ブログラジオ ♯197 My Man on Love | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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ジュディ・シルとおっしゃる。

前回もちらりと書いた通り、
デイヴィッド・ゲフィンの

アサイラム・レコードの
第一回発売アーティストである。

こちらは71年の出来事になる。

ジュディ・シル/ジュディ・シル

¥1,234
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もっとも僕がこの方の存在を
ちゃんと知ったのは
極めて最近のことになる。

映画『エリザベス・タウン』を
ここ(→こちら)で扱った際に、

今度聴いてみようかな
みたいなことを書いている。

その後たまたま
名盤発掘みたいなシリーズの
ラインナップに入っているのを

郷里の方のレコード屋さんで
思いがけなく
見つけられたものだから、

二枚まとめて聴いてみた。


――いや、これが。

本当にびっくりさせられた。
端的にいって素晴らしい。

まず頭に浮かんできたのは、

え、これ何年の録音だっけ?
エンヤ(♯23)の何年前に
なるんだろう。

みたいな感じであった。


もちろんスタジオの設備や
録音の技術も
当然相当違っているし、

あそこまで緻密なものでも
たぶんまだないのだろうが、

根底に流れているものはたぶん
すごく似ているのではないかと思う。

ある意味思いっきり
異世界へと連れていかれてしまう。

浄化作用とでもいうべきか。

拙著『四日間の奇蹟』を
気に入ってくださっている向きには

あるいはこの感覚も
わかっていただけるかもしれない。

音楽が何か聖的なものへと
手が届きそうになる
そういう瞬間が具現化されている。


さて、しかしながらこの
ジュディ・シルという方の
たどらざるを得なかった生涯は

実になんというか、
凄まじいのである。


まずは生没年から記しておくと、
一九四四年生まれで、
一九七九年には亡くなっている。

享年三十五才ということになる。

父親はそもそもは映画業界の
関係者だったらしいのだが、

パラマウントを退き、
その映画の撮影に使われるための

特殊な動物の輸入のような
仕事を始めた傍らで、


オークランドで
バーの経営もし始める。

この店に置かれていたピアノが、
ジュディが最初に触れた
楽器だったということになるらしい。

しかしこの父親は
ジュディ八才の年に
結核で世を去ってしまう。

ジュディとその兄とを抱え
残されてしまった母親は
ほどなく再婚するのだけれど、

ところがこの再婚相手というのが、
『トムとジェリー』などにも
クレジットの見つかってくる、

結構有名なアニメーターで
あったにも関わらず、

いや、それは全然
関係ないのかもしれないが、

とにかくまあ、いってしまえば
非常に酒癖の悪い方だったのだそうで、

家はやがてほとんど日々
暴力が絶えないような
状態になってしまったらしい。

それも、ジュディ対両親といった
構図が基本だったらしいから


これはかなりきつかっただろう。

十代の半ばを迎える頃には
ジュディはある意味お定まりの
転落の道へと踏み込んでしまう。

薬物、盗み、詐欺、あるいは売春。

当然の帰結として彼女はたびたび
少年院のようなところに
出入りすることにもなっていく。

ところがこの施設で、彼女は
ゴスペルに魅了されるのである。


彼女の心に何が起きたのかは
現状詳しい伝記や資料が

簡単に入手可能な訳でもないので、
正直よくはわからないのだが、

おそらくは短期間の収監が
何度か繰り返されるなかで、

何かしら音楽に
一層惹かれていったことは
たぶん間違いはないのだろう。

そこに救いのようなものを
見出したのだろうと
想像するのがわかりやすいが

その裏付けとなる発言等も
やはり今のところ
目についてきてはいない。

そういう訳で
いわばシャバと塀の中とを
行き来するような
すさんだ生活の中にありながら、

彼女は改めてピアノや
あるいはギターなんかを
独学で習得しなおして、

のみならず地元の音大で、
作曲理論の聴講を受けたりも
しているらしいのである。

そしてまた、たぶんこの
十代の終わりから
二十代前半にかかる時期に、


母と兄とが相次いで
この世を去ってもいたりする。

もちろん継父の家になど
暮らせるはずもなかったのだろう、

ほどなく彼女は
とある鍵盤プレイヤーと結婚し、

バーでの単独や、あるいは二人での
弾き語りなども始めたらしいのだが、

この結婚は二人が二人とも
薬物依存から
まるで脱却できないような
