先月7日のハマスの大規模攻撃に呼応したイスラエル軍のガザ地区攻撃はその犠牲者の多さから全世界で停戦の声が高まっているが、停戦に異論はないものの、責任者である最高司令官への非難が聞かれないことには奇妙な印象を覚える。

 今のところネタニヤフが指令しているのはハマスの撃滅で、人質の救出や民間人の犠牲を抑えることについては触れられていない。むしろ民間人のいるビルの直下にハマスの地下壕があることから、一緒に吹き飛ばすのはやむを得ないとバンカーバスター爆弾を雨あられと降らせていることがある。

 ここにはポピュリスト政権の抜き難い偏見、ガザ地区も含むパレスチナの住民を同じ人間と見ていない、イスラエル人優位の歪んだ人権感覚がある。それはかつて黒人や黄色人種を人として認めつつもロジックで差別を正当化したかつての白人社会に通じるものがある。

※ 同じようなロジックは寛容主義の後退以降は手を替え品を替え世界各地で見られ、日本では安倍晋三と彼のシンパが用いているようなものである。

 確かに市民に紛れたゲリラを選別して掃討することは難しいが、だからといってその危険が蛮行の正当化に繋がるものでもない。たった一人のパレスチナ人の凶行でその地域の住民全員が処断されることがナンセンスなことは子供でも分かることだ。刑法は個人を罰する。ここでイスラエルが個人の罪で共同体を罰することは近代社会の否定、法の支配の否定である。

※ これもあまり聞かない話である。ロシアや中国相手に「法の支配」を力説していた日本国首相はどこに行ったのだろう?

 ロシアがウクライナで行っていることは戦争犯罪だが、同様にハマス掃討を命じたネタニヤフも立派に犯罪者の資格がある。ここでプーチンは裁いてもネタニヤフは裁かないのであれば、国際刑事裁判所の評判は地に落ちるだろう。

 軍隊というものは命令絶対の暴力装置だが、その命令の解釈には優先順位がある。命令が「敵を撃滅し、可能なら人質を救出せよ」ならば、軍隊は人質の犠牲は顧慮せずに敵撃滅に注力するだろうし、「人質を救出し、敵を撃破せよ」でも敵の撃破の方を優先する。命令は一義的に明確でなければならず、命令が多義的な場合は実行しうる方を優先する特性が軍隊にはある。それはイラク戦争も含むこれまでの紛争で散々に示されたことであり、「〇〇村のゲリラを掃討せよ」と命ずれば村民ごと虐殺するのが軍隊である。

※ かつての日本軍でも飛行場を建設するために島民全員を虐殺した例がある。

 ここでネタニヤフは市街地への進軍は留保しつつも「ハマス撃滅」を呼号しているのだから、彼の軍隊がどんな手段を使ってでも敵を攻撃することは明白だし、これが人質とガザ市民殺害のエクスキューズであることも明白である。人質を救出したいのなら「人質を救出せよ」と命じるべきであり、その他の言の葉は要らない。

 軍隊がそういうものであることは、長年政権を担当し、最高司令官を務めた身なら十二分に知悉していることである。なので、私は彼のパレスチナ人に対する冷血さに背筋が寒くなるのを覚えるのである。

※ 同じような冷血ぶりはコロナで国民がバタバタ死んでいくのに防疫措置を採らなかったブラジルのボルソナロにも言える。どうも同じ傾向の指導者は他にもいるようである。

 アメリカは大統領まで送って侵攻を思い止まらせようとしたが、最高指導者の発言については掣肘していない。見ようによっては虐殺を追認しているようにも見えるが、この世界史上に残る蛮行が両国の利益になることはおそらくないだろう。

※ それどころか中東全域を巻き込んだ世界大戦の危機である。

 イスラエルの建国でディアスポラとなったパレスチナ人は多くが全世界に散ったが、残った者は共同体を構成し、「パレスチナ人意識」ともいえる独自の集団意識を持ったとされる。一部は境界を超えてイスラエル人に雇用されており、このパレスチナ人労働力はイスラエルの産業の一部を構成している。

 ネタニヤフの政策はこのパレスチナ人共同体を消滅させ、パレスチナ人を二級市民としてイスラエルに組み込むことでは一貫しており、これは我が国で外国人労働者を技能実習生として奴隷的に雇用したり、流亡した内陸住民を低賃金で使役している中国にも通じるものがある。

※ チベットで子供を鎖に繋いで衣類を作らせていたユニクロという会社も日本にはあった。

 彼のような野蛮な人間が20年近くも首相の座にあったのは、彼がアメリカで教育を受けた西欧的な人物で、人権は二の次に株価と収益を重視する新自由主義的な志向にピタリと嵌る人物であったことによる。このような人物が今世紀に入っての政治や経済の主流だった。ネタニヤフは一人だが、ネタニヤフ的志向の人物は全世界に大勢いる。

※ 多くは立派なスーツを着て分不相応の高給を食み、ダボス会議に出席している。

 こういうものの害が目に見える形で明らかになってきたのが昨今ではないだろうか。こんな様子では人類は現在はおろか、将来でさえ無事に22世紀を迎えられるのかどうか怪しい。プーチンも人殺しだがネタニヤフも人殺しである。こういうことが真っ当に言えない世界は、どこかおかしい。

 

 今月半ばから始まったロシア軍のドネツク掃討作戦は失敗に終わり、アウディウカとマリンカを攻撃したロシア軍部隊は多大の犠牲を払ったものの両都市の確保はできず、ウクライナ軍は今だ両市でプレセンスを維持している。

 ロシア航空機はこの20日間で6機が撃墜されたが、これは6月の反攻当初からの損失を大きく上回るものである。ヘリコプターも8機が撃墜されたが、UAV(戦術用ドローン)による被害は含まない(地上破壊9機という報告がある)。航空機6機のうち5機はSu-25攻撃機で、低速鈍重なこのミサイルキャリアが緊迫度の高い戦線での使用に適さないことを示している。レオパルド戦車も複数撃破されたが、撃破は空対地ミサイルではなくドローンによるものである。

※ この戦争において小型の戦術用ドローンは両軍にとって戦闘機や地対空ミサイルでも対処が難しいワイルドカードとして機能しているが、最近は搭載できる炸薬量が向上していることが挙げられる。が、ドローンの爆薬では戦車を行動不能にしても完全破壊までは難しく、破損した戦車の多くは乗員らによって回収されて修理されている。

