私は2021-04-06から今月12日まで、テーマ:リブログ・YouTube・ニュース・記事として、リブログ記事を927件出し続けてきました。

そのお陰で、今世界で起きているあらゆる動向を把握することを、色々な識者から知ることが出来ました。

そして、うんざりするほど、今の世の中が腐敗しきっている実態が嫌と言うほど分かりました。

ここで大事な事は、そんな世の中にあって、自分としては「じゃ~どうするのだ?」という問いが問われたのです。

今迄は他人様のリブログ記事で、世の中の実態を訴え続けてきましたが、これからは自分がインド哲学バガヴァッド・ギーターを学んだ事を生かしていく時期到来、と悟りました。

幸い、ブログを書き始めた2011年5月から、膨大な「活き方や精神哲学の投稿記事」がありますので、テーマ別に再投稿をしていきます。

この頃は61歳で知力もあり、毎日30分程度で色々なテーマで記事をアップしてきました。

今読み返してみると、良くもこんな記事を毎日下書き無しで30分程度でアップできたと、自分ながらも驚いています。

それでは、これから再投稿記事を毎日、何日か分をアップしていきますのでご覧いただければと思います。

とりあえずテーマをまとめて再投稿していきます。

できれば、内容をプリントアウトし冊子にして、何回も何回も読み返すことを推奨いたします。

きっとその都度新たな気付きを得ることが出来ると思います。

 <15年間読み込んできたバガヴァッド・ギーター>

 

それでは本当の活きる道 活き方のテーマから始めます。

 

自殺者を救う難しさ

2012-03-30 07:46:59テーマ:本当の活きる道 活き方

 

平成9年を境に、我が国の自殺者数が一気に3万人台に激増し、その後も3万人台を維持していると言った、異常事態が続いています。

この一気に3万人台に激増した年をみると、山一証券や大手銀行の破たんがあり、経済的に大恐慌に突入した年でした。

その後も、3万人台を割ること無く推移している事は、経済的には厳しい状況が続いている、と言うことなのです。

端的に言えば、生きて行くことが非常に大変な時代に突入した、と言うことを物語っていることなのです。

今の時代は貨幣経済であり、お金を稼ぐために仕事をしなければ生活できない時代となっています。

国がまだ一次産品国の経済で回っていた時代では、肉体労働でまじめに働いていれば、仕事にもありつけ生活はできたのです。

しかし今の時代は、企業自体も世界の企業を相手に、低賃金国との価格競争をしなければならず、結局そのしわ寄せが末端労働者に来ていると言うことなのです。

そのため、就職するのには非常に厳しい生存競争を余儀なくされてしまうという訳です。

そのうえ今では、高度な技術社会になっている為に、高度な知的や技術を必要とする労働か、逆に誰でも簡単にできる単純作業に労働形態が変わっているのです。

ここに学力格差による就職の壁と、生産技術の向上やOA機器の進歩によって、パートや派遣社員で十分であると言った、非定期低賃金労働が主流となってしまったのです。

一言でいえば、生活をしていくのには非常に厳しい時代となってしまった、と言うことなのです。

当然、高度な仕事に付いても、単純作業に付いても、いずれも精神的ストレスにさらされ、厳しい生存競争をさせられる状況になっている、と言うことです。

なぜ自殺してはいけないなのか、それは魂の修行をする為に与えられた肉体を殺すことになるからなのです。

人間は、魂の修行をする為に肉体と言う道具を与えられた訳で、その道具を自ら壊して、魂の精神修行を放棄する事になるからなのです。

自殺をしてしまう、という背景は色々あると思います、そしてその人達を救おうとする人もいます。

しかし、他人を救おうとする人も、同じ精神次元での救助であるならばそれは、一時的であり根本的ではないのです。

例えて言うならば、大海原で泳ぐのを諦めて溺れる人を、助ける人も同じ大海原で泳いでいるという事であり、両者とも物質文明の激しい大波にのまれての一時的な救助でしかできないと言うことなのです。

