補足:「醜い家鴨の子」はなぜ醜いか
周知のように、「醜い家鴨の子」は実は白鳥の子であった。家鴨と白鳥では当然それぞれのUrbildが異なる。家鴨のUrbildを有する子たちの中に白鳥のUrbildを有する子が紛れ込むという差異性が「醜さ」の原因だと考えられる。従って逆の場合、すなわち白鳥の子たちの中に家鴨の子が紛れ込んでも同様の「醜さ」が生じるであろう。「自分たちとは違う」という意識が「醜さ」を生む、と言ってもいい。この事実に基づいて、Urbildの同一性の自覚が第一義の独立となり、それを原点とすることで第一義の連帯が形成されると私は考えたい。言うまでもなく、こうした第一義の独立と連帯は確固としたものであり、それ自体の円環は閉じている。家鴨の子は家鴨として独立し、他の家鴨たちと連帯して生きる。そこには家鴨の理想の完成がある。しかし、そこに白鳥が現れたらどうなるか。自分たちとは異なるUrbildを有する存在の出現は何をもたらすか。差異性に基づく「醜さ」故の異形の者に対する憎 悪か、それとも自分たちにはない「美しさ」を有する者への羨望か。何れにせよ、同一性の円環に生じた亀裂から第二義の独立と連帯への道が切り拓かれる。
補足:発掘と追求
「かく在る・かく在った」という事実を歴史の古層から発掘する経験学と「かく在らねばならぬ」というイデアを追求する規範学との対比において、私は古典文献学におけるヴィラモーヴィッツ=メレンドルフとニーチェとの関係を連想する。当時の権威であったヴィラモーヴィッツ=メレンドルフは新進気鋭のニーチェの『悲劇の誕生』を読んで、「こんなものを書く奴は学者としては死んだも同然だ」と吐き捨てたと言われている。何故か。ヴィラモーヴィッツ=メレンドルフは皮肉を込めて『悲劇の誕生』を「未来の文献学」と揶揄したが、彼の信ずる学問の未来には「かく在らねばならぬ」という主観性は余計なもの(在ってはならぬもの)でしかなかったからだ。確かに、ランケ以降、歴史学の基本は「過去を本当に起きたように(wie es eigentlich gewesen)記述すること」にあると見做されてきた。従って、その記述には記述者の主観性が一切混じってはならぬ。そうした実証主義的な姿勢こそが学者の本分に他ならない。しかし、本当にそうか。私は一度も学者であったことがないので何も言う資格はないが、物自体と同様に「過去自体」なるものもあり得ないのではないか。過去を現代に甦らせようとすれば、否応なくそこには主観性が入り込む。さりとて恣意的に過去が自分(現代人)の都合に合わせて改竄されることを許容するわけではない。そこには可能な限りの客観性(実証性)が不可欠だ。けれども、その事実を踏まえた上で、究極的には「かく在らねばならぬ」というヴィジョンが要請されるのではないか。ここにも古典主義(Urbild)とロマン主義(Vorbild)が相即しなけれならぬ所以が見出される。
独立と連帯(10)
時の移ろいと共に、時代の生活も変化する。今年の大河ドラマ『光る君へ』は平安貴族の社会が舞台だが、その後の武家社会、そして明治維新後の近代社会と続く歴史において、どんなに生活様式が変わっても「変わらぬ日本人」というものがあるだろうか。おそらく、平安の人がタイムスリップして令和の人に出会っても、「同じ日本人」と認識することは難しいだろう。互いに日本語を話しているのに会話さえ成立しないかもしれない。それでも、たとい政治体制が激変しても、庶民の暮らしにそれほどの変化はないとも考えられる。「常民」の生活というものだ。もし平安の人と令和の人が「常民」という共通の地平に立つことができるならば、両者は何かしらの「同じ日本人」を直観できるに違いない。この認識できないが直観できる「同じ日本人」こそ日本人のUrbildだと理解したい。それは未だ主もなく客もない次元での純粋経験だ。私はここに第一義の独立の原点を見出すが、問題はそれが実定化された後に生じてくる。すなわち、実定化されて認識できるようになると、そのUrbildは排他的で国粋的な「日本人の原点」として機能し始めるという問題だ。