 要塞を攻撃したロシア軍は20日までには攻勢の限界点に達し、損失は全兵科に及んでいるが損失のペースは鈍化している。一部では敵前逃亡による銃殺や処刑の報道もあり、士気は著しく低下しているとされる。一言で言えばアウディウカの戦いは昨年のヴフレダル同様、戦力を失うばかりで得るものの少ない戦いであった。

 開戦当初、ロシア軍は3千両の戦車と1万台の装甲兵員輸送車を持つとされ、これは我が国の450両、980両を大きく上回るが(ウクライナ軍も同程度である)、現在のロシア軍の戦車喪失数は5千両である。6月の反攻当初からも1,380両が失われ、うち650両が10日以降に失われた数である。ヴフレダルの戦いでも失われた戦車は100両程度だった。戦いの結果が機動集団としてのロシア軍の質を大きく変容させたことは容易に想像できる。同様の攻撃を再び行う力はもはやないだろう。

 兵員については、反攻開始以降のロシア兵の損失は9万人とされ、開戦以降の損失はおよそ30万だが、これは侵攻当初のロシア軍の総兵力20万を大きく上回る。が、人口比では僅か0.2%に過ぎず、徴兵も続けられていることから、人的資源の枯渇は当面先といえる。不足しているのは現代的な武器と訓練、航空機や戦闘車両といったものである。ロシア兵の多くは不十分な訓練と装備のまま、ウクライナ軍の装備する西側兵器との戦闘を余儀なくされている。

 こういった傾向はロシアの社会にも影響を与えている。死に対する恐怖が蔓延しており、国民は半ば諦めに近い感情の下、「死の文化」を称揚するプロパガンダによって死を身近に感じるようになり、その社会は沈滞している。

 主要軸であったザポリージャ方面については、全戦線でウクライナ軍の進撃がストップしている。アウディウカの戦いが陽動であることをウクライナ軍は看破しているが、それでも戦略的要衝にはそれなりの兵器と人を送らざるを得ず、およそ1ヶ月の間、この戦区は膠着状態のままである。

※ 膠着にはもう一つの理由も考えられる。DPRの首都ドネツクは2014年のロシア進駐以降からルハンシクと並ぶウクライナ軍の主要攻撃目標であり続けたが、窮迫しているロシアの大部隊を叩くチャンスが訪れ、実際に成功したことから、クリミアからドネツク・ルハンシクという大戦略の変更が議論されているかもしれない。

 この戦争を始めたプーチン氏については、最近はウクライナとの関わりを避ける傾向が報告されている。彼が大統領選で再選されることはほぼ確実であるが、ありそうなこととしては適当なスケープゴートを用意し、壊滅した軍を見て急転直下平和攻勢に訴える計略を採る可能性もある。一見頑ななように見える彼の停戦案も彼一流の交渉術の一つと考えれば、選挙とロシアにおける彼の政治的生存可能性によるが、停戦はありえない話とはいえない。

※ これまでのところプーチンは非妥協的、強権的で取り付くシマのないように見えるが、それは我々が彼を困窮させる策略には熱心でも、彼のニーズには無関心、鈍感なこともある。それさえ掴めば、掴めなくてもニーズが一致すれば、ロシア軍がウクライナ領から撤退して停戦する合意の可能性はまったくないとは言えない。

 

※ 前アメリカ大統領のバラク・オバマはプーチンと面談した印象を、同国にもいる「街の顔役の利権政治家」と評しており、応対を専らメルケルと安倍晋三に任せ、自身はプーチンとは距離を置いていたが、それは彼がハーバード大学フェローのインテリ(憲法学の講師であった)で、どぶ板政治家のプーチンとは合わないと感じたことによる。実際のプーチンはどぶ板などでなかったし、権力闘争のスタイルはむしろスマートだが、法と論理を重んじる彼にとっては、プーチンの交渉スタイルには馴染みようのない、異質なものがあったことは本当だろう。

 

※ もちろん上記のようなことが彼の戦争犯罪の責任を免れるものでないことは言うまでもない。

 

 

【ベイルートAFP時事】レバノンの裁判所は、日産自動車元会長カルロス・ゴーン被告に対し、2019年に日本から逃亡して以降住んでいるベイルートの豪邸から退去するよう命じた。司法当局者が28日、明らかにした。同被告は上訴した。

 ゴーン氏が逃亡したのは2019年で、翌年にはベイルートの爆発があり、この居宅も被害を受けた。所有者は元は日産の関連会社(ジーア)だったが、4年も経っているので現在の所有はフォイノスという会社に移っており。ゴーン氏の主張によるとこれも日産の関連会社とされる。

 仏当局が国際手配を更新したことから、「すわ引き渡しか」と言いたくなる気持ちは分かるが、私はこれらの件が氏の身柄引き渡しに影響することはないと思う。レバノンは第一次大戦後にフランスの委任統治下に置かれたが植民地になったことはなく、イスラム教ドルーズ派から分派したマロン派キリスト教徒が支配階層で、ゴーン氏も彼を救出したテイラーもマロン派教徒である。レバノンは南米やアフリカの彼らの元植民地とは異なり、フランスの属国ではない。


 レバノンは欧米諸国よりも遥かに長い歴史の間、峻険な地形を利用して様々な支配者を受け容れ、かつ利用してきた。彼らの祖先が地中海に乗り出して交易に従事していた頃、マクロンの祖先は蛮族としてローマ人に追い立てられていた。我が国に至っては石器時代である。独立心は強く、その法システムも我々とは異なるが、いいかげんなものではない。

 むしろ、傍目から見れば明らかな明渡訴訟がこれほど長引いたことが驚きである。詳しいことは分からないが、裁判所は対抗問題で処理したようであり、ゴーン氏は日産との争訟では一定の成果を挙げていたはずだが、登記を具備しなかったために後に譲渡された投資会社に対抗できなかったのだろう。元々この物件は日産の所有で、彼の退任とともに所有権移転手続が行われる手筈だった。

 日産との関係でこの問題を処理できなかったことには不可解な部分がある。そもそも居宅を含む「報酬」は株主総会の決議を経ておらず、彼自身も認めるように報酬「案」であり口約束にすぎず、これは日本を脱出したゴーン氏が合鍵を持って乗り込んで占拠したものである。追い出された港区のマンション同様、物件を占拠する法的根拠は当初から彼にはなかった。こんな事件で判決まで4年も要する理由が不明である。

