韓国ソウル大の黄禹錫教授の胚(はい)性幹細胞(ES細胞)研究をめぐる疑惑、って長い名称ですね。でもそう呼ぶしか仕方ないみたいです。

どうもよく分からないのが、こんなに大規模なでっち上げ、バレると思わなかったんでしょうか、ということと、同時になんで発表された当初にすぐに疑われなかったんでしょうか。

本当であればすごいこと、であればあるほど、その実用性とかにすぐに目が向くわけで、期待はどんどん高まるはずじゃないでしょうか。本当は実験に成功していたのに、その証拠が事故で失われたためになんとなくデータ捏造、ならまだ同情の余地はあるんですが、まったく夢物語、みたいな完全でっち上げだと、「そもそも何がやりたかったんだろう」という疑問がふつふつと沸いてきます。

こんなに世界が注目する、と思ってなかったんですかね。
アメリカのミズーリ州で救急車でのどを詰まらせた女性が搬送されたそうですが、彼女ののどに詰まっていたものを聞いてビックリ。なんと、携帯電話だそうです。

アメリカではポピュラーな食べ物なのか、アメリカの女性は口が大きいのか、とかいろいろと考えていたのですが、どうやら、ボーイフレンドとの口論がきっかけで無理やり口に押し込まれた可能性もあるとのこと。

やることが極端ですな。
昼間家にいないことが多いので、宅配便の不在配達票を受け取ることはざらにあります。そういうとき、深夜でもウェブで再配達の日時を指定できるのは本当に便利なので、かなりひんぱんに利用しています。

夕べも、午前5時ぐらいに再配達を入力したんですが、一度間違えて「時間指定なし」で申し込んでしまったので、もう一度「午前中」に時間を指定して申し込み直しました。

すると、今朝の11時ぐらいに、電話がなります。出ると、
「すいません、ヤマト運輸と申しますが…」

なんだかもじもじしています。どうしたのかな、と思っていると、

「あのー、荷物のパッケージを積み忘れてしまいまして、本日の午前中にお届けできないんですが…」

という話。それはもじもじするわな、と思いました。これが、再配達を2回申し込んだ影響なのかどうかは知りません。そうでないとしたら、なかなかあり得ないうっかりだとおもいますが、正直に電話をしてくる姿勢には好感をもちました。幸い年末で明日は午前中に用事もないので明日の午前中に、ということで落ちつきました。

イメージ 1

間違いの告白です。

渋谷の会社から走って新宿の自宅まで帰る途中にある、千駄ケ谷のダイナー、本日までずっとPine's Dinerだと信じていたのですが、ちょっと、写真をよく見てください。

「N」の文字が特に装飾が多くて分かりにくかったのですが、これは、Pine's ではなく、One's と書いてあるのでした。

ウェブでも調べて、Pine's Dinerとこの店の事を明らかに指している記事もありましたので、きっと他にも間違えている人がいるのでしょう。メニューの文字を見て、間違いに気付きました。

いやはや。

イメージ 1

イメージ 2

二夜連続で、シリーズものを見ています。「ハムナプトラ2:黄金のピラミッド」です。原題はThe Mummy Returnsと、これも正統的。ただこんどはやや複雑な構造になっています。

前回主演のリック・オコネルとイブリンが結婚して、もう子供もいるという設定。その子供も早熟な考古学者の卵で、相変わらず兄のジョナサンはふらふらしています。また探検の途中で今度は5000年前のサソリ王(Scorpion King)を復活させる鍵を掘り当ててしまいます。それでまた秘密の組織から追っかけられたりして、しかも前回復活して、封印したはずのイムホテップまで早々と復活させられて、サソリ王との対決をもくろんでいます。このへん、人間の都合で殺されたり復活させられたり、ミイラも楽じゃないです。

前作同様、ゆるい展開で夫婦がキスしている間に子供が腕輪をはめたり誘拐されたりいろんな事が起こってしまいます。イヴリンは前世がエジプト王の娘だった、という設定が明らかになり、そのなかで仇敵との対決の時が迫ります。

