くあるような地域ではなかったので、
ある意味、支店の予算が大きい割には、たぶん予算が達成しにく店舗であったと思います。
その当時行員から聞いた話では、支店の預金量は約1200億円程度であったようです。
その頃、私の経営していた会社は自己資本率も高く、
不動産賃会社として手堅い経営をしていたと思います。
たまたま、この銀行のトップはもちろん多くの役員とも親交があり、
非常に良いお付き合いをしていました。
しかし、バブル真っ最中になった頃には、
私もかなり積極経営にシフトしていましたが、銀行もノルマがきつくなったのか、
様々な要請が来るようになっていました。
最初は、ゴルフの会員権を買って欲しいとか、大手証券会社に運用を任せて欲しいとか、
ハワイのマンションを購入しろとか、事業用の土地を購入しろとか、
それなりに、まともな依頼なので、私も自己責任で判断し、
要請を受けたり受けなかったり、まだ通常の関係であったと思います。
ところが、大阪に持っていた私と母親が個人で所有していたビルが、この銀行の仲介で、
まさにバブルで、異常な高値で売却でき、約50億円の自己資金を得た頃から、
一気に銀行からの要請が非常識な要請に変わりました。
やはり恩を売ったのだと思ったのと、
この頃には大型のビルの投資も始まっていました。
大型の投資には当然銀行からの融資が必要でしたので、
銀行としても優先的な立場を利用してなんて言う明確な意識はなかったとは思いますが、
私も以前よりは、無理な要請であっても、無下には断われない状況下にはあったのは確かでした。
最初の非常識な要請は、個人所有のビルの売却資金を、定期預金ではなく、
通知預金など流動性の高い預金にして欲しいという要請でした。
この頃は、預金金利も高く、定期預金と通知預金の差額はかなり大きく、
今から思えば、私もビルの建設資金の融資などの件があっても、
おかしいと断わるべきだったのですが、
その頃の私は要請に負けて、今回限り、短期間でという条件で容認しました。
ところがこれを契機として、
美味しい餌をちらつかせたり、ある時は暗に融資を盾にした、
それこそ優先的地位を思わせるような軽い脅迫的要請が多くなりました。
そして、ある年の夏だったと思いますが、当時の担当の副支店長と課長から会食の招待を受け、
協力預金の要請を受けました。
そもそも銀行の支店の交際費は非常に少なく、会食、それも料亭での接待なんて、
かなり異例なことだったと思います。
協力預金といっても、他行の預金をこの都市銀行に移すような生半可なことではなく、
英国に本部を持つ有力外銀から100億円を借りて、
この資金をこの都市銀行の預金に預けるというものでした。
このスキームは多分次の通りであったと思われます。
なにぶん、現場に私は一度も立ち会うことがなく、ことが運ばれたため、詳細は今でも不明です。
なぜか、私をこの外銀へ連れて行かず、外銀のスタッフの立会いもなく、
都市銀行の支店で、外銀との100億円の融資契約を締結し、
この契約書を都市銀行の行員が外銀に持ち込み、
この外銀の融資実行とともに発行された100億円の預金証書を都市銀行の行員が都市銀行に持ち帰り、
都市銀行の定期預金や通知預金を組み、
都銀の預金証書ができ次第、この預金証書を外銀に持ち込み担保とするといったものでした。
(考えてみれば、外銀も良くやったと思います。
もしこの都市銀行の行員が悪い気を起こして、外銀発行の預金証書を持ち逃げしたらどうしたのでしょうか?後日談ですが、担当した行員も「よくやるんですよね。」と苦笑していました。)
ここでの私のデメリットは、貸出金利と預金金利の金利差でした。
金額が金額なので、1億円程度の損害が生じ、
この最初の時は、さすがに銀行も気が引けたらしく、
後日、ゴルフ会員権や不動産の売買を絡ませ、損失補てんを実行しました。
ところが、この後、だんだん要求の頻度も増え、市況もあって、
結果として損失補てんも先送りされ、結局は私の損失として残ることになってしまいました。
瞬間的ですが、この方法での協力預金額の最高額は200億円を超え、
この支店の預金総額の1/6は私関連の、それも無理やり作った預金だったことになります。
この頃、この支店は他にも私のように銀行にとって馬鹿な上客が数人いましたので、
このような方法でいったいいくらの預金の数字を上げていたのか分かりません。
全ての支店でこのようなことが行われていたとは思いませんが、
この都市銀行全行では、どの位、この種の協力預金があったのかと思うと、
この銀行の当時の財務諸表なんて、かなり白々しいものだと思ってしまいます。
最近はまさかこのようなインチキな預金は銀行の自己資本率の観点からしても意味がなく、
ないとは思いますが・・・・。
明日はこの続きと、地銀で体験した、典型的な日本流の銀行と会社の関係の体験談を書きたいと思います。