 これは損害賠償請求と併せ、元日産・ルノー社員だった彼の報酬を巡る問題が報道とは異なり、日産社内ではあまり整理されていないことを意味する。居宅が退職金の一部なのか、違うのか、会長時代から頻繁に利用していた事実もあり、彼はこれを退職金と思っていたようだが、これを認めるには会社におけるゴーン氏の功罪も確定する必要があり、功績のない人物とは言い難いことから、財産権として主張されれば弱い部分もあり、日産と同規模の他のCEOの退職報酬も検討する必要があり、こういったことから対日産の問題としては結審せず、日産が正面からの対決を避け、単純な対抗問題という解決を選んだ理由ではないだろうか。

※ ゴーン氏自身も自身の報酬についてあまり確たる意識は持っていなかったのかもしれない。馘首されたことによる正当な報酬を求めるなら、それを基礎に裁判を起こすことができたはずで、その場合は保全手続で第三者譲渡を防ぐこともできた。

※ 約因(consideration)は我が国ではあまり議論されないが英米法では重要で、今回の件でも問題になったかもしれない。ゴーン氏への居宅引き渡しが日産との間で事実上確定的なものとして扱われていたなら(会長時代の利用や居宅設備への差配など)、契約書や登記が存在しなくても家屋所有は実体的なものとして扱い得る。

 もしあの事件がなければ、彼は日産とルノー、水面下で交渉が進んでいたフィアットを併せた世界最大の自動車グループの総帥としてウクライナ戦争でロシアと対峙するはずだった。そのロシア最大の自動車企業であるアフトバスも彼が一時期CEOを務めていた会社である。これは戦争に影響を及ぼしただろうし、彼の強力なリーダーシップはウクライナの戦況を半年は進めたはずである。

※ ついでに書くと軽自動車も現在より幅広で快適な車種になり、自動車税も相対的に下がっていただろう。なにせあの軽自動車規格、平成10年から25年も見直されていないのだ。

 ウクライナ戦争の最初の一年はロジスティクス問題だった。自動車会社が戦争でどれほど強大な力を持つかは先の世界大戦で存分に示されている。もし、彼が経済界の陣頭指揮を執っていたなら、ウクライナ軍は現在よりも半年早くラファール戦闘機を手にしただろうし、新型榴弾砲は全戦線に行き渡っていただろう。ダボス会議に出席する面子は数百人はいるが、本物の経営者は一握りしかいない。彼はダボスの理事であった。

 それをまあ、安倍だの菅だのといったコマい政治家に失脚させられ、今や世界の傍観者で、彼の日産は永守という出自の分からないセコい男に翻弄され、彼もベイルートの半分壊れた居宅を巡って裁判沙汰になっているのを見ると、未来を見通せる人間は誰もいないけれども、何とまあ、浅はかなことをしたものだと思わせる。
 

 パソコン通信時代からネットとの付き合いが30年近くになり、それだけ長いと年老いたクジラのごとく、掲示板での乱闘やSNSの誹謗中傷合戦であちこちが傷つき、ネット人格は歴戦の強者のようになっているのだけど、あれこれ様子を見てみて気をつけていることもある。それは「言葉は人を縛る」ということ。

 いつも思うのだが、世間で不祥事などあるとSNSにはワラワラと当事者を非難する書き込みが並び、道徳や世間常識、法の見地からさも正当な意見を吐く人が少なからずいるのだけど、匿名でそういった書き込みをする人は自分自身はどういう生活をしているのだろうか。

 見たところネットの憂さ晴らし、本人自身は非難される人物より道徳的に劣っており、生活態度も自堕落で、全般的に見て人のことを言えた義理じゃないような人物が大半だと思うが。

 言葉は記号で、一定の論理に従って並べていくとそれなりに整った文章になり、つまり解釈の幅が狭くなり、それだけ見るとひどく堅苦しく剣呑なものになる。つまりは国語力の問題なのだが、その自分で作ったパズルに惑わされる人が案外多いように見える。

 ネットで道徳を説く人物も、実生活では道徳的な生活はしていない。極論を吐く人物は、吐いた結果がその後の言動に影響し、自分で自分を縛ってしまう。

 言動には幅というものがあり、例えば、私はブログ開設当初からウクライナ戦争やビッグモーターの事件があったために、話題はそれらを取り上げることが多いけれども、実は何を書くのも私の自由である。たまたまそうなっただけで、読者の期待はあるけれども、私にそれに応える義務はない。

 ウクライナ戦争を例に取るならば、私の言説はどう見ても「ウクライナ寄り、反ロシア」である。だが、だからといってロシア人の言うことが全て陰謀だとか、プーチンが全て悪だとは考えていない。正しい意見は認めるべきだと考えているが、実際はこれまでの言説の積み重ねもあり、そう簡単に方向を変えられない。プーチンの正しさを認めることはゼレンスキーのそれよりはるかに難しい。

 慣れた人間ですらそうなのである。経験が足りず、たまにネットで憂さ晴らしに片言を並べるような人物に国語が操れるとは私は思わない。自分で発した安っぽいネトウヨ言葉に取り憑かれ、さらに過激な言動に走るのがオチではないか。

 「君子豹変す」とか、「誤ちを改むるに憚ることなかれ」というが、こだわらないことが精神衛生のコツである。キリスト教には「ザンゲ」という罪の告白の制度があるが、罪(犯罪に限らない)も抱え込まず、率直に認めることが自分のためである。

 罪を抱え込むとどうなるか、いわゆる刑法上の制裁は免れても、健康を損ない、周囲からは孤立し、生活も窮乏して徐々に追い詰められていく、罪を隠すために偽言などさらに罪を重ねれば、罪が罪を呼び、さらに追い詰められる。容貌も醜くなり、果てにあるものは死のみである。それも病死、孤独死などゾッとしない態様での最期となる。

 キリスト教では、これを「神の裁き」という。人は人を裁けない。人を裁くのは神のみである。神の裁きからは何人も逃れることはできない。

 そこに論理必然的な繋がりがあるわけではない。が、私は経験則として上記のことは真実だと考えている。罪は背負うものではなく、告白し、懺悔するものである。自己防衛のための弁解は当然すべきであるが、嘘を言ってはならない。他でもない自分のためである。

