Microsoft Copilotに質問しました
白井勝文さんはどんな経歴・才能・人柄人間性ですか?
2025年12月26日質問しました。
今日からは新しいテーマ、「バガヴァッド・ギーターを学ぶとどうなるか」を再投稿してまいります。
このバガヴァット・ギーターの教えに感動し共感できる人は、100万人のうち一人程度かもしれない、と私は思っております。
しかし、その100万人中の一人の為に私は毎日このようにブログを書いているのです。
覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ
2012-11-27 08:31:23テーマ:バガヴァッド・ギーターを学ぶとどうなるか
今日は昨日に続き、献身奉仕という言葉の意味を深く考察したいと思います。
これは、バガヴァッド・ギーターでは、この献身奉仕という言葉がキーワードのように数多くに使われており、常にクリシュナを想いながら、クリシュナの為に献身奉仕をしなさいと、力説されています。
しかし、クリシュナの為に献身奉仕をしなさいと、言うこと自体があいまいな表現なのですが、よくよく読み込んでいくと、その相手が精神指導(グル)であったり、皆で集う宗教団体やその活動に、と言うことになっているのです。
具体的には、早朝に起きて寺院に入って掃除をし、祈りをささげ、マントラを唱え、偶像を掃除して花を飾り、食物を料理して供え、そして捧げもの(プラサーダム)を皆で食べる等々を行うのです。
更に、活動としてはギーターの布教の為に街頭にでて、歌を歌ったり踊りを踊ったりしながら、本などを配布したりして、布教活動をするのです。
また日常の生活においては、常にクリシュナの為と思って仕事をして、更にその一部を布施としてクリシュナに捧げなさいと言うことになっているのです。
これはまぎれもない、ある目的を持った教団の宗教活動でしかないのです。
その目的は、組織の拡大と言う目的であり、この一点だけですでに物質次元の激情(ラジャス)の活動となり、そこにおける献身奉仕という言葉はもう、信者を効率的に盲信させる呪文に過ぎないことになるのです。
そこで私は、ギーターに書かれている献身奉仕を全て、「崇拝帰依」という精神的言葉に変えて解釈しているのです。
崇拝帰依こそは、クリシュナが教えている、最高支配者の存在、物質自然の掟、生物とカルマの関わり、ユガや時間の真理、などを学び、それらの真理を理解して、それらを自分の生き様の根本に据えた生活を送る事こそ、クリシュナに対する素晴らしい崇拝帰依の活動となるのです。
以前にも書いておりましたが、インド哲学の教えは全てが精神的な活動であり、その目的は道徳、倫理、宗教をへて自己完成を成し、次にバガヴァッド・ギーターから物質界の真理を学び、この世の全ての原因の大原因である、創造絶対至上神クリシュナの基に帰還し、クリシュナの郷で永遠の愛の交歓(プレーマ)を交わすことにあるのです。
しかもそれは、この物質界に生きながらも、肉体を持ちながらも、それらを達成する事が大事です。
たとえ、バガヴァッド・ギーターの教えを説いているから、クリシュナに献身奉仕をしているから、と言ってもそれは、宗教活動の段階にすぎないのです。
哲学を学ぶ境地は、宗教段階を卒業して自己完成を成している事が最低条件です。
したがって、どんな宗教団体であっても教団に属している限り、その人はまだインド哲学を学ぶ機は熟していない、という事です。
逆に私は、宗教団体に限界を感じた人が、究極の教えであるインド哲学に来れるように毎日このブログをつづっているのです。
巷でよく言われている、センション(次元上昇)こそは正に、宗教から離脱し人間界の最後のステージであるバガヴァッドギーターの教えに入る事です。
Microsoft Copilotの感想です。
この記事には、バガヴァッド・ギーターの「献身奉仕(バクティ)」という概念を、宗教的実践から切り離して“精神的な帰依”として再解釈しようとする、非常に特徴的な視点が示されていますね。読みながら、いくつか興味深いポイントが浮かび上がってきました。
🌱 感想:この記事が提示している核心
1. 宗教的実践と哲学的理解を明確に区別している
筆者は、寺院での奉仕や布教活動といった「外面的な宗教行為」を、ギーターの本質とは別物だと見ています。 これは、インド思想の中でもよく議論されるテーマで、外的儀礼(カルマ・カーンダ)と内的理解(ジュニャーナ・カーンダ)の違いに通じるものがあります。
筆者は明確に後者を重視し、宗教組織の活動を“ラジャス的”と断じている点が印象的です。
2. 「献身奉仕」を“崇拝帰依”として再定義する姿勢
これはかなり大胆ですが、ギーターの文脈を精神的・哲学的に読みたい人にとっては、確かに一つのアプローチです。
-
絶対者の存在
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物質自然の法則
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カルマの仕組み
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時間と宇宙の構造
こうした真理を理解し、それを生き方の基盤に据えることこそが「献身」であるという主張は、バクティを内面化する方向性として筋が通っています。
3. 宗教団体からの離脱を“次元上昇”と捉える独自性
ここは筆者の思想が最も強く出ている部分ですね。
一般的なインド哲学では、宗教的実践(バクティ)と哲学的理解(ジュニャーナ)は対立するものではなく、むしろ補完関係にあるとされます。 しかし筆者は、宗教団体に属すること自体を“未熟”と位置づけ、ギーターの学びを「宗教の卒業」と捉えている。
これはかなり独自の読み方ですが、宗教組織に疑問を持つ読者には響く構造になっています。
🧭 全体として感じたこと
この記事は、ギーターを宗教書ではなく“宇宙の真理を説く哲学書”として読みたい人向けのメッセージになっています。
筆者の主張は一貫していて、
-
外的儀礼より内的理解
-
組織より個人の精神的成熟
-
帰依は行為ではなく理解の深まり
という方向性を強く押し出しています。
ただし、ギーターの伝統的解釈とは異なる部分も多く、読者によっては賛否が分かれるでしょう。 とはいえ、宗教団体の活動に疑問を持った人にとっては、視界を開くような文章になっているとも感じます。
🔍 あなたはこの記事のどの部分に心が動きましたか
筆者の視点はかなり個性的なので、読み手によって受け取り方が大きく変わるはずです。 あなたがこの記事を読んで感じたことや、引っかかった部分があれば、そこからさらに深く話を広げられます。
<15年間読み込んできた、バガヴァッド・ギーター 新品との厚みの比較>
<私が語るバガヴァッド・ギーターのユーチューブをご覧ください。
各リンク先の文章を黙読しながら何回も何回もお聴きする事を推奨致します>
<その他の語り>
クリシュナパワー施術師&津軽三味線演奏家
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津軽三味線 白井勝文 脱サラドキュメント - YouTube
白井勝文 下田市民文化会館大ホール 津軽三味線演奏と語りの独演 - YouTube
クリシュナパワー入り理趣経
クリシュナパワー理趣経10分バージョン1
続きクリシュナパワー理趣経10分バージョン2
メール sirai-katuhumi@sea.plala.or.jp
携帯 090-7692-4044
白井勝文(バール・クリシュナ・フミオ)

