人生をアートで埋める -8ページ目

引っ越しを決める

突然だが、引っ越すことにした。
先日妻と不動産会社をまわり、いくつかの物件を見た後、その場で決めてしまった。
現在住んでいるところは名古屋市の千種区というところだが、同じ区内の別の場所に移ることになる。間取りは今の1LDKから2DKとなり、全体的に多少広くなる。

ぼくは、20歳の誕生日を迎える直前に実家を出て一人暮らしを始めた。天白区というところで、6畳の1Kだった。通っていた大学に比較的近かったことと、当時の親友が近くに住んでいたから、という理由でそこに決めた。それから10年間、ぼくはそこで暮らした。10年が過ぎ、30歳になった直後に引っ越した。ぼくの20代のすべてはその部屋ととともにあったわけだ。
そういえば、最後の夜は、ちょうど佐野元春のライブが名古屋であった。2004年、アルバム『ザ・サン』リリース後の全国ツアーだった。ぼくは一人で観に行った。アルバムタイトル曲の「太陽」を聴きながら涙ぐんだりした。万感の思いを胸にぼくはステージ上の佐野元春を見つめていた。ライブが終わり、一人で部屋にもどり、徹夜で荷物を整理して引っ越したのだった。

引っ越した当初は、トイレと風呂がそれぞれ分かれていることにまず感動した。一人で住むには充分に広かった。ただ、住んでみるといろいろと問題点も多く、あまり好きではなくなっていた。結婚するとき、引っ越すことももちろん考えたが、韓国人である妻が、とりあえず日本での暮らしに慣れてから一緒に気に入った部屋を探そうと思ったので、そのまま二人で暮らすこととなった。そうして1年と3ヶ月が過ぎ、ようやく二人で引っ越すということになった。これから荷物の整理など大変だが、なんとか乗り越えたい。
新しい部屋、新しい街、新しい暮らし。新鮮な気持ちでまた歩き出してみたい。

藤子・F・不二雄大全集が気になる

知人から、藤子・F・不二雄の全集が出るらしいよ、という情報をもらった。早速インターネットで調べると、すでに特設サイトができている。発行元は小学館だ。

藤子不二雄はもともと藤本弘(藤子・F・不二雄)と安孫子素雄(藤子不二雄A)の二人のユニットとして活動し、1987年にコンビを解消、それぞれ個人名として再スタートをきった。

ぼくにとって藤子不二雄は幼い頃から親しんできた漫画家であるが、どちらかというとAのファンだった。特に自伝的な作品である『まんが道』という作品が大好きで何度繰り返して読んだかわからない。よく知られていることだが、Fが『ドラえもん』や『パーマン』『キテレツ大百科』など、親しみやすく良質な子供向け作品を多く描き続けたのに対して、Aは劇画の影響を受けたブラックなテイストの作風が特徴で、大人向けのものも多い。『怪物くん』や『魔太郎がくる!』などがそのいい例だが、絵柄も泥臭く、ぼくの好みに合うのだった。ただ、Fが嫌いなわけではまったくない。特にSF色の強い短編はものすごいスケールで、天才的な冴えを感じさせた。ストーリーテリングに関しては圧倒的にFの方が卓越している、という印象を持っている。恐らく多くの漫画ファンもそう思っていることだろう。

ところで、全集というものはそれだけで大変魅力的だが、ぼくは買いそろえたことがほとんどない。全巻持っているのはヘンリー・ミラー全集13巻と、漫画家でいえば真崎守選集20巻だけで、三島由紀夫や小林秀雄の全集が数年前に刊行された時も数冊買って挫折したし、ジョルジュ・バタイユ著作集、つげ義春全集なども全巻そろえていない。高橋和巳全集や澁澤龍彦全集なども古書店でセットで売っているのを見ては、その金額にため息をつくばかりだ。結婚してからは本を置く場所に関して、妻の許しをもらうというのが困難でもある。

藤子・F・不二雄。この機会に読んでみたいという気がしないでもないが、どうせ挫折するだろうな、という思いも強い。だが、妙に気になる。コンプリートに作品がそろえられるというのはすごく魅力的で、本好きにはたまらない企画なのだ。

片岡義男を読む

ハヤカワ文庫より、「片岡義男コレクション」と銘打って、片岡義男の膨大な短編の中から評論家がセレクトした、いわばベストアルバム的な短編集が2冊刊行された。6月にはもう1冊でるらしい。
ぼくは3、4年前から片岡義男にはまり、新刊も含めて彼の著作を買い集めた時期があった。彼は1980年代から90年代にかけて、驚くほど本を出している。角川文庫だけで100冊近いのではないか。そうした本をブックオフで100円で買いそろえるのが、ぼくの一つの趣味なのだった。正確には数えていないが、ぼくも100冊ぐらいの本をすでに所有している。所有しているだけであって、全部読んでいるわけではない。買うことに意味があり内容はその次だという、その哲学そのものをぼくは片岡義男から学んだのだ。
『花模様が怖い』『さしむかいラブソング』というタイトルが付された今回の2冊に収録してある短編もほとんどすでにぼくが持っている本に入っているものだったが、読んでいないものばかりだった。だからこれを機会に読んでみた。それらは、予想を遥かに超える面白さだった。地下鉄で通勤途中に読んでいて、夢中になったあまり降りる駅を通り過ぎてしまったくらいだ。
『花模様が怖い』はハードボイルド系の作品が多く収められている。汗臭さや血生臭さは皆無で、とにかくクールな世界が描かれる。当然人が殺される場面が多く出てくるのだが、とても残酷で陰惨な世界が、全く無機質に、情景のアウトラインのみを淡々と表現している。緻密に言葉だけを積み上げた独特の世界だ。『さしむかいラブソング』は恋愛小説を中心とした短編集だが、これも同様。感傷や叙情はほとんど排除され、どこまでも明晰な男女が日常の中で微妙に変化していく、その過程を切り取ったような物語。そして、不思議な読後感が残るのだ。
片岡義男は、孤高の作家だと思う。彼のような作風の作家は世界的にも稀なのではないか。そして一度それに魅了されると、彼の作品世界に浸ることが、いや彼の文章を目で追いかけること自体が快感になってくる。またブックオフを回って彼の文庫本を買い集めようか、とぼくは思っている。
true-片岡義男

