安全地帯の曲の中で、ファンでなくても知っているようなヒット曲よりも、アルバムにしか収録されていないような曲が好きなのですが。。。



昨年秋、甲子園で聴いた、

「恋の予感」
「碧い瞳のエリス」
「Friend」

この3曲、立て続けに生で聴いて、

「あぁ。。。やっぱりいい歌だよなあ~🎶」

と改めて思ったにも関わらず、その時のブログには、


「往年の名曲…」


とだけしか書いてありませんでした😅



松井五郎さんの本のタイトルでもある

「Friend」






先月のWOWOWでの放送の後、何となくこの曲を弾いてみたくなり、辿々しいギターで弾いてみました。


いろんな曲、この曲はこのイメージ🎶、と感じるものは人それぞれだと思うのですが、私の場合、


「銀色のピストル」は遠くから微かに聴こえてくる、「ピュー」という笛のような音。

最近の「真夜中すぎの恋」では、怪しげなテルミン。

「熱視線」では、パンパンと聴こえる破裂音のような音。


「Friend」は、これ以上哀しいイントロは無い、と思うようなピアノ?エレピ?。

と思っていました。

が…


「悲しくなる~」の後のコード、Asus4-Aの「A」のコードを弾いた時、全てのこの曲のイメージは、この「A」の響きなんじゃないか?


という、なんだか不思議な感覚になりましたねびっくり


アルバムでも、過去のLIVEでの演奏でも、この音が特に強調されているというわけでもなく、この部分は、きれいなストリングスが聴かせどころだと思うのです。


でもその時改めて弾いてみて、特におしゃれなコードでもないような気がするのですが、私にとってはとっても魅力を感じる音の響きでした✨


その後に続く間奏は、門田さんのサックス。アルバムではオーボエだと思いましたが、どちらのソロも感情豊かで涙を誘います。




甲子園で聴いた、アウトロの一番最後の武沢さんのギターの響き✨(このコードはなんだろ🙄❓)


哀し過ぎる余韻に浸ります。







私の勝手な妄想🤔💭で書くこのブログに、「往年の名曲」を好き勝手に書いてしまっていいものか(私が今まで書いてきた曲はどう書いてもいいというわけではありませんが(^^;;)

と思ったんですがね(^^;;…




甲子園でも、この「Friend」を歌った後、まだ曲が終わりきらないうちにステージから捌けてしまう玉置さんを見るのは、この後再び戻ってくると分かっていても、何だか悲しくなってしまうのです。

それだけ、この曲のメロディーや歌詞が切なくて、自分がこの曲の物語の中に入り込んでしまったかのような錯覚に陥ります。



この曲のタイトル「Friend」の意味。
玉置さんが歌番組で説明している映像。

当時、自分の目で観たのか、それともYouTubeで観たのか…🙄

そんな記憶も定かではないのですが、男女の関係が、友達という関係に…


本意では無い「友達」なんでしょうけれど…











曲の冒頭から「さよなら」という詞。切ない😢

その後に続く「だけ」。


この部分の歌詞、昔から聴いているのになぜかず~~~っとうる覚えで(^^;;


「さよならさえ」
と歌ってしまいそうになるのですが😅…


「さよならだけ」と
「さよならさえ」


つながる詞でも意味が変わってきますが、どちらにしても哀しい歌詞の序章ですね。


きみの影の中に
いま涙がおちてゆく



つめたくなる
指・髪・声
ふたり暮らしてきた
香りさえが 消えてゆく



Aメロ、A'メロ
ここだけで、全体的にモノクロのイメージが浮かんできます。



いかに、玉置さんが歌う安全地帯の世界観を表現するか。






松井さんの言葉として以前に書いたブログですが、歌詞とブレスの他にも、


「つめたくなる」は「触覚」
「指・髪」は「視覚」もあり「触覚」もあり、
「声」は「聴覚」

「ふたり暮らしてきた 香りさえが 消えてゆく」は「嗅覚」


松井さんが詞を書く時に大事にしている「五感」がフルに使われています。


冷たくなるのは、「指」と「髪」ですが、「声」までも「つめたく感じる」…


今までの想い出までもが、全て冷たくなってしまうかのよう。




想い出には
できないから
夢がさめてもまだ
夢みるひと 忘れない


この部分では、本意では無い別れを感じる。
今までのお互いの想いを
「想い出にはできない」


「夢がさめても」の部分、「さめても」は敢えてひらがなにしてあるのか?


「冷める」
「覚める」
「醒める」


聴く人のイメージで、どの字を当てはめても意味があるように。


そして、今までの出逢いは夢の中の出来事だったか…
のようにも感じ取れます。



自分自身を納得させるかのように歌う、

「もう」
「心から」
「みつめても」   Friend…


悲しくなる

ここでの「悲しくなる」は音が下がっていますが、2番の

「やさしく」と「今日から」は、音が下がらず、そのまま継続していくような音の感覚。


特に最後の

「今日から Friend~」


明日からではない、「今」ここから…

Friend…



吹っ切るための全ての想いをのせて…

(ここでステージをあとにする玉置さん)


本当に終わりなのか…という寂しさが込み上げてきますね。




この曲を考えるにあたり、やっぱり先程の松井さんの本をもう一度読まずにはいられませんでした。



愛を果たせない不安な現実の中で、彼は怯えていた

「愛するだけでは愛にならない」ただ残酷なまでに作詞家でしかなかった

そしてただその歌だけが残った




この辺の言葉が、「Friend」という曲ができた頃に匹敵するような気がしました。


この頃、ほぼ玉置さんと行動を共にしていた松井さんでないとわからない想い。


本人でさえも分からなくなっていた想いを、松井さんが代弁しているかのようにもとれます。



当時玉置さんは、松井さんの付けた歌詞、何も言わずに黙って歌う。
嫌だったら絶対に歌わなかったとか。



この曲を歌った玉置さんは、自分自身の中の何かを吹っ切るために、敢えて歌うことを選んだのかな。。。





今となっては知る由もありませんが、当時は何かにつけ周囲に勘繰られてしまう状況。


それを分かっていながらも、歌う選択肢を選んだのかも知れませんね。




お互いがお互いを想いながらも「Friend」になる。

恋人同士から友達という関係に戻れることは有り得るのか…