先ずは、「本当に生きる道、生き方」のテーマから、次のテーマ「これからはインド哲学バガヴァッドギーターの時代」そして9月21日からは「バガヴァッドギーターを学ぶとどうなるか」そして11月11日からは「バガヴァッドギーターをひも説く」を書き始めました。
そして令和5年12月25日で40回シリーズの序説を終了し、次はいよいよギーター第二章戦場でのクリシュナと友のアルジュナとの宗教哲学問答70回を12月26日から始めました。
尚、第一章はクリシュナの友アルジュナが、従兄弟や親族や恩師と戦わなければならなくなったその経緯や戦場での様子が書かれている内容の為割愛しました。
<15年間読み込んできた、バガヴァッド・ギーター 新品との厚みの比較>
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各リンク先の文章を黙読しながら何回も何回もお聴きする事を推奨致します>
<その他の語り>
2014-04-01 07:37:31テーマ:バガヴァッド・ギーターをひも説く
生物が他を殺す、また他から殺されると思うのは、彼らが真実の相を知らないからだ。知識ある者は自己の本性が殺しも殺されもしないことを知っている
<ギーター2章19節>
人間の肉体は戦って殺そうとしても、人間の本性である魂は精神であり、物質であるどんな武器をもってしても殺すことは不可能である。
つまり、精神体である魂を物体の武器をもって殺すことはできない、と言うことです。
その根本理由は、魂という精神体と武器という物質体の本質的に違いがあるからなのです。
殺されたとか、殺されるだろうとか言うのは、生物がまとっている肉体のことだけなのです。
しかし、この論拠は非常に危険な理屈であり、これをご都合解釈して、この処の部分だけを利用することは断じてなりません。
この物語自体、戦闘に到るまでには、非道な原因があり、クリシュナ自身も和平交渉をしているのです。
にもかかわらず、相手が戦いをもって決着を図ることを望んだこと、お互いがクシャトリアと言う責務を負った者同士の戦いである事、これらの状況がある上での、クリシュナの迷わず戦えと言った諭しとなっているのです。
したがって、「人間の本性は魂である、しかるにどんな武器をもってしても殺すことは不可能である」と言った、この部分だけをとらえて、他者を殺しても差し支えない、と言う理屈は言語道断です。
法治国家で生活するものは、当然ながら法律に基づいた行動が要求され、法を犯した者は罰せられなければなりません。
しかしそれは物質界における罪の罰であるが、もう一つ神の法によっての厳しい魂のカルマの裁きも受けなければならないのです。
アルジュナの場合は、道義に基づいてクシャトリアとしての責務を果たす為の戦闘であり、決して気まぐれに人を殺そうとするものではないのです。
第二章<P169>
このバガヴァット・ギーターの教えに感動し共感できる人は、100万人のうち一人程度かもしれない、と私は思っております。
しかし、その100万人中の一人の為に私は毎日このようにブログを書いているのです。
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