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今日のお題は、マクドナルド創業者

 

レイ・クロック

 

1 生い立ち
2 レイ・クロックの受けた教育

3 母 ローズ・クロック

4 マクドナルドとの出会い 
5 ユダヤの教え

  の5本です。

 

 本日の担当は、クルーNO.2002

MARUMOMOMOです。

 

折れない心
生きる力を育む
教えないという教え
VOL.4

 

今日は
ハンバーガー『マクドナルド』

ファウンダー(創業者)

『レイ・クロック』についてのお話です。

 

 

今では誰もが知るマクドナルドは、最初はハンバーガーショップとして儲けることができず、自宅を担保にして差し押さえ寸前にもなりましたが、不動産業として現在の企業展開に成功した会社です。

 

では、よろしくお願いします。

  

引用-AmazonKindle
キツネとぶどう畑
折れない心と生きる力を育む絵本
著:MARUMOMOMO
 SAKUCHIN

 

  生い立ち

 

レイ・クロックは1902年10月5日にイリノイ州シカゴで生まれました。彼はユダヤ系の家族に生まれ、父親のヘンリー・クロックは音楽家であり、母親のローズ・クロックは主婦でした。

 

彼は兄弟姉妹の中で一番下であり、家族との絆は彼の人生において非常に重要な役割を果たしています。

 

クロックの家族は貧しい環境で育ちましたが彼の両親は彼に教育の重要性を教え、『努力と信念を持つこと』の大切さを強調しました。

 

彼の父親は彼に「成功は努力と忍耐の結果であり、信念を持って困難に立ち向かうことが重要だ」と教えたのです。

 

クロックは学校での教育を受ける一方で、若い頃から起業の道に興味を持ちました。学校での勉強に加えて、新聞配達やピアノのレッスンなどのアルバイトをして自己啓発に努めました。

 

彼はユダヤ人の教育の一環としてビジネスの基礎を学び、自己成長を追求したのです。

 

クロックは15歳の時に高校を中退して年齢を偽り軍隊に入ったそうですが、そこにはあのウォルト・ディズニーもいて後年『ディズニーランドでマックを売らせて』なんていう逸話も残っています。

 

第2次世界大戦終結後いくつかの仕事を経験しましたが、彼は自分自身のビジネスを持ちたいという夢を持ち続けていました。

 

  レイ・クロックの受けた教育

 

我が国の教育は、良い学校に入り良い会社に就職する事をゴールにしています。そしてこの様な受験勉強に特化して得た知識は他に応用が効きません。

 

 

 

 

そんな子供達が突然親や財産を失い、そこから立ち直って生きていけるのかというと、それは難しいと言わざるを得ないと思うのです。

 

 

ただ平和な福祉国家である我が国では、突然財産や両親の命を奪われるような事が起こる可能性は極めて低いのですが、多様性と変化の激しい現代において、これからを生きる子供達に強くしなやかな心を育てる教育が必要だと思うのです。

 

長い人生の中で、つまずくことも無く幸せに暮らす人もいるでしょう。

ただ、障害・貧困・イジメ・不登校・うつ病・引きこもりなど

どこかでつまずいた時

 

『受験勉強で培った知識』は

『生きる力』

にはならないと思うのです。

 

生きる力とは、

壁に立ち向かい

乗り越える勇気です。

 

世界人口の僅か0.2%ほどのユダヤ人は我が国とはまったく違う教育、

原理原則を重視して子供を育てて多くの偉人を輩出してきました。

 

それは、長い迫害の歴史で伝えられて来た

『目に見える財産はいとも簡単に奪われる。ただ、知識だけは何人たりとも奪う事はできない』という考えに根差した家庭教育が、彼らの子供達を強くしなやかに育てるからなのです。

 

 

誰もが知るマクドナルドの元CEOで怪物と呼ばれたレイク・ロックもそんなユダヤの血を引く一人なのです。

 

 

  母 ローズ・クロック

 

レイ・クロックの母親ローズ・クロックに関する具体的な逸話は限られていますが、彼女が彼の人生において重要な役割を果たしたことはよく知られています。

 

一つの逸話として、レイがマクドナルドのフランチャイズを購入する前に、彼が母親に相談したという話があります。

 

彼は母親に「マクドナルドのフランチャイズを買うべきかどうか」と尋ねました。

母親は彼に対して「あなたが信じるならそれをやりなさい。私はあなたを信じているわ」と答えたと言われています。飛び出すハート

 

この逸話は、母親がレイの夢や目標を支持し、

彼が自身の直感に従うことを奨励したことを示しています。

 

【重要】ユダヤの家庭教育は、幼少期からリスクとリターンについて徹底的に考えさせる教育を施すため、単純に直感を推奨しているのではないことに注意が必要です。

 

 

 