この様に、社会全体が高度な物質文明であること自体がすでに、自殺者を救うことが非常に難しい世の中である、と言うことなのです。

その根本的解決を図るには、自分の考え方を物質次元から、精神次元の視点に変えての行動しかない、と言うことになるのです。

その精神的知識を得る為には、インド哲学バガヴァッド・ギーターを学ばなければ、それは不可能です。

このバガヴァット・ギーターの教えに触れることの出来る人は、100万にのうち一人程度の確率と、私は思っております。

しかし、その100万人の中の一人の為に私は毎日このようにブログを書いているのです。

覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ

 

 

最上の幸福(しあわせ)とは

2012-04-03 08:01:06テーマ:本当の活きる道 活き方

 

私が30歳で、仕事と家庭の板挟みとなって苦しんでいた時、本当の幸福(しあわせ)とは何であるかと、疑問を持ち始めたのです。

そんな時に出会った釈尊の言葉に感涙し、以後この言葉を常にかみしめて人生を歩んできました。

自分は一生懸命、家庭の幸せをつくる為と仕事に打ち込み、日々努力を重ねていたのです。

その為には、日曜日も休まず毎晩10時過ぎまで仕事をしていて、家庭の方はほったらかしにしていたのでした。

当然、女房からは不満は出るし、子供にも父親として育児も放棄していた事になっていたのです。

結局、「自分は家庭の為にと」大義名分を振りかざしていても、実際は女房子供が悲しんでいるのであれば、それは本当の善き行為ではない事になっている、と言う事に気づかされたのです。

二十代においては、仕事に対してとことん、身体と知力を以って色々な事を体得する必要があり、この若い時代には理屈よりも体得すると言うことが大事な時期なのです。

またその他にも、仕事にかこつけてゴルフに夜フにマージャンと、若い時は遊びまわってしまうこともあるのです。

しかし、仕事や遊びに没頭するにしてもそれも程度問題であり、それは結局、家族に悲しみを与えては本も子もない、と言うことに気づかされたのでした。

釈尊は、最上の幸福(しあわせ)とは何かの教えで、次のような事から説かれていました。

 

我らが求める、「最上なる善きものは何であろうか」

この問いに対しては「それは幸福に他ならない」と、たいがいの人の答えはほぼ一致する。

ではひとたび、「幸福とは何であろうか」。

と言う問いになれば人々は、それぞれその見解を異にしている。

ある人は財の豊かさを、ある人は名誉なることを、またある者は、いつまでも若く健康であることをと、さまざまにその見解を違えてくる。

ではいったい人間にとって本当の幸福とは、どんなものであろうか。
釈尊は人間の成長に応じて、様々な生活において、様々の幸福を説きついに、最上の幸福に説き至っている。
それはかの祇園精舎においてのことであった。
世の人々はことごとく、様々の幸を願い、様々の吉祥を念ずるが、願わくは、我がために最上の幸せを語りたまえ。
かように問える者のあった時釈尊は、それについて次のように語り教えた。

 

この問いにおける分析で、この段階においては、人間の個々の幸福感というものは一様ではなく様々であり、それもその人の境遇によって変わっていく、と言うことが分かります。

釈尊の我々に対するこの質問ひとつとっても、幸福(しあわせ)にたいする本質が示されている様で、非常に感動したのです。

今回は、この後に示されている、釈尊の本当の幸福(しあわせ)について、数回にわたって解説していきたいと思います。

 

 

<バガヴァッド・ギーターの語り動画をご覧ください>

バガヴァッド・ギーターとは 

第二<章 ギーターの要旨 <魂の神秘> 

二羽の仲良い鳥 

瞑想(ディアーナ・ヨーガ) 

絶対者についての知識

物質自然の三様式(トリグナ)

 

クリシュナパワー施術師&津軽三味線演奏家

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白井勝文 下田市民文化会館大ホール 津軽三味線演奏と語りの独演 - YouTube

白井勝文の三味線弾き語り 清水次郎長と咸臨丸事件 - 

 

クリシュナパワー入り理趣経 

クリシュナパワー理趣経10分バージョン1
続きクリシュナパワー理趣経10分バージョン2

 

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白井勝文(バール・クリシュナ・フミオ)