前回同様、あまり「なぜ」とか「善悪」とか考えずに見ていれば十分楽しめるとおもうのですが、イムホテップの悲しみ、のようなものは前半不発で、なんか「人造人間キカイダー01」で復活させられたハカイダーのような道化的な役回りを追ってしまったようで、ややガッカリぎみです。代わりに誘拐された子供を思う母の心、みたいなものに焦点があたるのですが、やや安っぽいかも。

また、グラフィックもサソリ王が出てきた段階でちょっと力尽きている、というか、前回のイムホテップの力の入りように比べるとこれは明らかにCG、と分かってしまい、もともとは人間だったかも知れませんが、もはやただの怪物としか言えないキャラクターになってしまっていました。

途中でイヴリンが死んでしまう、というのがミソで、ややインディジョーンズ3を連想させるのですが、これがある事で、リックの「神の戦士」としての宿命に目覚める動機付けになるのでいいんじゃないかと思いました。

もう一つのクライマックスは、終盤にイムホテップとリックが同時に地底に落ちかけるときで、ここで2組の愛が試される。初めてイムホテップに感情移入できるシーンが出てきました。

そういう意味では、やはりThe Mummy Returnsというタイトルの割にはミイラのアイデンティティーが薄れてしまったパート2もの、ということになるかも知れません。

イメージ 1

イメージ 2

まとめて5枚も借りたうちの数枚、消化しきれないかと慌てて見ています。で、ヒットしたのは知ってましたが見ていなかったのがこの「ハムナプトラ~失われた砂漠の都」です。

本編を見終わってから、メイキングをちょっと見て初めて気付いたのですが、これは、ホラーものの古典の「The Mummy」のリメイクだそうです。で、リメイクした方の原題もちゃんとThe Mummyになっています。訳せば「ミイラ」その物なので、ちょっと地味なタイトルになったかも知れませんが、「ハムナプトラ」という、場所をメインに打ち出したタイトルにした事で、映画全体の焦点がややインディジョーンズ風の探検もの、と誤解させる方向にシフトした傾向はあったかも知れませんね。

もちろん、宝探しのシーンもふんだんに出てはくるのですが、あくまでもここで追いかけるべきは、考古学者のうっかりから偶然復活してしまったミイラの怨念、その生と愛へのと見るのが正しいでしょう。それに足る演出と演技だったと思います。

監督の姿勢も正しく「ホラー」している、というか古典の世界をきちんとふまえた上で血しぶきが飛び散る「キモい」映画ではなく、見せない事で想像力をかきたてる、上品に「怖い」映画を作り出す事に成功していると思います。派手なCGがふんだんに使われていますが、すべては俳優の演技をベースに、伝わるものを、という心がけから来ているのがメイキングから伝わってきます。そういう意味で、現場での俳優さんが気持ちよさそうに仕事していたのが伝わってきます。パート2で、主要なキャストが全く前作のイメージを裏切る事なく再集合している事からもそれは伝わってきますね。

さて、主演のブレンダン・フレイザー、声が堂々としていていいです。しかし、僕は知っています。この人はかつて「原始のマン Encino Man」で、古代人役をやっていたという事実を。MTVのDJ、ポーリー・ショアの映画デビュー作として作られた90年代前半のかなりトホホな映画だったはずですが、当時のイメージは払拭して、堂々としたコメディーを演じています。アクションも出来て、ボケられるのは、貴重な人材だと思いますね。すぐに勘違いしてバカが出来なくなるスターが多いだけに。レイチェル・ワイズも絶世の美人ではありませんが、かわいらしいです。誰かに似ていると思ったら、歌手のフリップフラップにちょっと似ているかも。

レイチェル演じるイヴリンのお兄さんジョナサン役をやっているジョン・ハンナという人、なかなか楽しいコメディアンです。ちょっとボブ・ペックにも似ていますが、もっと似ているのは、ペット・ショップ・ボーイズのどっちか片方の人。名前は覚えていませんが。

イメージ 1

イメージ 2

ロバート・カルプと言う人がゲストスターで犯人役をやっていました。私立探偵社を経営する元警官、という設定で、捜査を始めたコロンボに協力を申し出る、という筋立て。原題の"Death Lends a Hand"というのもここから来ています。