また、レイが成功を収めた後も母親は彼を支え続けました。彼女は彼の成功を喜び、彼が慈善活動や社会的責任を果たすことにも積極的に関与しました。彼女は彼の人生において常にそばにいて、彼の成功を祝福したのです。愛

 

これらの逸話は、ローズ・クロックがレイの人生において愛情とサポートを提供し、彼の夢や目標を支持したことを示しています。

 

彼女の存在は彼が困難に立ち向かい、成功を収めるための力となったのです。

 

 

  マクドナルド

 

 

 

戦争の終結に伴い、彼は厨房機器メーカーに入社しシェイクを作る、ミキサーを販売をするセールスマンになります。

 

日々ミキサーを販売する営業活動の中で1台売るのにも苦労するのに、カリフォルニアにあるハンバーガーショップから一度に8台の注文を受けたのです。びっくり

 

彼は驚き、自らそのハンバーガーショップを訪ね、さらに驚愕するのです。

そのお店こそ「マクドナルド」

 

注文してすぐにハンバーガーが出来上がる。

(お店のポリシーは注文後30秒)

おまけにお皿もフォークもない。

紙に包まれたハンバーガーは、どこでも食べられて食器を洗う手間もない。

 

当時、現在のマクドナルドの様な完全分業でマニュアル化されたテイクアウトの清潔なお店は稀有な存在だったのです。

 

彼は、その店のオーナー・マクドナルド兄弟に大規模なフランチャイズ化を提案しますが断られてしまいます。そして彼自身の奥さんにも賛同は得られませんでした。

 

ただ彼が両親に受けた教育は『成功は努力と忍耐の結果であり、信念を持って困難に立ち向かうことが重要だ』という物事の考え方であり、レイは様々な苦難に立ち向かって行きます。

 

マクドナルド兄弟とフランチャイズ権を得る契約にたどり着き、事業を展開しますが資金に困って破産寸前になっても、マクドナルド兄弟は彼を助けようとはしませんでした。

 

最終的に彼は不動産会社を設立して、やがてマクドナルド自体を買収して田舎のハンバーガーショップを世界に名だたるお店にして見せたのです。

 

レイ・クロックは自伝『成功はゴミ箱の中に』でこう語っています。

 

『競争こそがアメリカを発展させてきたものであり、競争を避けて成功することは難しい。』

 

『競争相手のすべてを知りたければゴミ箱の中を調べればいい。知りたいものは全部転がっている。』

 

『厳しいビジネスを生き延びるためであれば、競争相手のゴミ箱を漁るほど勝ちにこだわらなくてはいけない。』

 

彼が、マクドナルドのシステムを模倣するのではなく

『マクドナルド』という名前に拘った理由は、アメリカを象徴する様な心地よい名前の響きだと話しています。

 

初めて見た時に『この店を手に入れたい。』という直感が、私たちが知るマクドナルドの原点なのです。

 

チャンスを掴むことを恐れる人は実に多い。

いつか、今度、暇なときに、あと10才若かったら

やらない理由を考えて

人は、

『何かを新しい事をすること』

を避けるのです。

 

レイクロックの自伝は「ファウンダー・ハンバーガー帝国の秘密」としてマイケル・キートン主演で映画化されているので是非ご視聴ください。

 

  ユダヤの教え

 

 故郷を離れたユダヤの民が心の拠り所にしている二つの書物があります。

それはヘブライ聖書とタルムードです。

 

タルムードとは日本で言うところの昔話の様なものです。アウシュビッツなどの迫害で家族・財産など全てを奪われてきた彼らが神話の時代から大切にしてきたのは、誰からも奪われることのない知識と子供達です。

 

世界人口のわずか0.2%ほどのユダヤ人がノーベル賞受賞者の20%を占め、スピルバーグやマーク・ザッカーバーグ等の超お金持ちや成功者が多いのは、幼少期から家庭教育が基礎になっていると言われています。

 

そこで母親が子供達に話すのが「タルムード」なのです。

心配しないで下さいね。

タルムードは宗教書でも思想書でもありません。

 

強く負けない心を育み、考える力をつけ、リスク管理を教える現代社会を生きるバイブルです。

 

一度読んでみて下さい。ユダヤ人がどうして強く優秀なのかがわかるはずです。

  

 

 

 

映画の中で、レイがユダヤ教の教会で『我々は家族だ』と言って仲間を募るシーンがあります。

ユダヤ人の民族としての結束力を物語るシーンです。

 

マクドナルドという組織の結束力の源は民族の力なのかも知れません。

 

彼のストーリーは未来に目標を持つ人々にとって、勇気や希望を与えるものとなるでしょう。

彼がアメリカンドリームを目指し、行動を始めた時にはすでに50歳を過ぎていたのですから

【MARUMOMOMOより】

 

最後まで読んでいただき

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