 粗野な言葉でネットや職場で憂さ晴らしをする人物は、それだけで罪を犯している。悪びれず、見え透いた弁解をし、自己を正当化することで罪を深化させることさえある。そしてその影響は言動や外見にも目に見えるものとして現れてくる。

 反面、罪の重い人ほど、改心した時の変容は周囲も驚くものになる。表情は明るく、思慮深く、人に対して慎み深く、寛容で、雰囲気も暖かみのあるものになる。

 これは個性を否定するものではない。論理を突き詰めたり、極論を吐く自由は依然として残されているし、言論の多様性は民主主義の根幹だけれども、また、意見が異なることは互いに尊重すべきだけれども、自分の発した言葉には、縛られないことが大事である。
 

 河野にChatGPTを応用したお絵かきAIの絵を見せてもらったが、「キリンを絞ってキリンビール」とかシュールなものもあったけれども、一見して思ったのは、「こりゃ目に見える商売はダメだな」。

 確かに現在の所は構図や比率のおかしな絵が多く、嘲笑の対象になっているけれども、作画自体は質が高く、おかしな絵になるのはもっぱら人間側の指令に問題があるためで、数年もすれば解消され、分からなくなるのではないか?

 松本零士風とか、手塚治虫風、安彦良和風などはジェネリックAIとして登録されてしまい、生半可な個性では追いつけなくなるのではないだろうか。細かい注文はそれはAIでも時間と手間が必要だろうが、イラストをペラっと渡して「和服着せて」、「髪型はこれ」、「姿勢はこれでスマイル」くらいの話は今でもできそうだ。

 そのうち「絵を描く」という作業自体もペンとインクではなく、AIにパラメータを入力する作業を指すようになるかもしれない。

 ただ、この人工知能は一般に言われているように「考えて」はいない。膨大なデータをアレンジメントすることに長けているだけで、人間のように思考しているのではない。なので、AIの突きつけた課題は「思考とは何か」ということだろう。

 旅先に小さなガジェットを持って行き、DVDを「デーブイデー」と発音する社長が喋るだけで英語もフランス語もスワヒリ語も翻訳されてしまう世の中だ。ブラウザにも翻訳機能があり、言語の壁は今やなくなりつつある。

 語学の習得は根気のいる作業で、何年も掛けて繰り返し覚え、しかも悪いメソッドと良いメソッドがあり、独学で悪い方に嵌るといくら時間を掛けても覚えないというものだが、AIは数百、数千倍の速さで習得してしまう。そんな時代に語学教育の意味はあるのだろうか?

 それでも、意味はあるんじゃないかと思う。店先で「Benir du lac」という商品があり、「湖の恩恵(正解:湖の恵み)」だネとすぐ読めたが、私のフランス語の程度などこの程度である(一応説明は全部読めた)。ウクライナで戦闘が行われており、報告はキリル文字で大部分は翻訳して読んでいるが、地名など原語を見ないと分からないものは原語でどれと分かる方が分からないよりずっと良い。一応キリル文字は見れば発音はすることができる。AIに比べると、ずいぶん劣った能力である。

 英語の文献を読んでいる時には、戯れに漢文に訳してみたこともある。案外有効で、実用性はあまりないがいざという時には使えるメソッドである。だが、言葉の意味を取るだけの作業には、現代はあまり価値がないのだろう。

 掲示板などで言葉尻を捕らえて反論(大部分は誹謗)するような人も、そのうち価値がなくなる。そんなことはAIの方がよほど優秀にできるからだ。

 それでも人が考えることはあるし、考えて作り出すものもある。「定型化」されたメソッドはおそらく価値がなくなる。目に見えないもので、五感で感じてオリジナリティのあるもの、AIでは決してたどり着けない、そういったものの価値を捉えて、評価することのできる知性の時代が来たのだと思う。

 私自身は「AIは助手」だと思っている。これまでにないものを作り出すのに用いるツールであり、これまでより良質なものを作り出すために用いるものと考えている。「魂のない専門人」の時代では、人間らしさや個性は軽んぜられてきた。今は彼ら専門人が失業する時代であり、人間と個性が再び価値を主張する時代である。

 もっとも、AIの有能さは単純作業を主とするロボットに移植され、大方の人間は失業してしまうかもしれない。共同体(つまり為政者)が個性と創造性というコンパスを提示しなければそうなるだろう。新しい価値はそれを表象する媒体(貨幣のような)をいまだ備えてはいない。しかしそれが作られれば、人間は灰色の資本主義を乗り越え、現代の我々では思いもよらぬ飛躍をするかもしれない。
 

 つい先日親父の葬式があったことは書いたが、その際に数年ぶりに姉夫婦と姪甥に会う機会があった。姉夫婦は夫婦ともども教師で、どちらも国語教師で夫の方はかなり前から諏訪清陵高校に居座って牢名主のようになっているが、姉は小学教師である。姪甥は姪の方は良く分からないが、東海高校に通う甥は体育教師を目指しており、なったとすれば私の一族では初めての体育科教員ではないか。

 教員一家の彼らを見て、つい思い出したのがChatGPTのこと。昨年一世を風靡した対話型AIで、「息を吐くように嘘をつく」AIだが、使いようによっては有用なツールである。現在私はこれを外国語学習に使っている。

 外語学習については一定以上の年齢の日本人には「司馬遼太郎(大阪外大卒)の呪い」というものがあり、「中年以降の語学はモノにならない」という迷信があるが、食中毒を恐れて取材中の旅先でカレーライスとトンカツしか注文しなかった作家に言われたくはない。迷信は無視することとしている。

 使ってみた印象では、このツールはウィキペディアみたいに「正解を教えてくれるツール」ではなく、「正解に辿り着くためのツール」として使うのが良いと思う。ただ、コイツを見ていると秀才というものの限界と弱点を思い知らされる。

 AIの悪徳としては、人間同様これも自己弁護をし、すぐに「撤回」など持ち出すあたりタチの悪い秀才そっくりである。頑固なこともあり、何度訂正を求めても同じ答えを返してくるあたり、人間にもこういうのがいるなと思いつつ、なるほど、今世紀では秀才を名乗るにしても「GPT並み」ではまずいのだなと思わせる。

