「スターリンによって進められてきた国作りが共産主義だったのですか?」 | 草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

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自虐史観を乗り越えて、「日本」のソ連化を阻止しよう!

一般的にそう信じられていますが、実際には違います。

そもそも当時のロシアには、共産主義に移行できるだけの社会的条件がありませんでした。

その条件とは、資本主義の十分な成熟、特に大工業生産様式の確立です。へ

だから、レーニンは、ロシアよりも資本主義的に発展していた西ヨーロッパ諸国を革命に巻き込み、社会主義を目指す過渡期国家に転化した西欧諸国の支援の下に、ロシアも過渡期国家として歩むという戦略を立てたのです。しかし、ドイツ革命が頓挫し、西欧諸国が社会主義への過渡期に入る可能性が当面遠のいたと判断するや、次のように方針を改めたのです

《 われわれはまったく公然と資本主義を新しくつくりだす。これは国家資本主義である。だが、権力が資本に属する社会における国家資本主義と、プロレタリア国家における国家資本主義とは、二つの違った概念である。》(共産主義インターナショナル第三回大会でのレーニンの発言)

このレーニンの新方針の基礎にある理論的認識には、正しい面と間違った面とがあります。

数多の俄か経済学通の連中とは全く異なり、レーニンは「国家統制経済」や「計画経済」を社会主義経済と同一視するようなおろかな過ちを犯していません。資本主義の要件は、(1)自分の労働力を他人(個人である必要はなく、政府であってもよい)に売り渡し買い手の指示に従って働く賃労働と、(2)最終的には、生産者が独自判断で生産物の仕様を決定する私的労働による生産――商品生産――、この二つです。したがって、社会主義は、(1)自分の労働力を他人に売り渡すことなくその使い道を自分で決定し、なおかつ(2)生産物の仕様については、ユーザー側の意向に基づいて決定するという仕組みを備えた経済でなければなりません。この基準に照らして考えれば、レーニン以降のロシア経済は、まさしく資本主義でした。

他方でレーニンは、そうした資本主義の建設をプロレタリア国家の下で推し進めるができると考えていましたが、それは、次のようなマルクスの見解とは、少なくとも、一致しないものでした。

《『〈支配身分にまで高められた〉プロレタリアートとは, これはどういうことか?』それはつまり, プロレタリアートが, 個別的に経済的特権階級と闘う代わりに, 彼らに対する闘争で一般的な強制手段を用いるだけの力と組織をかちとったということである。だが,プロレタリアートが用いることのできるのは, 賃金労働者[Salariat] としての, したがって階級としての彼ら自身の性格を揚棄するような経済的手段だけである。》(マルクス「バクーニン・ノート」)

つまり、マルクスの見解に従うなら、賃労働を揚棄し、プロレタリアートが自分たちの賃金労働者としてのあり方を変えてしまうような政策を実行するのがプロレタリア国家の使命であり、その逆に彼らを賃金労働者の地位にとどめるような資本主義建設を行うのであれば、その国家はもはやプロレタリア国家ではないということになります。

スターリンの一連の経済施策は、レーニンの上記の判断の延長線上にあるものだと考えることができます。ただし、レーニンがその経済システムが資本主義であることを「公然と」認めたにもかかわらず、スターリンは、それがあたかも社会主義であるかのような欺瞞的な主張を行ったという決定的な違いがありますが。

いずれにしても、ロシアの労働者たちは、農業においても工業においても、賃金と引き換えに、自分の労働力を国家という雇い主に売り渡し、雇い主の指示の下に労働する賃金労働者であったのであり、その生産物も独占的生産者である国営の農場・工場が製品の仕様を一方的に決め、消費者に押し付ける、私的労働の生産物――すなわち、商品――だったのです。

つまるところ、ソビエト・ロシアの経済システムは、社会主義・共産主義とはにてもにつかぬものであり、資本主義以外の何ものでもなかったのです。 

 

 

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