例えば、「君が代を拒否する輩は日本人にあらず!」と叫ぶ人の確信。実際、民俗学や文化人類学が歴史の古層から発掘してくる原点に基づいて日本人の連帯を求めるならば、多かれ少なかれ、排他的なナショナリズムは不可避だろう。「日本人であること」の確固たるアイデンティティが「日本人でないこと」を排除するのは理の当然だと言える。つまり、第一義の独立とそれに対応する第一義の連帯は同一性の限界を乗り越えられない、ということだ。正にこの限界に、第二義の独立と連帯が要請される所以がある。鄙見によれば、その要請は民俗学の限界を超克することでもある。余談ながら、私は前田英樹氏の『民俗と民藝』に次のような興味深い箇所を見出した。
柳宗悦は(柳田國男に)言う。「つまり民俗学は経験学として存在するのですね」と。そういうものであるとしたら、民俗学などつまらないではないか。ただの事実採集に過ぎないではないか。彼はそう思わざるを得なかっただろう。さらに柳は言う。「僕の方は経験学といふよりも規範学に属して居ると思ひます。かく在るあるひはかく在つたということを論ずるのではなくて、かくあらねばならぬという世界に触れて行く使命があると思ふのです。さういふ点は民藝と民俗学はちがいひます」。すると柳田は即座に応じる。「それははつきりちがふ。われわれの方にはさうしたものはない」と。
前田氏によれば、規範学としての民藝運動は「歴史のなかに強く入り込んでいく一種の直観的美学であり、美学を通しての社会変革を本気で主張する、無謀なまでの普及運動、あるいは布教活動に近いものを含んで」おり、「その活動は、近代資本主義の根本的な否定とギルド社会主義の実際上の提案にまで、おそらくまっすぐに進む」ものだ。これに基づいて私の問題を整理すれば次のようになる。
第一義の独立と連帯:Urbildを発掘する経験学としての民俗学
第二義の独立と連帯:Vorbildを追求する規範学としての民藝運動
(厳密に言えば、「平地人を戦慄せしめよ」という柳田國男に規範学のモチーフが全くなかったとは到底思えないが、今は不問に付す。)
ただし、先述したように、UrbildとVorbildは二元論的に対立するものではなく、あくまでも相即するものとして理解すべきだ。民俗学と民藝の関係も然り。そこで最後に、今後の課題として次のような式を提示しておきたい。
Urbild(Sein)×Vorbild(Sollen)=Einbildungskraft
もしくは
民俗学×民藝=日本浪曼派
独立と連帯(9)
今年も卒業式の季節が巡ってきた。そして、恒例行事のように「日の丸・君が代」を巡る軋轢も報じられている。私はいつも複雑な思いに囚われる。もとより「日の丸・君が代」に限らず、政府が国民に何かを強要することには大きな問題がある。たとい建前上は強要でなくても、巧妙に同調圧力をかけてくることには徹底的に抵抗したい。さりとて「日の丸・君が代」を拒否することで、恰も自らの独立を証明したかのように短絡している教師や生徒にも問題を感じる。それが真の抵抗なのか。「私の独立した存在理由もしくはアイデンティティは決して国家権力に束縛されるものではない」と主張するのなら、「日本人であること」は何を意味するのか。ちなみに先日、外国人の血を引く或る生徒の「自分のルーツは日本以外にあるので君が代は歌いたくない」という言葉を目にしたが、ルーツをUrbildと解するならば、この生徒の実存のUrbildは日本とは無縁だということになる。「今はグローバル化の時代なのに、君が代に拘る日本は時代遅れだ」というような言葉もあったが、グローバル化とはUrbildの忘却であろうか。私はこの生徒の国籍を知らない。日本国籍を有するのか、それとも外国籍で日本には単に長期滞在しているだけなのか。後者であれば特に問題はないが、「日本人であること」の深い自覚において君が代を拒否するのなら、そこには大きな問題が生じてくる。いや、君が代並びに天皇を拒否したいのなら、それでもいい。日本国憲法には「天皇は日本の象徴」と記されているが、それは国民の総意で撤回することは可能だろう。