 現実にもChatGPT並みの判断力のなさ、思考力のなさでも、名門大学の肩書と履歴だけで管理職や専門職をやっているような人間は結構多い。いや、能力ではGPTには敵わない。どうやって測ったのかは知らないが、このAIのIQは155という説もあり、これは並の人間で歯の立つ者はほとんどいない。

 が、高卒の社長が名門大学卒の社員をうまく使っている例が珍しくもないことと同様、知力に劣るからといって劣等感を感じることはなく、小学生でもこのIQ155の召使いは使いこなすことができる。以前の時代で秀才を家庭教師に雇うのにいくら掛かったかを見れば、それよりも従順で博学な召使いのメリットは計り知れない。それが将来に何をもたらすか、胸がワクワクするものを感じないと言えば嘘になる。

 GPTが得意満面に披瀝する回答にはやや怪しいものがあり、どうも現在完了と過去完了の区別があまり付いていないようだ。定冠詞、不定冠詞も少々怪しい。回答は正解の方が多いが、「ニアピン賞」的なものも少なくない。回答も完全に信用するにはいかがわしいものがある。これだけで学習を完結させることはできず、紙の辞書やしっかりとした参考書が必要になる。

 それでも、どんなバカバカしい質問でも根気よく答えてくれ、教師にバカにされることもないこのツールは使いようによっては非常に有能なツールである。私の姉は愚問を3回繰り返すとたぶん怒り出すが、GPTは何十回でも怒らない。

 質問も丁寧な言葉で質問すれば丁寧に答えてくれるが、乱暴に尋ねるとぞんざいな回答になるというのも人間的といえば人間的である。

 検討を続けていくと、ある時点でこれ以上はもういい、十分だといった堂々巡りの時間がやってくる。そこまでに正解を得られていれば良いが、得られなかった場合は紙の本を読む時である。ポイントを絞って調べることができ、最終的に正解に辿り着く。そして蓋を開けてみれば、その時間ははるかに短くて済むのである。

 年中パソコンに向かっているわけではないので、外語以外では試していないけれども、たとえばもう少し込み入った内容、論理の構築が必要なものについてはどうだろうか。余裕ができたら試してみたいが、今のところは手一杯である。

 いつも思うことだが、年を取ったとか馴染みがないという理由で新しいテクノロジーを忌避する人が世の中には相当程度いるが、確かに進歩はすべてが有用なものではないが、テクノロジーというものは言われなくても勝手にやって来るものである。進歩を受け容れ、適応していくことが大事なのではないかと思う。

 なお、コイツはまだ人類を脅かすには至っていない。「コーヒーを淹れてくれ」と頼めばAIはコーヒーの作り方を教授してくれるが、目の前にあるのはパソコン(スマホ)の画面で、それだけである。

 

 10日頃から始まったアウディウカの戦いはロシア軍が大兵力を投入し、現在も激戦が続いているが、目的はウクライナ軍の南下阻止である。



 上図は以前に作成した東部戦線の各枢軸の見取り図だが、新しい要素としてOSUV(戦略遂行ユニット)の存在があり、従来の管区制と併置されていることから、その役割には不透明な部分がある。ウクライナは国家防衛隊や警察組織、ドローン軍の組織化も進んでいることから、この軍事単位はこれらの組織からアド・ホック的に編成した、正規軍を側面から支援する混成部隊であるという見方もできる。

 現在戦闘が行われているアウディウカとマリンカはDPRの首都ドネツクのすぐ郊外にあり、アウディウカはバフムトに向かう幹線道路の途中にある。ロシア軍にとってはノドに刺さった魚の骨のような都市で、これあるためにドネツクは東ウクライナ最大の都市でDPRの首都であるにも関わらず、戦略拠点や補給拠点としての利用が不可能になっている。

 両都市の防備はハイテク化した203高地といった様相で、地下壕にある司令部からドローンや監視カメラで地上を逐一観察し、小部隊を送って大軍であるロシア軍に損耗を強いるといった戦い方を続けており、司令室はゲームセンターのようだが、ハイテクを駆使することで、数百人の寡兵で自軍に数十倍するロシア軍を何度も撃退している。

 戦車等の使用が制限される冬季を前に、ロシア軍はこの二都市の攻略を決め、攻撃は良く準備されたものである。あらゆる兵種が投入され、その全てで大きな損害を受けているが、その戦い方はさながら第二次世界大戦のようである。が、戦車は10分の1で、またロシア航空機、ヘリコプターの被撃墜もこれまでになく多いものになっている。

 ザポリージャとヴフレダルの戦線は停滞し、ロシア軍に第二戦線を構築する時間を与えてしまった。内線作戦を取るウクライナがアウディウカの防戦に戦力を奪われたことから、ロシアは大きな損害を出しつつも戦略的には一定の成功を収めたと見ることができる。

 スナク首相は否定したが、イギリスは穀物回廊の防護に空母機動部隊の派遣を検討しており、また、ガザ争乱に関連してアメリカ空母2隻がエーゲ海に展開している。ロシア艦隊はノヴォロシスクに撤退したが、これは黒海全体が空母の攻撃圏内に入ったことを見れば必然だったようだ。

 統計上はロシア軍の戦力はとっくの昔に蕩尽しており、現在戦っている兵力は工場から卸したての新品か、より多いものとして広大なロシアの保管所に野ざらしにされていた旧式戦車をレストアしたものである。ロシアといえども無限の戦力を持つわけではなく、ドネツクに刺さった魚の骨という比較的小さい目標に大戦力を投入して、乾坤一擲の賭けに出た顛末が近代軍隊としてのロシア軍の終わりとなるのか、戦勢挽回の契機となるかは、現時点では良く分からない。
 

 面白くも珍しくもない葬式話は前回で終わりにしようと思ったが、相続については書き忘れたので付言しておく。実は我が国の民法、これが少々分かりにくい。

 相続順位については900条に規定があるが、前提となっているのは相続人は第3順位までということである。被相続人(死んだ人)は0順位で、配偶者は常に相続人となるが、配偶者の親族、つまり姻族には相続人はいない。

 被相続人から近い順に第1順位、第2順位となるが、1号から卑属、つまり被相続人の子(第1順位)が被相続人の親(第1順位)に優先する。子が先に死んでいる場合はその子の子(第2順位)になり(代襲相続)、その子もいない場合はその子の子のさらに子(第3順位)が相続人となる(再代襲)。それもいない場合に初めて尊属(親)が議論になる(2号)。