3社の新聞社を抱えてマスコミに絶大なる影響を持つ新聞王の奥さんの浮気調査を頼まれたのをきっかけに、次の選挙戦の情報をこっそり教えてもらおうと奥さんをゆする犯人。ところが断られ、あわや身の破滅を招きそうに。慌てて左手のバックハンドで殴ったのが運悪く後頭部にゴツン。犯行の瞬間のイメージ映像が結構いけてます。コロンボぐらいの時代までは、無残な死体をあまり露骨に見せないで演出で見せようという心意気があっていいですね。

一度は浮気を疑った妻を殺された新聞王役にレイ・ミランドが登場。このひとは、「悪の温室」で犯人役も演じた名優で「X線の目を持つ男 The Man with X-Ray Eyes」というカルトSF作品を見た事があります。

妻を殺され、なんとしても犯人を挙げるのだ、というプレッシャーをコロンボにかけ続ける立場であるのが味噌で、その意味でもこの新聞王の役割は非常に大きいです。

反面、カルプ演じる探偵の方はやや小物感が漂ってしまい、もともと殺したきっかけもちんけなゆすりが目的だし、相手が断ってきたときにどういう事態になるかを全く想定していないあたり、頭もあんまりよろしくない。すぐかッとなる悪い癖もコロンボの前で見せてしまったり、コロンボの実力を知ってしまった今となっては、なんとも詰めの甘い犯人です。

そんなわけで、終盤には新聞王とコロンボの強力なタッグの前に哀れな姿をさらすようなことになるわけですが、それでもレイ・ミランドのどうどうたる存在感があるからこそ、最後まで緊張感を持って見れたのかな、と思ったりもするわけです。なぜ、死体を搬送した車にこだわったのか、というところがミステリーのトリックとしてはミソなんですが、そういう引っかけの用意周到さはコロンボの恐ろしい所でもあったりします。

でも、よく考えると、新聞王が探偵に捜査の協力を依頼しなければ、コロンボは犯人とは出会わない予定ではなかったかと。そういう意味では、余計な捜査を手伝ってしまったがために犯行がばれてしまうという、なんとも不幸な巡り合わせでした。

イメージ 1

ニコラス・ケイジのどこがいいのか、実はよく分からないまま今日まで生きてきました。「ワイルド・アット・ハート」も「アモス&アンドリュー」も、「ザ・ロック」も、「フェイス/オフ」も、「スネーク・アイズ」も見たのですが、まだ分かりませんでした。本当にいろんな役をこなしていて、ヒーローにもなり、粋がったちんぴらもやり、プロフェッショナルな泥棒もやりながら、どの役も本当は彼にはぴったりではないような気がしていたのです。彼にはむき出しの狂気は似合わない。むしろ迷った子供のような、自分はここに属さないということを自覚した子供のような悲しみの方が、彼の瞳には似合うようです。そう、彼の目ってキレイすぎるんじゃないでしょうか。

その瞳をサングラスに隠しての武器商人ユーリの役柄。ロシアの移民の子がロシアン・マフィアの殺戮現場を目撃した瞬間から武器に魅せられて、次々と裏の世界に手を染めていき、のし上がる様子が描かれます。実際には、この前段部分の描き方の物足りなさが不満だったりしたのですが、後半の展開のうまさにそういう不満は吹っ飛んでしまいます。

その根は彼の弟・ヴィターリの弱さの中に芽生えていたのでしょうか。もともとは料理人として身を立てるつもりでいたところに兄に無理やり裏業界に引き込まれた形の弟。自分に戦争の責任はないといいながらも実際にはその拡大に加担しているという意識を紛らわせるために麻薬におほれていく姿。そして立ち直ってからは堅気に生きる決心をしたその矢先に、ふたたびユーリの力にならざるを得ない皮肉。

ユーリの妻エヴァもその彼の生き方を見て見ぬふりをしながら自分をだまし続ける事に耐えられなくなり、彼の元を去ります。どうして足を洗えないのか、と問いただす妻に対して答える言葉は、ただ「その才能があるから」。自分が生きた事の証が人の死の原因になるという痛烈な皮肉でしょう。