問題は天皇を拒否した後の「日本人であること」のUrbildにある。極端な話、天皇を拒否し、日本語も廃止して事実上の国際語と化している英語を採用し、米食をやめた人をなお「日本人」と言えるのか。あるいは「日本人」というナショナリティを超えて、「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない」インターナショナルな「国際人」になることがグローバル化時代に相応しい進化であろうか。そうした多様性に基づく進化に「日本人」のVorbildがあると言うならば、少なくとも私はそんな「日本人」にはなりたくない。果たして私の思耕は致命的に右傾化しているのであろうか。
独立と連帯(8)
連帯に第一義と第二義があるように、独立にも二義がある。第一義の独立は「天上天下唯我独尊」、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」、もしくは"Ich hab' mein Sach' auf Nichts gestellt." といった言葉に見出される。最後の言葉はシュティルナーの「唯一者」(der Einzige)を象徴するものだが、「私の事柄を無の上に据える」ことこそ第一義の独立に他ならない。しかし、そのような「唯一者」は現実にはあり得ない。両親からのDNA、家庭環境、自然環境(風土)、生まれ育った土地のSittlichkeitなどの上に私の事柄は否応なく据えられる。私の思耕さえ日本語の上でしか始まらない。とは言え、たとい親ガチャは不可避だとしても、「自分の人生を創造的無の上に据える」という意識は重要だ。かくして「私は私だ」という自同律が第一義の独立の原点となる。すなわち、私の事柄を私以外の何かの上に据えることの拒絶だ。ところが、"Je est un autre."とランボーも言うように、私以外の何かには自己も含まれる。 ここでキルケゴールの有名な一節を参照しておきたい。彼は自己について次のように述べている。
「自己とは、一つの関係、その関係それ自身に関係する関係である。あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係するということ、そのことである。自己とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係するということなのである。人間は無限性と有限性との、時間的なものと永遠なものとの、自由と必然との総合、要するに、一つの総合である。総合というのは、二つのものの間の関係である。このように考えたのでは、人間は未だ自己ではない。」
こうした「関係としての自己」の自覚において第一義の独立に亀裂が生じる。そして、「私は私だ」という自同律は不快を分泌する。以前に述べたように、主辞の私と賓辞の私の間にズレが生じるからだ。このズレから更に絶望が生まれ、それが第二義の独立への道を切り拓く。大雑把に言えば(いつも大雑把なことしか述べていないが)、第一義の独立、すなわち「私は私だ」という自同律に安住していられるような自己は、先のキルケゴールの引用の最後にあるように、未だ本当の自己ではない。勿論、第一義の独立に安住できるならそれでもいい。それは第一義の連帯に対応し、そこで一つの円環が閉じる。つまり、人生は充足する。問題は「その先の思耕」だが、私は依然として悩んでいる。私にとって、それは不可避だが、他の人たちにとってはどうか。「その先の思耕」は余計なお世話であろうか。しかし、ここでグダグダ悩んでいても仕方がない。先に進む。
独立と連帯(7)
広島市の職員研修資料に「教育勅語」が引用されているそうだ。その事実が明らかにされ、各方面からの批判が相次いでいる。「勅語」とは現人神である天皇が臣民である国民に対して述べる言葉であり、国民主権を謳う日本国憲法の精神に反するという批判は当然だろう。それにもかかわらず、こうした右寄りの挑発が繰り返されるのは何故か。「勅語」という形式は時代遅れかもしれないが、そこに込められた教育思想は依然として素晴らしいと思われているからだ。その典型が明治神宮の次のような見解に他ならない。
