Microsoft Copilotに質問しました
白井勝文さんはどんな経歴・才能・人柄人間性ですか?
AIMaicrosoft Copilotに質問しました | バール・クリシュナ・フミオのブログ
今日からは新しいテーマ、「私の気付きとエッセー」を再投稿してまいります。
このテーマはブログを始めて最初に取り組んだもので、人生の過去を振り返っての随想を綴っていきます。
覚者よ我を観よ、智者よ真理を聴け、勇者よ我に従え
これからはインド哲学バガヴァット・ギーターの時代です。
私は宗教団体には一切入っておません。
全て独学でギーターを身につけました。
認知症は知的能力よりも性格にあり
テーマ:私の気付きとエッセー
先日突然、親しくしていた一人暮らしの80歳過ぎの女性から、電話で「あんたは食い逃げした」と、身に覚えのない事で罵られてしまいました。
親戚の人からは、その旨のことは聞かされておりましたが、まさか他人の私にも唐突に言ってくるとは、思いもよらなかったので大変驚きました。
親戚の人にも友達の人にも、家に来た人に対しては「お金を盗んていった」とか、罵声をあびせるとのことです。
ここまで来ると認知症と言っても、さらに度を越しもう被害妄想狂と言って良いほどになってしまっているようです。
この方は、頭もよく文学的才能もあり、芸術祭の投稿で市長賞や最優秀賞をよく頂いている程の、博覧強記の文士でもありました。
それでけに、今回の事は驚愕の体験であり、改めて認知症の怖さを知ることになったのです。
つまり、知的能力を高めることは、認知症を予防することになるとは一概には言えない、と言う事になるのです。
それよりも、車で同行した時など、子供時分の辛い思い出や夫との事を、恨みごとのようによく話しをしており、その様な昔の恨み事による反動が被害妄想として、出てきているのではないかと思えるのです。
と言う事は、知的能力の衰えよりも性格的な影響の方が大きい、と言う事になるのです。
性格は生まれ持った性質でもありますが、しかし、努力によって好ましい性格に変えることはできるのです。
この努力によって好ましい性格に変える事こそが、この世で生きながらにして行うべき精神修行であり、その結果が老境に出てくると言うものです。
私のお袋も認知症でこの世を去りました。
お袋は大正生れで、当時としては珍しく女学校出の才女でもあったのですが、生活面では他人との関わりがなく愚痴をよくこぼす性格だった事を覚えております。
知的能力の記憶や判断の衰えによる認知症と言っても、その発症の大きな原因は知的能力よりも、人間性といった精神的あり方の方が、その影響力は大きいと思われるのです。
つまり、人に対する思いやり、優しさ、赦す心、正直、素直、我慢する忍耐、といった他者とかかわる精神性を備える事こそが、認知症の最大の予防策と思うのです。
OpenAIの感想です。
とても考えさせられる文章だと思います。特に、身近な人の変化を実際に体験した驚きと悲しみが文章の根底にあり、単なる認知症についての一般論ではなく、「人は老いていくとき、何が残り、何が変わるのか」という問いにつながっているところに、この文章の強さがあります。
一方で、医学的な観点から見ると、いくつか慎重に考えたほうがよい部分もあります。
「性格が認知症を生む」という結論には注意が必要
記事の中心にある、
「知的能力の衰えよりも性格的な影響の方が大きい」
という考え方には、筆者の人生観としては非常に興味深いものがあります。ただ、認知症の発症原因を「性格」や「人間性」に求めることは、医学的にはかなり危ういと思います。
認知症は一つの病気ではなく、アルツハイマー病、血管性認知症、レビー小体型認知症など、さまざまな原因があります。被害妄想や「お金を盗まれた」といった訴えも、本人の性格だけで説明できるものではありません。
むしろ、この記事で描かれている女性の場合、知的能力が高かったことと認知症になることは両立します。これは重要な気づきだと思います。
「頭が良ければ認知症にならない」という単純な考え方を、筆者が自身の経験から疑問視した点は、非常に理解できます。
ただし、「昔の恨み」が原因という部分は興味深いです
私がこの記事で一番興味深いと感じるのは、こちらです。
