素材の収集と考察
平野健「資本主義的帝国主義と低開発」経済学研究56-2 北海道大学2006.11【3回目】
Ⅱ.プレ資本主義的帝国主義
経済的権力による国際的な支配-従属関係という資本主義的帝国主義は,資本主義によって生み出されたものである。イギリスにおいて誕生した資本主義的生産関係は,中心部国内において資本の命法が浸透し,経済外的権力と経済的権力とが分離して行使されることよって形成・発展し,資本主義的国内権力を形成した。しかし,そのことがすぐに資本主義的な国際的支配-従属関係を生み出した訳ではない。資本主義的帝国主義の形成は,資本主義的国内権力の誕生からしばらく後のことである。
イギリスにおける資本主義的国内権力の形成は,国際的な支配-従属関係を前提
としたものである。資本主義的国内権力の形成・発展は,国内の資本主義的生産関係を原動力とし,植民地から収奪した資財をその燃料とした。資本主義的国内権力のためには,帝国権力が欠くことのできない重要な要素であった。しかしこれは,資本主義的国内権力を形成するための帝国権力が,資本主義的帝国権力であるということを直ちに意味するものではない。初期の資本主義における経済的権力は,それ以前の権力と比べてはるかに強力なものではあったが,地理的問題や技術・生産的問題を乗り越え,自力で周辺部を支配できるほど強力ではなかった。そのため,国際的支配-従属関係を維持するためには,非資本主義的帝国権力を行使する他なかった。したがって,資本主義的国内権力が形成されながらも,国際的には非資本主義的帝国権力を行使する帝国主義を,「プレ資本主義的帝国主義」9)とする。
[脚注]9)プレ資本主義的帝国主義という用語は,「プレ資本主義」的帝国主義という意味ではなく,プレ「資本主義的帝国主義」という意味である。
レーニンが『帝国主義論』で取り上げたものが「資本主義的帝国主義」とするなら、これもまたかなりの程度まで非資本主義的権力(経済外的な強制力)を行使して支配を実現していたのではないだろうか。また、wwⅡ後のいわゆる「新植民地主義」体制もGATT(WTO)、IMF、世界銀行(IBRDおよびIDA)などによる制度的強制を伴うものであった。ポスト冷戦期の世界資本主義も基本的にはこの枠組みを引き継ぎながら、9.11あるいはより以前の湾岸危機以来軍事力の重要性が再び増してきているとみることができる。
1.イギリスにおける資本主義の誕生
ここでは資本の命法の浸透により経済外的権力と経済的権力が分離することをもって資本主義とし,それは16 世紀の農業資本主義段階のイギリス国内において誕生したとする。資本の命法とは,支配者・労働者などの全ての人が全面的に市場に依存し,競争原理に基づき行動させられ,その行動の中で常に資本の蓄積が進められ,それに応じて生産性の向上を続けなければならない,という資本の命法である。
資本主義以前の社会では経済外的権力の行使によって余剰収奪がなされたのに対して,資本主義社会では収奪が,市場取引を通じた交換という純粋に経済的なものとして現れてくる。
経済的権力の自立化はまず,16 世紀に農業分野で現れた。イギリスでは円熟期封建制国家に見られる私的所有の細分化が進み,経済外的権力の中間から下位に属する階層が増加し,富の蓄積を渇望していた。当時の情勢からは領地拡大も望めず,彼らはわずかな所有領地にしがみつくか,借地農業経営者とならざるを得なかった。そこでは生産性の向上が唯一の富の獲得手段であった。
しかし幼稚な資本主義的生産関係では,経済的権力が自ら生産の条件を作り出すことはできなかった。そのため経済外的強制力を行使して,資本の命法に基づかない生産関係を破壊し,土地や労働者を資本主義的生産関係に組み込む必要があった。
つまり,目的は資本主義的な商品の生産に必要な土地や資源や労働力,または製品販売のための市場の獲得にあったが,それにも拘らず手段としては先資本主義的な経済外的強制に頼らざるを得なかったということである。これは,本源的蓄積における暴力の役割としてマルクスが強調するところのものである。
彼ら[零細化しつつある下層の領主層――引用者]は,同時に旧来の経済外的権力の一翼でもあったため,経済外的権力を行使し得たのである。16 世紀のアイルランドの植民地化,17 世紀のエンクロージャーや救貧法を経て,資本主義的生産関係はますます拡大し,経済的権力が拡大されていった。
2.イギリスの初期帝国主義イギリス資本主義は,植民地支配という国際的支配-従属関係によって余剰収奪された富を燃料として発展した。それは国内で形成されつつあった経済的権力による余剰収奪ではなく,旧来の非資本主義的帝国権力として展開された。
イギリスはアイルランドを植民地化するために,従来の帝国主義の作法に習って中世以降,軍事的な攻撃を繰り返した。しかし,軍事的強制力を中心とした非資本主義的帝国権力では支配を徹底化することはできず,16 世紀には秩序は乱れ,紛争が絶えなかった。そこで16 世紀末,同一化帝国主義への方向転換が起きた。
支配に従わない生産関係は,従来どおり「牧歌的に」破壊され,支配側の生産関係が移植された。ただ従来と異なったのは,その移植された生産関係がプランテーション農業という資本主義的生産関係であったことである。生産性の向上により余剰収奪が強化され,イギリスに富をもたらし本国の資本主義の発展を加速した
イギリスによるアイルランド植民地支配は,同質化帝国主義による支配であり,支配の主体は非資本主義的帝国権力である。確かに生産関係においては資本主義化し,経済的権力の分離が進行していたが,農業資本主義段階の帝国権力では,経済外的権力と経済的権力とが未分離である。
入植者は,封建制的領主であると同時に,プランテーション経営者でもある。この同一の人格において,経済外的権力と経済的権力とが体現されているのであり,ローマ帝国における特権階級が手段として奴隷制という生産関係を用いて領地内を統治したのと同じであり,つまり,その帝国権力が非資本主義的であることを示す。
宗主国も資本主義化をすでに果たしており,移植された生産関係も資本主義的であるにも拘らず,その生産関係を維持するうえで領主権が不可欠だっという見立てのようである。
2.2.イギリス領北アメリカ
17 世紀に開始されたイギリス領北アメリカでの植民地支配は,アイルランドでの成功を受けて,本国での資本主義的生産関係を移植する同質化帝国主義の手法よって展開された。最初に軍事的強制力を用いて,現地住民の生産関係を破壊した。その上で,資本主義的生産関係が移植され,プランテーション農業が特に南部地域で展開された。それを実行したのはアイルランドと同様に,同一人格内に経済外的権力と経済的権力とを体現させる植民地エリートであった。
アイルランドと北アメリカ南部地域の違いは,本国イギリスとの距離である。大
西洋の存在は,イギリス帝国権力に商業的強制力を必要とさせた。
農業資本主義段階の生産関係は,奴隷制という経済外的強制によって取って代わられるほどの生産力しかなかったということでもある。生産性向上を図るよりも,奴隷を酷使したほうが早かったのである。