「勅語には、日本人が祖先から受け継いできた豊かな感性と美徳が表され、人が生きていくべき上で心がけるべき徳目が簡潔に述べられていましたが、戦後に教育勅語が排除された結果、我が国の倫理道徳観は著しく低下し、極端な個人主義が横溢し、教育現場はもとより、地域社会、家庭においても深刻な問題が多発しています。今こそ、私たちは教育勅語の精神を再認識し、道義の国日本再生のために、精進努力しなければなりません。」
要するに、「教育勅語」には日本人のUrbildが見出される、ということだ。この解釈の是非をどう判断すべきか。「勅語」という形式についても、神の言の啓示である「聖書」と一体何が違うのか。実に厄介な問題だが、連帯を問題にすれば畢竟これを避けては通れない。おそらく、右寄りの人たちが個人(主義)よりも連帯を重視する傾向性は不可避であろう。殊に個々バラバラの無縁社会に生きる大衆は、人と人との絆を渇望している。そこには個人主義の空疎な自由から逃走してファシズムの熱き連帯へと向かう危険性が常に胚胎している。この危険性に我々は如何に立ち向かうべきか。独立を死守するしかない、と私は考えている。では、死守すべき独立とは何か。
独立と連帯(6)
「このクソみたいな世界」という言葉を最近のドラマでよく耳にする。大抵半グレか、もしくは長く引き籠った末にキレて通り魔殺人に走るような若者が吐く捨て台詞だ。「こんなクソみたいな世界に生きているせいで自分は犯罪にしか行き場がなくなってしまった…」とでも言いたいのだろうか。クソみたいな屁理屈だ。この世界がクソみたいに醜悪であることが事実だとしても、自分もクソみたいな犯罪者になる理由にはならない。むしろ、現代社会がクソみたいな世界であるからこそ、その場所を美しき世界にすべきではないか。しかし、そんなことを言えばキレイゴトだと嗤われる。クソみたいな世界が目に見える現実の場所であり、美しき世界は目に見えない空想の場にすぎない。今や、それは半ば常識と化している。実際、美しき世界を語ろうにも、その言葉が見つからない。場所を語る言葉は幾らでもあるが、場を語る言葉は風に吹かれている。とは言え、現代社会に美しき世界が皆無だというわけではない。繰り返し言及している被災地における第一義の連帯(災害ユートピア)は美しき世界の典型だと言える。ペットボトルの水を法外な値段で売りつけるクソみたいな輩もいるが、殆どの人はなけなしの水を皆で分かち合う。本当は誰しも、クソみたいな悪人さえも、美しき世界に飢えているのではないか。第一義の連帯にこそ人のUrbildがあると信じたいのではないか。たといそうだとしても、すでにUrbildは致命的に壊れている。だから、Urbildに後向きに回帰しようとしても無駄だ。クソみたいな世界は美しくならない。残された希望はUrbildを前向きに反復すること、すなわちVorbildに求められる。
独立と連帯(5)
論理的に整理したところで何も伝わらない。連帯の第一義と第二義は、瀧澤克己の説く神と人との二つの接点と同様、不可分・不可同・不可逆の関係にある。第一義の連帯は実存のUrbildに、第二義の連帯はVorbildにそれぞれ基づくと考えられるが、基本となる関係に変化はない。私は「人のあるべき姿」としてのUrbildは厳然としてあると思う。それはimago Deiと言ってもいい。問題はその解釈だが、聖書などの啓示に依存するしかないとしても、到底言葉では表せない。例えば、LGBTQはUrbildに反するのか。この問いに対する明確な答えとなるUrbildの解釈はあり得ない。民俗学やら人類学やらを援用して、様々な解釈をめぐる討論の場があるだけだ。それも目に見えない場ではあるが、そこからVorbildへの道が切り拓かれる。UrbildとVorbildは相即しており、解釈学的循環によって理解するしかないだろう。確かに、第一義の連帯はある。それは目に見える場所に生きるUrbildとして実定化される。しかし、第二義の連帯で求められるVorbildとは不可逆の関係にあるとは言え、決して束縛されるようなものではないと考えたい。バルトは「Nein!」と嗤うだろうか。