 ここで代襲相続とは第3順位の相続人に相続を可能にする仕掛けだと分かる。3号では配偶者と被相続人の兄弟姉妹の相続が規定されているが、民法はここで代襲を1回だけ許し、甥と姪(第3順位)に相続権を継承させている。甥と姪の子供(第4順位)は法定相続人ではない。

 代襲相続はかなり無理のある仕掛けで、一読して分かりにくいが、その意味するところを見れば、民法が考える法定相続人は第3順位までということが分かる。昔のドイツにあったような相続順位を際限なく遡って相続させる「笑う相続人(Lachnder Erbe)」は日本民法では起きないものになっている。

 最初から書いてくれれば良いものを、この論理から、民法には一読して分からない2種類の相続人がさらにいることになる。2号で直系尊属が相続人となることからひいじいさん(ばあさん)は第3順位として相続人となり、さらに分かりにくいものとして傍系血族のおじ(おば)も相続人となる。直系のひいじいさんはたいてい死んでいるので、現実的に問題となるのは被相続人の親の兄弟(ひい叔父さんとでも言うのだろうか?)ということになる。第3順位までを相続人とするのが民法の論理なら、法律に書いてなくても、他に相続人がいなければ、彼らは相続人となる。

 それ以外に相続人はいない。これもいなければ毎度おなじみ特別縁故者という話になる。相続人捜索の公告も並行するが、ひいじいさん、ばあさんの兄弟など昔は死産も多かったことから、知らないし分からなくて当然である。あの公告というふざけた制度は裁判所のショーケースに紙束を置くだけの紙資源の浪費だが、民法を書いた人は「念のため」必要と考えたのだろう。知っての通り、これもいない財産は国庫に収納される。

 民法の教科書も相続関係図は第6順位まで書かれているものがほとんどだが、ひいのひいのひいじいさんの相続という話をマジメに議論した民法学者を私は知らないし、現実的な議論でもないことから、これは余白がもったいないという著者のサービス精神に違いない。非実用的だし、こんなものは見ても誰も覚えない。

 なお、日本昔ばなしの定番コーナーとして「神隠し」があるが、たいてい若い女性だが、ほとんどは村の祭囃子など適当な場所で不条理に性交し、出産に失敗して母子共々死んでしまったものをいう。恐ろしい民話の世界では、そういった母子は産婆と共謀して人知れず山に埋めてしまったのであり、傍目には失踪に見えることから、これを「神隠し」という。

 今の中学生は体躯も良くなり、妊娠したくらいでは死ななそうだが、昔は10代の妊娠で子宮が破れて失血死という恐ろしい話が少なからずあった。

 正直な話、民法900条は不親切な条文だが、経済発展して人口も増えていた時代ではズサンな条文が問題化することはなかった。が、少子高齢化が進み、未婚の男女が増えている今日では書いたような例が現実化する状況は十二分にある。

 あと、遺留分がある。民法相続法の条文は大部分が「こうした方が良いですよ」とか「話し合って決めてください」的な、これは法律とも呼び難いようなユルいものだが、そもそも相続法自体法律だと私は思っていないが、1,042条に突如現れる遺留分は709条に比肩する強行的な規定である。

 読んでいる側としては千条も読んでいてもう飽きたよという時に現れるゴルゴ13のような条文であり、これは遺言シールドや遺産分割バリアでも防ぐことはできず、709条と書いたが、本質的に不法行為なのである。法学部出身者でもこれをやる時期は大学4年の就職活動の最中で、司法試験でも出ないと実社会に出てから学びなおす条文の最たるものである。それがゴルゴ13、何を考えているのだろうか?

 法学徒ですらこんな様子なのだから、一般などはなおさらで、説明しても合意で簡単に排除できると思っている人が大半だが、そんなものではないし、相続人間の折り合いが悪い場合には争いの原因になり、アドバイスした士業者には損害賠償のリスクもある。これを無視した場合には、少なくとも1年間は兄弟ケンカが起きないことを祈るのみである。

 

 このブログは葬式ブログではないが、前回、前々回のように葬儀を巡る話をあからさまに書いたものはあまりないと思うので、「覚え書き」として書いている。戻ってから残った親族から報告を受けているけれども、案の定、弔問客は退職後の地域サークルや三役をしていた区の関係者がほとんどで、会社関係はほとんどいないらしい。

 母親は新聞に掲載したはずだが、出した香典がほとんど戻って来ないとボヤいていた。親父が退職したのは30年近く前の話である。その後、関連会社で指導員のような仕事をし、元いた会社は日本電産の傘下に入ったが、こういう事情では縁が薄くなるのはやむを得ない。注目すべきは引退後の時間の長さである。30年といえば子供なら成人して子供を産むような長さだ。現に私の姪も甥も引退後に生まれている。

 「第二の人生」というが、これだけ長いと人生リスタートをもう少し真剣に考えた方が良い。健康寿命が言われているが、本当に介護が必要なのは末期の2~5年ほどで、それ以外の期間は日常生活も普通に行うことができ、新しいことにチャレンジしたりリスキニングしたりする時間は十分ある。

 その点、親父はあまり考えていたとはいえなかった。引退後の彼に指摘できることは何かにつけ「投げやり」であったことで、それは区の役員やサークルの取り纏めのようなことは元管理職なのでそつなくこなしたが、生きがいであったとはとても言えず、また、好奇心旺盛な人物であったはずが2000年以降はインターネットにもスマホにも関心を示さず、読んでいた本もそれほど程度の高いものとは言い難かった。元々分析の苦手な人物だったが、老境になって自分の考えを披露することはほとんどなくなった。

 問題なのはこういった後ろ向きの傾向が本人のみならず、周囲にも悪影響を及ぼすことである。現在私は母親にスマホを覚えさせることに苦労しているが、苦労するのは本人の能力ではなく、「こんなものはいらない」という親父の掛けた呪いである。この点、河野の父親が私がスマホを使っているのを見て、翌月には購入して使っていたこととは異なる。これは何度か入院した彼の病室と自宅の家族とのやり取りに実に役に立ったし、最後に病室から送った写真は亡くなる数日前であった。コロナ禍でもスマホ使用者の生存率はそれ以外よりも高かったのではないか?

