私が30歳で、仕事と家庭の板挟みとなって苦しんでいた時、本当の幸福(しあわせ)とは何であるかと、疑問を持ち始めたのです。


そんな時に出会った釈尊の言葉に感涙し、以後この言葉を常にかみしめて人生を歩んできました。


自分は一生懸命、家庭の幸せを創る為と仕事に打ち込み、日々努力を重ねていたのです。


その為には、日曜日も休まず毎晩9時過ぎまで仕事をしていて、家庭の方はほったらかしにしていたのでした。


当然、女房からは不満は出るし、子供にも父親として育児も放棄していた事になっていたのです。


結局、「自分は家庭の為にと」大義名分を振りかざしていても、実際は女房子供が悲しんでいるのであれば、それは本当の善き行為ではない事になっている、と言う事に気づかされたのです。


二十代においては、仕事に対してとことん、身体と知力を以って色々な事を体得する必要があり、この若い時代には理屈よりも体得すると言うことが大事な時期なのです。


またその他にも、仕事にかこつけてゴルフに夜フにマージャンと、若い時は遊びまわってしまうこともあるのです。


しかし、仕事や遊びに没頭するにしてもそれも程度問題であり、それは結局、家族に悲しみを与えては本も子もない、と言うことに気づかされたのでした。


釈尊は、最上の幸福(しあわせ)とは何かの教えで、次のような事から説かれていました。


我らが求める、「最上なる善きものは何であろうか」(音声)

この問いに対しては「それは幸福に他ならない」と、たいがいの人の答えはほぼ一致する。

ではひとたび、「幸福とは何であろうか」。

と言う問いになれば人々は、それぞれその見解を異にしている。

ある人は財の豊かさを、ある人は名誉なることを、またある者は、いつまでも若く健康であることをと、さまざまにその見解を違えてくる。

ではいったい人間にとって本当の幸福とは、どんなものであろうか。
釈尊は人間の成長に応じて、様々な生活において、様々の幸福を説きついに、最上の幸福に説き至っている。
それはかの祇園精舎においてのことであった。
世の人々はことごとく、様々の幸を願い、様々の吉祥を念ずるが、願わくは、我がために最上の幸せを語りたまえ。
かように問える者のあった時釈尊は、それについて次のように語り教えた。


この問いにおける分析で、この段階においては、人間の個々の幸福感というものは一様ではなく様々であり、それもその人の境遇によって変わっていく、と言うことが分かります。


釈尊の我々に対するこの質問ひとつとっても、幸福(しあわせ)にたいする本質が示されている様で、非常に感心したのです。


今回は、この後に示されている、釈尊の本当の幸福(しあわせ)について、数回にわたって解説していきたいと思います。


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これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。

バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。

私は宗教団体には一切入っておません。

全て独学でギーターを身につけました。

私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず

私はその人の、独立個人、自尊独立を尊重します。

人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。

バール・クリシュナ・フミオ