独立と連帯(4)
「何を偉そうに…」という思いが常にある。自分自身に対してだ。生来の気弱さから私は自分の言葉の意味を考えてしまう。そして、たとい誰にも読まれなくても、その意味を他者がどう受け止めるかという反応まで考える。今は「その先の思耕」を行う言葉の意味を考えているが、不意に不安になった。誰も私の言葉になど関心がないだろう。「天才の言葉は凡人には理解されない」と臆面もなく豪語できるだけの図太さがあれば楽だが、生憎私の神経は凡庸にできている。いっそ便りを中止して独白に徹するか。思耕を中止するわけではない。「その先の思耕」を中止することはできない。思いは言葉によって耕される。沈黙はあり得ない。黙示の言葉は独白に結晶する。だから、「ユートピア数歩手前からの独白」として続けようと思った。しかし、それは矛盾している。「何処かの場所からの独白」というものはない。独白は人知れず単独でするものだ。誰にでも「独白の場所」はある。私にもある。ただし、「独白の場所」とは別に、私は敢えて「便りの場所」に拘りたい。黙殺されても他者を意識して郵便的に言葉を紡いでいきたい。私には「便りの場所」が不可欠だ。もう迷わない。便りを続ける。
そもそも私は何故、「その先の思耕」を行う言葉の意味に不安を懐いたのか。「その先の思耕」が求める連帯の必要性に揺らぎが生じたからだ。ここで改めて二つの連帯を図式的に整理しておきたい。
第一義の連帯:ゾーエーが求める連帯
第二義の連帯:ビオスが求める連帯
第一義の連帯は災害などで剥き出しの生命の危機に直面した人たちが自然に要請するもので、所謂「災害ユートピア」を形成する。この連帯の必要性を疑う人は皆無だろう。しかし残念ながら、それは持続しない。限界状況の非日常から日常への復興と共に、連帯の必要性も次第に薄れていく。勿論、それをいつまでも忘れないでいることは可能であり、先述の老人のように被災者の連帯の絆を広げている人も実在する。私はそうした第一義の連帯を無視するつもりは全くない。むしろ、災害時に特徴的な第一義の連帯を平時にも持続可能にすることは極めて重要な課題だと思っている。では、第一義の連帯だけで事足りるのか。第二義の連帯は余計なものなのか。私の思耕はそこから再開する。
独立と連帯(3)
嗚咽、というものを生まれて初めて耳にした。そんな気がした。阪神淡路大震災を神戸で体験した老人が、その日のことを語っている時のことだった。戸が軋むような音が何度もした。機械の不具合によるノイズかと思った。人の声だった。声にならぬ嗚咽だった。老人の家族は何とか無事だった。しかし、近所の家が倒壊して、人が下敷きになっていた。「助けて!」という声が聞こえる。姿も見える。周囲の人たちと懸命に助けようとしたが手の施しようがない。やがて火の手が上がる。炎が近づいてくる。人が焼け死んでいくのを、ただ見守るしかなかった。老人は目の前の人を助けられなかった無念に引き裂かれながら、人に助けられた感謝を胸に、その後に続く大災害、新潟中越、熊本、東日本大震災の被災者たちとの縁を結び、その連帯の輪を広げていった。今は能登の被災者たちとの連帯を築いている。連帯とは、本来そういうものだろう。日々生きている、いや生かされていることへの感謝の連帯。私は根源的に間違っていたのかもしれない。
「生きてるだけで丸儲け」という「本当のこと」とは別の一歩を踏み出す。昨日の便りを私はそう締め括った。その思いは今も変わりがない。悲惨で過酷な現実と対峙して生きる人々の連帯を私は決して無視するつもりはないが、私の究極的関心はあくまでも「その先の思耕」にある。しかし、それは黙示とすべきではないか。便りとして他人様(ひとさま)に公開するようなものではない。もとより殆ど誰にも読まれていない便りではあるけれども、私はけじめをつけなければならぬ。そう痛感している。