面白くも珍しくもない葬式話は前回で終わりにしようと思ったが、相続については書き忘れたので付言しておく。実は我が国の民法、これが少々分かりにくい。
相続順位については900条に規定があるが、前提となっているのは相続人は第3順位までということである。被相続人(死んだ人)は0順位で、配偶者は常に相続人となるが、配偶者の親族、つまり姻族には相続人はいない。
被相続人から近い順に第1順位、第2順位となるが、1号から卑属、つまり被相続人の子(第1順位)が被相続人の親(第1順位)に優先する。子が先に死んでいる場合はその子の子(第2順位)になり(代襲相続)、その子もいない場合はその子の子のさらに子(第3順位)が相続人となる(再代襲)。それもいない場合に初めて尊属(親)が議論になる(2号)。
ここで代襲相続とは第3順位の相続人に相続を可能にする仕掛けだと分かる。3号では配偶者と被相続人の兄弟姉妹の相続が規定されているが、民法はここで代襲を1回だけ許し、甥と姪(第3順位)に相続権を継承させている。甥と姪の子供(第4順位)は法定相続人ではない。
代襲相続はかなり無理のある仕掛けで、一読して分かりにくいが、その意味するところを見れば、民法が考える法定相続人は第3順位までということが分かる。昔のドイツにあったような相続順位を際限なく遡って相続させる「笑う相続人(Lachnder Erbe)」は日本民法では起きないものになっている。
最初から書いてくれれば良いものを、この論理から、民法には一読して分からない2種類の相続人がさらにいることになる。2号で直系尊属が相続人となることからひいじいさん(ばあさん)は第3順位として相続人となり、さらに分かりにくいものとして傍系血族のおじ(おば)も相続人となる。直系のひいじいさんはたいてい死んでいるので、現実的に問題となるのは被相続人の親の兄弟(ひい叔父さんとでも言うのだろうか?)ということになる。第3順位までを相続人とするのが民法の論理なら、法律に書いてなくても、他に相続人がいなければ、彼らは相続人となる。
それ以外に相続人はいない。これもいなければ毎度おなじみ特別縁故者という話になる。相続人捜索の公告も並行するが、ひいじいさん、ばあさんの兄弟など昔は死産も多かったことから、知らないし分からなくて当然である。あの公告というふざけた制度は裁判所のショーケースに紙束を置くだけの紙資源の浪費だが、民法を書いた人は「念のため」必要と考えたのだろう。知っての通り、これもいない財産は国庫に収納される。
民法の教科書も相続関係図は第6順位まで書かれているものがほとんどだが、ひいのひいのひいじいさんの相続という話をマジメに議論した民法学者を私は知らないし、現実的な議論でもないことから、これは余白がもったいないという著者のサービス精神に違いない。非実用的だし、こんなものは見ても誰も覚えない。
なお、日本昔ばなしの定番コーナーとして「神隠し」があるが、たいてい若い女性だが、ほとんどは村の祭囃子など適当な場所で不条理に性交し、出産に失敗して母子共々死んでしまったものをいう。恐ろしい民話の世界では、そういった母子は産婆と共謀して人知れず山に埋めてしまったのであり、傍目には失踪に見えることから、これを「神隠し」という。
今の中学生は体躯も良くなり、妊娠したくらいでは死ななそうだが、昔は10代の妊娠で子宮が破れて失血死という恐ろしい話が少なからずあった。
正直な話、民法900条は不親切な条文だが、経済発展して人口も増えていた時代ではズサンな条文が問題化することはなかった。が、少子高齢化が進み、未婚の男女が増えている今日では書いたような例が現実化する状況は十二分にある。
あと、遺留分がある。民法相続法の条文は大部分が「こうした方が良いですよ」とか「話し合って決めてください」的な、これは法律とも呼び難いようなユルいものだが、そもそも相続法自体法律だと私は思っていないが、1,042条に突如現れる遺留分は709条に比肩する強行的な規定である。
読んでいる側としては千条も読んでいてもう飽きたよという時に現れるゴルゴ13のような条文であり、これは遺言シールドや遺産分割バリアでも防ぐことはできず、709条と書いたが、本質的に不法行為なのである。法学部出身者でもこれをやる時期は大学4年の就職活動の最中で、司法試験でも出ないと実社会に出てから学びなおす条文の最たるものである。それがゴルゴ13、何を考えているのだろうか?
法学徒ですらこんな様子なのだから、一般などはなおさらで、説明しても合意で簡単に排除できると思っている人が大半だが、そんなものではないし、相続人間の折り合いが悪い場合には争いの原因になり、アドバイスした士業者には損害賠償のリスクもある。これを無視した場合には、少なくとも1年間は兄弟ケンカが起きないことを祈るのみである。