そして、身内といえる人間すべてを失って、逮捕された後に、本当のクライマックスは来ます。彼を追い続けてきた捜査官の尋問に不敵に答えるユーリ、その訳は…。

オフィシャルサイトを見ても分かりますが、この映画自体が武器商人を肯定しているわけではもちろんありません。実際映画の制作のためのスタジオも、メジャーなところには軒並み断られたのだとか。このアンチ・ヒーローをあえて演じた彼の心意気もすがすがしい。僕にとっては、ニコラス・ケイジの代表作と言えるものになりました。

同じ実話ベースとはいえ、「ドミノ」が目指した地点をはるかに超えて多くのものを語る傑作だと思います。
また行ってきました、げんしじん事務所主催のお笑いライブ「雑音フェティッシュ」。23日(金)のプレ・イブですが、果たしてデートで来ていた人はどのくらいいたんでしょうか。はたまたデートで見る内容として適切なのかどうか。

今回のキャストで目立つ名前としてはなんといってもぜんじろうでしょう。ただ、本人が出てきて、「ぜんじろうはどこへ消えたのか」をテーマに、ちょっとした思い出話をしただけで、ネタらしいネタをやってくれなかったのは残念。「自分は消えてない」と言う事を言葉で主張するよりは、ネタの現役ぶりを見せてくれた方が説得力があるんじゃないでしょうか。若手を持ち上げて評論家ぶるよりはその方が見たかった。師匠の上岡龍太郎の思い出話はそれなりに面白くはあったのですが。

その他、ブラックパイナーSOSと三拍子は安定した実力。三拍子は年をとってもこのテンポがキープできたら相当いいところまで行くんじゃないでしょうか。ルックスのいい方がボケで、しかもそのボケが半端でないところ、ちょっと前からお気に入りです。げんしじん事務所の売れっ子タレント、レム色も健在。やや固さが取れて安定成長の時期か。キャンキャンという沖縄出身のコンビもなかなか可能性を感じさせます。沖縄の人だとちょっと妙にのんびりした部分やナイーブな部分が露呈してしまうホームチームのような場合もあるんですが、そういうハンデは感じさせず、むしろボケのスケールが大きいと感じました。

意外によかったのがフレッシュコーナー。しばらく見ないうちにずいぶんレベルアップしてます。規格外のアウトローが減った寂しさも若干はありますが、出てきた芸人さんで全く笑えなかったものはなく、唯一「いけないパラダイス」だけは下品すぎてリアクションに困る感じ。特に若い女の子が多い会場であの下ネタはどうなんでしょう。桜前線もシャッフルもジェニーゴーゴーもよかったですが、湯川☆セイントセイヤもひょっとしたら化けるかも、というレベルまで来てます。コーナー司会のレム色の仕切りもだいぶうまくなってた、というか危険地帯に踏み込まない知恵がついたというか。

げんしじんのコーナーはまた巨大な宇宙が展開。オチが分かっているネタでも面白い、という意味ではこの人の芸はもはや落語のような古典芸能の粋に達しているのかも知れません。

そういえば、清水宏って、あの人なんなんでしょう。ネタをやったわけでもないのに妙に面白かったんですが。

イメージ 1

イメージ 2

このフランスで起こったムーブメント、話には聞いていたのですが、ちゃんとした形で作品を見た事がなかったのです。今夜はオールナイトでいいものがないなぁと思って探していたら、渋谷のシネセゾン20周年の企画でヌーヴェルバーグ特集をオールナイトでやるらしいので、思い立って行って見ました。行ってみると意外にも会場は満員。「立ち見かも知れません」などと脅かされて、整理券を買ってから入ったのですが、最前列にポツンと1つだけ席が空いていたので、なんとか座れました。

なんと映画を4本立て続けに上映。本番が始まったのが0時30分で、映画館を出たときには6時30分にはなっていました。

冒頭、30分ほど元シネセゾンの店員さん?の映画監督さんのトークショーがあったのですが、あまりポイントはなかったような。正直無理に呼ばなくてもよかったのに、と思ってしまいました。以下は見た順に簡単な印象を。

