私の歩積両建 体験 | 思うように資金調達ができない方へ

私の歩積両建 体験

5月14日


私は前職の不動産会社時代、取引銀行は大喧嘩した某都市銀行が中心でしたので、

純然たる歩積両建はそれほど経験がありませんが、

私の場合は、協力預金と言う、変則的な歩積両建を体験しています。


また、1行だけ取引をした、某地銀。

ここでは典型的な歩積両建を体験しました。


地銀での体験は、今から考えると、日本の銀行が持っていた病根のような体験であったかも知れません。


今日は、以上のことをできるだけ、具体名はさすがに書けませんが、忌憚なく書きたいと思います。


プロフィールにも書いていますように、私は銀行とはかなり密な付き合いをした方かもしれません。


まず、私が体験した都市銀行の変則的歩積両建から書いていきます。


私が取引をしていた某都市銀行の支店は中心部にあるものの、

大企業の本社が多くあるような地域ではなかったので、

ある意味、支店の予算が大きい割には、たぶん予算が達成しにく店舗であったと思います。

その当時行員から聞いた話では、支店の預金量は約1200億円程度であったようです。


その頃、私の経営していた会社は自己資本率も高く、

不動産賃会社として手堅い経営をしていたと思います。

たまたま、この銀行のトップはもちろん多くの役員とも親交があり、

非常に良いお付き合いをしていました。


しかし、バブル真っ最中になった頃には、

私もかなり積極経営にシフトしていましたが、銀行もノルマがきつくなったのか、

様々な要請が来るようになっていました。


最初は、ゴルフの会員権を買って欲しいとか、大手証券会社に運用を任せて欲しいとか、

ハワイのマンションを購入しろとか、事業用の土地を購入しろとか、

それなりに、まともな依頼なので、私も自己責任で判断し、

要請を受けたり受けなかったり、まだ通常の関係であったと思います。


ところが、大阪に持っていた私と母親が個人で所有していたビルが、この銀行の仲介で、

まさにバブルで、異常な高値で売却でき、約50億円の自己資金を得た頃から、

一気に銀行からの要請が非常識な要請に変わりました。


やはり恩を売ったのだと思ったのと、

この頃には大型のビルの投資も始まっていました。

大型の投資には当然銀行からの融資が必要でしたので、

銀行としても優先的な立場を利用してなんて言う明確な意識はなかったとは思いますが、

私も以前よりは、無理な要請であっても、無下には断われない状況下にはあったのは確かでした。

                                                 銀行員

最初の非常識な要請は、個人所有のビルの売却資金を、定期預金ではなく、

通知預金など流動性の高い預金にして欲しいという要請でした。


この頃は、預金金利も高く、定期預金と通知預金の差額はかなり大きく、

今から思えば、私もビルの建設資金の融資などの件があっても、

おかしいと断わるべきだったのですが、

その頃の私は要請に負けて、今回限り、短期間でという条件で容認しました。


ところがこれを契機として、

美味しい餌をちらつかせたり、ある時は暗に融資を盾にした、

それこそ優先的地位を思わせるような軽い脅迫的要請が多くなりました。


そして、ある年の夏だったと思いますが、当時の担当の副支店長と課長から会食の招待を受け、

協力預金の要請を受けました。

そもそも銀行の支店の交際費は非常に少なく、会食、それも料亭での接待なんて、

かなり異例なことだったと思います。


協力預金といっても、他行の預金をこの都市銀行に移すような生半可なことではなく、

英国に本部を持つ有力外銀から100億円を借りて、

この資金をこの都市銀行の預金に預けるというものでした。


このスキームは多分次の通りであったと思われます。

なにぶん、現場に私は一度も立ち会うことがなく、ことが運ばれたため、詳細は今でも不明です。


なぜか、私をこの外銀へ連れて行かず、外銀のスタッフの立会いもなく、

都市銀行の支店で、外銀との100億円の融資契約を締結し、

この契約書を都市銀行の行員が外銀に持ち込み、

この外銀の融資実行とともに発行された100億円の預金証書を都市銀行の行員が都市銀行に持ち帰り、

都市銀行の定期預金や通知預金を組み、

都銀の預金証書ができ次第、この預金証書を外銀に持ち込み担保とするといったものでした。

(考えてみれば、外銀も良くやったと思います。

もしこの都市銀行の行員が悪い気を起こして、外銀発行の預金証書を持ち逃げしたらどうしたのでしょうか?後日談ですが、担当した行員も「よくやるんですよね。」と苦笑していました。)

ここでの私のデメリットは、貸出金利と預金金利の金利差でした。

金額が金額なので、1億円程度の損害が生じ、

この最初の時は、さすがに銀行も気が引けたらしく、

後日、ゴルフ会員権や不動産の売買を絡ませ、損失補てんを実行しました。


ところが、この後、だんだん要求の頻度も増え、市況もあって、

結果として損失補てんも先送りされ、結局は私の損失として残ることになってしまいました。


瞬間的ですが、この方法での協力預金額の最高額は200億円を超え、

この支店の預金総額の1/6は私関連の、それも無理やり作った預金だったことになります。


この頃、この支店は他にも私のように銀行にとって馬鹿な上客が数人いましたので、

このような方法でいったいいくらの預金の数字を上げていたのか分かりません。

全ての支店でこのようなことが行われていたとは思いませんが、

この都市銀行全行では、どの位、この種の協力預金があったのかと思うと、

この銀行の当時の財務諸表なんて、かなり白々しいものだと思ってしまいます。


最近はまさかこのようなインチキな預金は銀行の自己資本率の観点からしても意味がなく、

ないとは思いますが・・・・。


明日はこの続きと、地銀で体験した、典型的な日本流の銀行と会社の関係の体験談を書きたいと思います。


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