先月7日のハマスの大規模攻撃に呼応したイスラエル軍のガザ地区攻撃はその犠牲者の多さから全世界で停戦の声が高まっているが、停戦に異論はないものの、責任者である最高司令官への非難が聞かれないことには奇妙な印象を覚える。
今のところネタニヤフが指令しているのはハマスの撃滅で、人質の救出や民間人の犠牲を抑えることについては触れられていない。むしろ民間人のいるビルの直下にハマスの地下壕があることから、一緒に吹き飛ばすのはやむを得ないとバンカーバスター爆弾を雨あられと降らせていることがある。
ここにはポピュリスト政権の抜き難い偏見、ガザ地区も含むパレスチナの住民を同じ人間と見ていない、イスラエル人優位の歪んだ人権感覚がある。それはかつて黒人や黄色人種を人として認めつつもロジックで差別を正当化したかつての白人社会に通じるものがある。
※ 同じようなロジックは寛容主義の後退以降は手を替え品を替え世界各地で見られ、日本では安倍晋三と彼のシンパが用いているようなものである。
確かに市民に紛れたゲリラを選別して掃討することは難しいが、だからといってその危険が蛮行の正当化に繋がるものでもない。たった一人のパレスチナ人の凶行でその地域の住民全員が処断されることがナンセンスなことは子供でも分かることだ。刑法は個人を罰する。ここでイスラエルが個人の罪で共同体を罰することは近代社会の否定、法の支配の否定である。
※ これもあまり聞かない話である。ロシアや中国相手に「法の支配」を力説していた日本国首相はどこに行ったのだろう?
ロシアがウクライナで行っていることは戦争犯罪だが、同様にハマス掃討を命じたネタニヤフも立派に犯罪者の資格がある。ここでプーチンは裁いてもネタニヤフは裁かないのであれば、国際刑事裁判所の評判は地に落ちるだろう。
軍隊というものは命令絶対の暴力装置だが、その命令の解釈には優先順位がある。命令が「敵を撃滅し、可能なら人質を救出せよ」ならば、軍隊は人質の犠牲は顧慮せずに敵撃滅に注力するだろうし、「人質を救出し、敵を撃破せよ」でも敵の撃破の方を優先する。命令は一義的に明確でなければならず、命令が多義的な場合は実行しうる方を優先する特性が軍隊にはある。それはイラク戦争も含むこれまでの紛争で散々に示されたことであり、「〇〇村のゲリラを掃討せよ」と命ずれば村民ごと虐殺するのが軍隊である。
※ かつての日本軍でも飛行場を建設するために島民全員を虐殺した例がある。
ここでネタニヤフは市街地への進軍は留保しつつも「ハマス撃滅」を呼号しているのだから、彼の軍隊がどんな手段を使ってでも敵を攻撃することは明白だし、これが人質とガザ市民殺害のエクスキューズであることも明白である。人質を救出したいのなら「人質を救出せよ」と命じるべきであり、その他の言の葉は要らない。
軍隊がそういうものであることは、長年政権を担当し、最高司令官を務めた身なら十二分に知悉していることである。なので、私は彼のパレスチナ人に対する冷血さに背筋が寒くなるのを覚えるのである。
※ 同じような冷血ぶりはコロナで国民がバタバタ死んでいくのに防疫措置を採らなかったブラジルのボルソナロにも言える。どうも同じ傾向の指導者は他にもいるようである。
アメリカは大統領まで送って侵攻を思い止まらせようとしたが、最高指導者の発言については掣肘していない。見ようによっては虐殺を追認しているようにも見えるが、この世界史上に残る蛮行が両国の利益になることはおそらくないだろう。
※ それどころか中東全域を巻き込んだ世界大戦の危機である。
イスラエルの建国でディアスポラとなったパレスチナ人は多くが全世界に散ったが、残った者は共同体を構成し、「パレスチナ人意識」ともいえる独自の集団意識を持ったとされる。一部は境界を超えてイスラエル人に雇用されており、このパレスチナ人労働力はイスラエルの産業の一部を構成している。
ネタニヤフの政策はこのパレスチナ人共同体を消滅させ、パレスチナ人を二級市民としてイスラエルに組み込むことでは一貫しており、これは我が国で外国人労働者を技能実習生として奴隷的に雇用したり、流亡した内陸住民を低賃金で使役している中国にも通じるものがある。
※ チベットで子供を鎖に繋いで衣類を作らせていたユニクロという会社も日本にはあった。
彼のような野蛮な人間が20年近くも首相の座にあったのは、彼がアメリカで教育を受けた西欧的な人物で、人権は二の次に株価と収益を重視する新自由主義的な志向にピタリと嵌る人物であったことによる。このような人物が今世紀に入っての政治や経済の主流だった。ネタニヤフは一人だが、ネタニヤフ的志向の人物は全世界に大勢いる。
※ 多くは立派なスーツを着て分不相応の高給を食み、ダボス会議に出席している。
こういうものの害が目に見える形で明らかになってきたのが昨今ではないだろうか。こんな様子では人類は現在はおろか、将来でさえ無事に22世紀を迎えられるのかどうか怪しい。プーチンも人殺しだがネタニヤフも人殺しである。こういうことが真っ当に言えない世界は、どこかおかしい。