「勝手にしやがれ」
もう代表格のような作品なのでしょう、ご存知の人の方が多いのかも知れませんが、有名な冒頭のカーチェイス?シーンの編集のこととかを触れる事が多いので、そうとうなハードボイルドなギャング映画を連想していたのですが、むしろこれは哲学的な恋愛映画だったのですね。どうも字幕の翻訳のニュアンスが妙に反逆的な方向にもっていこうとしているようにも見えますが、自分はなぜこうするのか、なぜ愛しているのか、あるいは愛していないのか、道に迷った子供のような問い掛けに充ち満ちているような気がしました。それは映画の手法としても、人生哲学としても、恋愛論としても同じ方向を向いていたからこそ、こういう例外的な作品として結実したようにも思えます。「勝手にしやがれ」というタイトルがなければ、このようなムーブメントが日本で注目を集めるのは遅れたかも知れませんが、個人的にはあまり勝手な意訳をした邦題は好きではありません。

2本目に見たのが、「ジュテ」。
エンディングがどこかで見たような、と思ったら、これは「12モンキーズ」のヒントになった作品だったのですね。短編で、スチール構成に近い作品なのですが、タイムトリップ先の過去の世界の女性がまばたきするシーンだけがカラーで、しかもムービーになっているのが効果を上げています。ただ、これ以上長い作品を見せられてもこの手法は興味をつなぎ止められないような気もします。すでにこの作品でも同じカットの使い回しをやや見飽きた感じもしました。実際にはあれだけのスチール写真を撮るにはムービーをとるのに近い手間がかかったのではないかと思いますが。

3本目は「5時から7時のクレオ」
芸名を「クレオ」というシャンソン歌手が自分がガンなのでは、という疑惑からどんどん孤独に陥っていくのを、戦場に戻る直前の休暇中の兵士との会話の中で一個人としてのフローレンス(違った?とにかく本名)に戻ってココロを武装解除していく物語です。

もう一つ解釈を加えると、この主人公のクレオは歌手としては3枚のシングルカットはそこそこヒットしたもののその後は伸び悩んでおり、タクシーの運転手も歌を聴いた事があっても、彼女の顔を見たぐらいでは別に誰だか分かりもしない程度の歌手なのです。そのことや、仕事にかこつけて彼女のところにあまり通って来なくなった愛人のことに対するいらだちなど、彼女の精神生活はすでに破綻を来していた、と考えるべきで、病気になろうとならなかろうと、彼女はスター気取りのイヤな女であったことに変わりはなかったでしょう。それが、ガンの疑惑一つをきっかけに、「自分」は何か、を余計なものをそぎ落とす事に成功した、再生の物語なのだと思いました。

映画の内容もすばらしいのですが、中でつかわれている音楽が素晴らしい。即興で作曲家のミシェル・ルグランが弾いて見せる次回作のフレーズなど、きらめくばかりの輝きです。アニメ版「火の鳥」のサントラを初めて聞いたときがこの作曲家との出会いだったのですが、この作品を先に見ていたら、起用もうなずける話です。

最後を飾ったのが、オムニバス集の「パリところどころ」。
ヌーヴェルバーグの旗手たちが競うように、パリの土地柄にこだわって、ショートエピソードを綴っていくものです。手法的には一応ちょっと統一感を目指して、パリの各地域を説明するコメントが入ったりもするのですが、ゴダールなんかは全くそういう決まりごとを無視して勝手にやっているような部分もあり、結果的には各監督の個性が出ているようでもあります。「サンドニ街」のような、純粋コメディーの短編もあるのですが、どちらかというと人生の小さな疑問や矛盾、恐怖が日常生活の単調な流れの中に陥穽を開く、というものが多いです。「北駅」「エトワール広場」「ラ・ミュエット」などは、特にホラー要素が強く、偶然にも先日読んだばかりのルヴェルの短編集を思わせるものがありました。もしかしたら、フランス人の精神性の中にこういうショートコントへの指向性は根強いのかも知れません。