 宗教観の問題もある。日本人の宗教観は21世紀を境に変化したと私は考えているが、先に参列した河野の父親の葬式は彼がクリスチャンで20年来教会に通っていたこともあり、牧師は知り合いで葬儀は故人の在りし日を偲ぶ感動的なものであった。それに引き換え会社教の私の父親は宗教者との繋がりはもちろんなく、故人について何か言えと言われても片言で要約することはとてもできず、葬儀を取り仕切った母親は葬祭センターの接待案内(弁当がどうだとか香典がどうといった)の文章を涙ながらに読み上げていた始末で、当人も何を読んでいるのか分からず、大部分の時間はお経を聞いているだけという何ともいえないものになった。そもそも宗派が浄土宗だったということも葬儀当日に初めて知ったくらいだ。

 なお、この葬式は新聞など公式の喪主は私だが、実質的な喪主は母親ということになっている。そもそも聞かれても何も分からないために、名義貸しのような使われ方をされており、さりとて何か言おうにも母親と姉の横槍で何もさせてもらえないというものであった。私が取り仕切ったなら要所はもっとちゃんとやっただろう。だいたい病状さえ1年以上知らされていなかった。

 私と姉の合作で、かなり良く書けていた故人の来歴も葬祭センターの司会が毒にも薬にもならない平板な文章に改悪してしまったために、照明が落とされ中島みゆきの「時代」が流れた葬儀のフィナーレは、これはいったい誰の人生を語っているのだろうといった白けたものになった。

 やり直しが効かないことは分かっているが、読者の皆さんにはこういう葬式はやらないようにということと、できることならもう一度仕切り直したい気分にもなっている。が、葬られた当の本人があまり考えていなかったのだから、お仕着せ感の強いイベントになってしまったことはやむを得ないかも知れない。

 葬儀については故人自身が話題自体忌避していたこともある。想定される状況に応じ、あの時はこの場合、この時はこちらの場合と幅広く検討する機会があれば、葬儀自体は突然のことから、泥縄的な対応はしなくて済んだ。エンドノートというものもあるが、結局のところ本人の心構え次第である。日頃から葬儀については日常会話として家族に話しておくのが良いと思う。

 

 自由な討論にするのが望ましく、それは財産や金銭の制約から、話題は結論ありきのものになりがちだが、それでは印象に残らないし、記憶にも残らない。被相続人は少し引きつつ話題を提供し、討論を見守る方が良い。

 死は特別なイベントではなく、誰もに起きることである。ネットを拒絶していた私の父親にはなかったが、見て感動を覚えたことの一つに、河野の父親が亡くなった時に口座凍結されて引き落としができなくなったということで、しいたけエキスを配合したシイタゲンやらアガリクスやらノゴギリヤシの健康食品の請求書が山と来たことがある。彼がそういうものが好きだったことは知っていたが、死してなお請求される健康食品の群れに、人は死んでも「しじみ習慣」は続く、日常が歩みを止めることはないのだと感動したことがある。

 なお、口座凍結について付言すると、銀行関係者の言では、大方の風聞とは異なり、これはATMで頻繁に引き落としがあったとか、訃報を見てというものではないらしい。大部分は遺族の口から発覚するもので、口座引き落としなどで銀行に問い合わせた際の会話からそれとなく探ると(例えば在宅とか)亡くなったことが分かり、確認して措置をするものらしい。

 良い葬式、いや最期のヒントは日常の生活の中にこそある。それと意識することなく、充実した日々を送ることが、死はいつ訪れるかは誰にも分からないが、実は最良の備えなのだと納得した次第である。

 特別なことは何もする必要はない。自分に素直に、気負いなく、人を嫉むことなく羨むことなく、諦めずに、納得のできないことは残さず、過ぎ去ったことに後悔せず、淡々と生きることである。
 

 同じような人は読者にもいると思うので参考までに。

 大して友人も知り合いもいなかった私の祖父母の葬儀より執り行った親父の葬式の方がより簡素だということは先に書いたけれども、これには事情というものがあり、86歳という年齢になると彼の同僚のほとんどが死に絶えるか寝たきり状態になっており、それが近くでも、呼んでも来れないということがあった。

 親戚は祖父の代に実家とは疎遠になっており、だいたい私も行ったことがないし、顔も知らないしで、これも呼べないので親戚衆もごく少数にとどまった。晩年まで付き合いのあった岡谷工業高校時代からの親友は半年前に亡くなっており、これは親父には知らせなかった。もう一人の親友は寝たきりの痴呆状態であり、これは死んだことさえ分からないだろう。残りの私の知っている面子は全員が亡くなっている。

 それでも10年前に103歳で死んだ婆さんよりはマシだったかも知れない。これになると同年輩は誰もいないので、葬儀の際に80年前の赤穂中学の教え子が弔問に訪れた時には遺族の我々の方が驚いた。聞けば婆さんは故郷の中学で教師をしており、その事実自体知らなかったが、教員をしていたということは女学校は出ていたはずである。もはや歴史書の世界で、もちろん戦前で、どんな様子だったかは私でも分からない。

 人によっては別の事情、ビジネスとか権勢を示す意味で葬儀を大々的に行う例はあるけれども、そういうものは最近のこの地域では見ないし、今や岡谷市の人口は4万人を少し切るくらいで、高齢化率は4割を超える。ウィキペディアにはもっとマシな数字が載っているが、私が見たものと違ったし、実感としてもそんな感じである。街には老人しかおらず、若者を見ることは稀である。

 香典も返す相手が見込めないのでいっそ止めようと提案したが、主導権を握っているのは私ではないので一律3万円と決め、葬儀の際には次は誰になりそうか見定めることにした。一部の参列者にとっては投資はすぐに回収できるだろう。私は取らない方が良かったと思っている。河野の場合は故人の意思が先だって伝えられており、香典はなしで済ませているが、仮に払っても半年後に回収できたことがある。

 葬式三倍の法則というものがあるが、正当な経費については支払うべきと思う。例えば納棺師、火葬まで一週間近くの時間があると遺体はそれなりに痛む。その都度、納棺師が整えて遺体を見れる状態にしていることがある。要人や王族などVIPの場合は体液を交換するエンバーミングという措置が施されるが、パンピーの親父にその処理はなく(必要もなく)、その分遺体の劣化は日単位で早まることになる。納棺師はセメダインと脱脂綿と顔料を駆使してかなり良い仕事をしたようだが、一部には遺体を腐らせる業者もあるというからなおさらだ。が、業者から支払われる報酬は中抜きもあり高くなさそうで、数をこなさないと生活できないことがある。棺桶はジャストサイズだったが、これは丁度良い長さに収まるよう納棺師が伸ばしたり縮めたりしたのだろう。