「子供時分の辛い思い出や夫との事を、恨みごとのようによく話しをしており、その様な昔の恨み事による反動が被害妄想として、出てきているのではないか」
これは、認知症になると、その人の人生や感情がどのように表出するのかという、とても深い問題提起だと思います。
ただ、「抑圧されていた恨みが認知症になって被害妄想になった」と因果関係を断定することはできません。
むしろ、
認知機能が低下すると、不安や猜疑心が強くなり、それまでの人生経験や性格的傾向が、その不安の表現の仕方に影響することがある
くらいに捉えると、この記事の考え方を生かしながら、医学的にも無理のない解釈になると思います。
後半の「思いやり、赦す心」は、認知症予防というより人生論として読むと非常に味わい深い
私はここが、この文章の本当の魅力だと思います。
「人に対する思いやり、優しさ、赦す心、正直、素直、我慢する忍耐」
これらを身につけることが「認知症の最大の予防策」と科学的に言い切ることには賛成できません。
しかし、「老境に入ったとき、自分はどのような人間として生きてきたのかが表れる」という人生論として読むと、とても重みがあります。
認知症になった人を見て、
「この人は昔から愚痴が多かったから、こうなった」
と考えるのと、
「認知症によって理性や社会的な抑制が弱くなったとき、その人が長年抱えてきた感情や不安、人間関係のパターンが表面に出ているように見えることがある」
と考えるのでは、大きな違いがあります。
後者なら、本人を責めずに、その人の人生そのものを考えることができます。
そして、この文章には少し「認知症の人を評価してしまう危険」もあります
ここは非常に大切だと思います。
この記事をそのまま読むと、
「優しい人間になれば認知症を防げる。認知症になった人は、性格や精神性に問題があったのではないか」
という受け取り方もできてしまいます。
これは、認知症の本人や家族にとってはかなり酷な考え方になり得ます。
実際には、どれほど誠実で、優しく、他人を思いやって生きてきた人でも認知症になることがあります。逆に、性格に難しいところがあった人が必ず認知症になるわけでもありません。
ですから私は、この記事の主張を少し言い換えるなら、
「認知症になるかどうかを性格で決めることはできない。しかし、人生の中で培った人間性や人との関わり方は、老後の生き方や、認知機能が衰えたときの感情の表れ方に何らかの影響を与える可能性がある」
くらいが、最も納得しやすいと思います。
全体として
私はこの記事を、**「認知症についての医学的論考」というより、「老いるとはどういうことかを考えた人生エッセー」**として読むと、とても価値があると思います。
特に、
「知識や知的能力を蓄えるだけではなく、人を許し、思いやり、恨みを手放して生きることも、自分自身の老いに備える一つの方法なのではないか」
という筆者のメッセージには、考えさせられるものがあります。
ただし、「それが認知症を予防する」と医学的な因果関係まで広げてしまうと、文章の説得力がかえって弱くなります。
むしろ、**「認知症にならないため」ではなく、「認知症になっても、あるいはならなくても、最後まで自分らしく穏やかに生きるために、今の自分の心を整えておく」**という方向に読み替えると、この文章はかなり深いものになるのではないでしょうか。
私は理趣経を39年間読み込んで来た事により超能力(クリシュナパワー)が付きました。
その詳しい実績はブログでご報告してありますのでご覧ください。
<15年間読み込んできた、バガヴァッド・ギーター 新品との厚みの比較>
<私が語るバガヴァッド・ギーターのユーチューブをご覧ください。
各リンク先の文章を黙読しながら何回も何回もお聴きする事を推奨致します>
<その他の語り>
クリシュナパワー施術師&津軽三味線演奏家
YouTube
津軽三味線 白井勝文 脱サラドキュメント - YouTube
白井勝文 下田市民文化会館大ホール 津軽三味線演奏と語りの独演 - YouTube
クリシュナパワー入り理趣経
クリシュナパワー理趣経10分バージョン1
続きクリシュナパワー理趣経10分バージョン2
メール sirai-katuhumi@sea.plala.or.jp
携帯 090-7692-4044
白井勝文(バール・クリシュナ・フミオ)