とりあえずブログを書く

ものすごい勢いで毎日が過ぎていく。一日一日を乗りこえるのに必死だが、過ぎてみればアッという間である。毎日毎日、いろいろなことがある。そして、何もない。平凡な毎日だが、実はどこにも存在しない、自分だけの毎日。悩んだり落ち込んだり、喜んだり幸せを感じたりしながら、日々は過ぎていく。人生を大きく揺さぶるような大きな決意も、明日になれば虚しくて消えてしまう。そんなことの繰り返しだ。

とりあえず、今日という日。
日曜日、朝起きて一人で新聞を読み、またベッドに戻り寝る。昼前に起床。妻が朝食を作ってくれて食べる。2時に会社に出て、車に乗ってとあるデパートまで仕事で出向く。車中、去年の3月にNHK-FMで放送された杉真理の特番をカセットに録音したのだが、それを久しぶりに聴いていた。ゲストの竹内まりやとのトークは何度聴いても素晴らしい。7時頃に会社に戻り、家に帰る。夕食は焼き肉。韓国風だ。おいしかった。
急に聴きたくなって、久しぶりにセルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンのアルバムを聴く。素晴らしい。YouTubeで彼らの映像を見ていたら、横から妻が「いいねえ、私たちもこういう風に生きよう」と言った。こういう風に「自由に」生きようという意味だろう。まったくだな、と思う。
先日インターネットを通じて、古本を購入した。ヘンリー・ミラーの『わが生涯の日々』という本だ。講談社から出ている。訳者は河野一郎。A4サイズよりひと回り大きいサイズの立派な本だ。パラパラとめくりながら少しずつ読んでいる。ヘンリー・ミラーの本を読むといつもクラクラする。たとえばこんな文章に出会うと。

「わたしは他の作家のようには考えない。たしかにわたしの書き方は、映画作家が脚本を書くのとはまるで違っている。映画作家は、作品を的確に仕上げるためには、実に多くのことを考慮に入れねばならない。だがわたしは、的をはずそうとどうしようと気にしない。書いているーそれが大事なことだ。何を書いたかではなく、書くこと自体が大事なのだ。なぜなら、書くことはわたしの人生だからだ。書くという純粋な行為そのものが、もっとも大事なのだ。わたしが何を言うかは、さして重要ではない。書いたものはしばしば馬鹿げており、無意味で矛盾に満ちている。ーしかしそんなことは少しも気にならない。楽しかったか?自分の中にあるものを表現したか?それが大事なのだ。」

これを読んで急にブログでも書こうと思った。相変わらず単純な性格だ。
true-ヘンリーミラーの本

結婚1周年を迎える

先日、結婚1周年を迎えた。その当日は仕事だったので、2日前の日曜日に二人でささやかなデートを楽しんだ。
映画でも観ようということになり、気になっていたブラッド・ピット主演の『ベンジャミン・バトン』を目当てに映画館に行ったのだが満席だったので、急遽ウィル・スミス主演の「7つの贈り物」に変更した。何の予備知識もなく観たのだが、意外にこれが拾い物でなかなか面白かった。自分のミスで恋人(妻?)や数人の死者を出す自動車事故を起こしてしまった主人公のウィル・スミスが、罪を償うために、不幸な境遇にある人々を助けていくという話で、一見安易な展開になりそうなところを、ウィル・スミスがミステリアスな人物として描かれたことによって最後まで謎解き感覚で楽しめた。ただし、隣で観ている妻が途中から気分が悪くなり一人で退室する事態もあり、あまり集中はできなかった。映画館を出ると妻の気分も良くなりホッとした。
夕方からは居酒屋で食べ放題飲み放題のコースを頼んでお腹いっぱいになるまで食べて飲んだ。その後、高層ビルの最上階にあるバーに行き、窓いっぱいに広がる夜景を見ながらカクテルを飲んだ。お互いに用意したプレゼントを交換したりして、いろんなことを話した。結婚記念日だと言うと、お店からワインのハーフボトルを差し入れてもらった。いい夜だった。
月並みな表現だが、1年というのはアッという間だった。様々なことがあったし、振り返ってみればいろいろと濃密な時間を過ごしてきたと思うのだが、それでも早いな、と感じる。日本と韓国、両方で婚姻届を提出するために書類をやり取りしたり、結婚式の手配、日本で暮らすための手続きなど、最初はかなり大変で面倒なことも多かったが、とりあえず無事に日本で暮らせていることに感謝したい気持ちだ。
先日妻には3年のビザが出た。そしてアルバイト先も決まり、彼女は働き始めた。1年経って、また新しくぼくたち二人の生活も動き始めたと思う。
結婚とは何だろう、と考える。それは少なくとも、二人で生きていくということだ。この1年で、ぼくは一度も淋しいと思ったことはなかった。1秒たりとも孤独だと思ったことはなかった。自分は一人ではない、という感覚は新鮮だった。いや、ぼくは一人でも全然平気な男だったのだが、一人ではないという感覚は、ぼくの生活のとてつもない支えになったと思う。今この文章を書きながら、そのことに気づいた。
結婚っていいものだな、と現在のぼくは思う。
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