 火葬は以前の性能の悪いガス釜では焼けるのに3時間くらい掛かったが、新型の高性能焼却炉は優れたテクノロジーで普通の遺体なら1時間程度で灰にしてくれる。なので火葬の合間の与太話、故人を偲んでの談笑は短時間しか取れないが、これは今後考えた方が良いことかも知れない。

 葬儀の最中や後は弔問者に提供するお食事、「三倍の法則」がモロに適用される分野で岡谷シティーホールの場合は隣のいちやまマートの調製だが、普通に見繕えば1,000円くらいの折詰が4,400円、刺身つきが6,000円で提供されていた。2回提供したので供食は一人あたり1万円と少し。が、以前よりはマシという意見もあり、だいぶ前の葬儀では親類総出で大根や油揚げを煮たり焼いたりしていたのだから、この金額は高くないという叔父叔母やらのコメントもあった。

 なお、岡谷の場合はうなぎが名物であるが、これが名物になったのも葬式需要による。以前の岡谷市の人口は9万人弱で、同年輩の出稼ぎが多かったことから葬式は頻繁にあった。今回も付けたかったが高すぎるので止めにした。

 料理の場合は味付けを見ると料理人の履歴を垣間見ることができる。どうも学校給食の経験者のようで、食堂経営者の場合は味付けの基調はどの料理も同じと合理化されているが、出された料理の味付けは品目ごとに異なっており、技術は高かったことから、これは年配のセンター以前の給食経験者である。

 大学時代にハゲ頭の元国会職員の教授がプライベート・フィナンシャル・イニシアティブ(PFI)の効用を力説していたけれども、実業を知らない彼の頭の程度などこんなものである。合理化と民営化で質の高いサービスを提供するためには技術者を低廉な賃金で容易に確保できなければ成り立たない。その技術者は誰が養成するか、彼が一見非効率、非能率、ムダの塊と揶揄していた公的機関や大企業が養成していたのである。その泉が尽きれば、大阪の学校給食のような低品質で劣悪なサービスを他に選択肢もなく受け容れることになる。幸い今回は助かったが、次は動員を考えないといけないかもしれない。

 しかし、数ある費用の中でもいちばん腹ただしく、理不尽を感じるのはやはり宗教者への支払いだろうか。岡谷の場合は50万円が相場で、実際その金額だが、これも慣習で領収書は切られず、非課税文書だが文書すらなく、ほか、車代や御膳代も別にあることから、一見してかなりの利益率であり、この宗教ビジネスの阿漕さから、「墓じまい」を考える人が多いことも頷ける。

 お墓は親父は先に建てておいてくれたが、良く持って150年くらいである。私の実家の近くに母方の墓地(常福寺霊園)があるが、そこでも碑文を読めたのは天保時代までで、案外持ちは悪く、祭祀が途絶えた場合、故人の墓を見つけるのは相当困難だと想像できる。大半は慶応年間で読めなくなっており、そんなに長い間お寺と昵懇にしている家は一部の名家に限られると思うので、お墓についてはそれほど深刻に悩む必要はないと思う。制度上認められていないが、鳥葬でも良かったくらいだ。維持できないならできないで、100年後に子孫が残っている自信がなければ妙な義理立てはせず、遺灰は共同墓地に移して、さっさと閉じるのが正解だと思う。

 常福寺の墓地についてはいつからあったのかは話を聞いても良く分からない。ギリギリ碑文が読めたのが天保年間で、その後ろにもあったが石自体が磨減して割れて分解しており、敷地面積を考えるともう200年くらい、1700年(赤穂浪士討ち入りの頃)くらいの場所だと思うが、もっと古いという意見もあり、葬法は火葬した骨を三分割して先祖代々の墓と本人の墓、それと土葬時代の名残である賽の河原みたいな良く分からない場所に埋める方法で、祭祀が途絶えるとどこに誰の墓があるのか分からないものになってしまう。管掌している常福寺が臨済宗妙心寺派で、この寺と共にあったとすると1700年で私もそれが妥当だと思うが、それだと言い伝えによる家史と150年ほどの齟齬が生じ、まるで違うものになってしまうので、お寺以前は多分別の場所、山の中とか田畑の間とかに土葬していたものと思われる。

 長浜の下坂氏館は後醍醐天皇も立ち寄った近江の名家だが、この館の場合は堡塁のほか寺院も館内に持っており、このくらいやらないと先祖代々の墓というのは維持できないと思う。たぶん常福寺は家史とは関係はなく、江戸時代に招かれたのだろう。

 結論をいえば、故人はもう存在しないのだから、葬儀や墓地についてはケチるだけケチっても別にバチは当たらないということである。火葬のみというサービスもあるが、それでも別に良いと思う。私は火葬が大好きだが、これの良いのは故人が死んだことを確実に理解することができ、人間が所詮モノでしかないこと、永遠に存在できるものなど存在しないという無常をこれ以上はないほど感じさせてくれるからである。永遠の平和は永遠の怠惰である。無常の乾漠に時の流れを垣間見てこそ人は前に進むことができる。これこそが死者が生者に贈った最大の贈り物である。その点、この葬法を発明した釈迦は偉大な人だったと思う。

 気分が滅入る話なので、今日はここまで。

 

(補記)

 先と上のような文章を読むと、私がいい年をして父親の死をせせら笑っている人非人だと思われるかも知れないが、私が嗤うのは葬儀を巡る滑稽な生者たちで、実は葬儀の最中は泣き出したくなるのを必死で堪えていた。夜中に一人で対面したことも火葬までが連休を挟んでやたら長かったことで何度もあったし、その度に申し訳なかったと思うことしきりである。が、私の立場ではそれを表に出すことは許されない。平静を装っていたが、悲しみをあからさまに示す所作にわざとらしさを覚えていたこともある。私は最も冷静な人間だが、感情の量が人より少ない人間ではないことは自覚しており、忍耐はこれまで修練してきた自己コントロールの賜物である。