状態のままでのものだったらしく、


犯罪といって然るべき
各種の違法行為とも
縁は切れていなかったようである。

また同時にこのジュディが
デビューに際して、

シルという旧姓の方を
採用していることからしても、

決して良好とはいえない種類の
ものだったのだろうと思われる。

デビューの後の72年頃には
正式な離婚も
成立してしまっているようである。

そうすると彼女はこの時点で、
まったくの孤独と形容して
いいような状態に
なってしまったことになるのである。


さて、長々とこの
決して心地好い種類のものではない

彼女の物語を
つらつらと書いてしまった訳だが、

冒頭でもちらりと触れている通り、
この方の遺した音楽は、

こうした背景を
微塵も感じさてはこない。


むしろ対極にあるともいえる。

時代が時代だけに全体としては
フォーク・ミュージックの範疇に

入れてかまわない
サウンドだろうとは思われる。

確かにブルーグラスとか
カントリーの手触りも
随所に見つかってくる。

しかしいわば、その骨格が
おそらくはクラシック音楽の
理論付けに立脚しているであろう


独特のアレンジのコーラスや
あるいは他の楽器による
対位法的な旋律によって
全体に絶妙に肉付けされていて、

なんともこう、
まるで聴いたことのない種類の
構造に仕上がっているのである。

――なんだこれ。

正直そんな言葉しか出てこない。

ちなみにジュディ本人が
心酔しているアーティストとして
生前挙げていたのは、

レイ・チャールズ(♯178)と
それからバッハなのだそうで。

レイ・チャールズ・ミーツ・バッハ。

いや、いったいこのフレーズから
どんなサウンドを想像すればいいのか、

字面だけではほとんど
伝わりにくいかとも思われるが、

でもやっぱりいわれてみれば
確かにそんな感じなのである。


獄中で親しんだと伝わる
ゴスペルのエッセンスも

あからさまではないが
随所に感じられている。

だから、宗教的かといわれれば
それはたぶんそうなのだが、

でもやっぱり普通とは
ちょっと違っているのである。

モチーフにはなるほど
キリスト教的なものが散見される。


しかし、こういういい方もたぶん
少なくない語弊があるのだが、

それは形式的な信仰みたいなものを
逸脱する種類のスタンスなのである。

たとえば代表曲で
デビュー・シングルでもあった
トラックは、

そのタイトルを
Jesus Was a Cross Makerという。

――イエスは十字架職人だった。

確かにそれはそうなのだが、
たぶん純粋な信徒であれば

なかなかこういう表現は
できないのではないかと思う。

しかもこの曲、どうやら
一時期交際があったものの
結局は破局してしまった

JDサウザーの姿が
重なるように書かれているなんて話も
実はないでもなかったりする。

ところが音楽になってしまうと、
そういう下世話さが
ほとんど感じられないのである。


むしろただ美しい。

ものすごく気取っていってしまえば
聖と俗とが昇華される時には
実はこんな形になるのかという

発見があったとくらいにまで
いってしまってもいいのかもしれない。

清濁併せ呑むことの
ある種の崇高さのようなもの。

感じられるのは
そういった手触りである。


だから本当、不思議なのである。


この彼女のような人生が、
ロックンロールが常に
どこかに内包している

ある種反抗的な叫びへと
向かっていたのならわかりやすい。

むしろ典型的ともいえよう。

しかしこの人がこういう
幸福とはたぶん
決していえないような人生を経て、

たどり着いてしまった境地は
こういう音楽だったのである。

たぶん誰にも真似できない。

それ故にすでに古典と呼ぶに相応しい。

個人的にはそれくらいに思っている。

すぐにはこの世のものとも
信じられないようなとでも
形容するしかない美しさが


どちらのアルバムからも
随所に聴こえてきてしまう。

崇高という形容が
もっとも相応しいであろう
この音へと、

彼女を向かわせたものは
本当はいったいなんだったのか。

そしてそれをどうやって
このジュディは
ここまで具現化できたのか。

そんなことを想像している時間は
僕にとって最上の楽しみである。



しかしながら70年代の前半に
相次いで発表された

今回御紹介の
セルフ・クレジットのJUDEE SILLと

それから続いたHEART FOODという
二枚のアルバムとは、

残念ながら商業的には
ほとんど惨敗といっていい
レベルの結果に終わってしまう。

新し過ぎたとしか
いいようがないのかもしれない。

ゲフィンとの関係もこの時期には
すっかりこじれてしまったようで

アサイラムとの契約も
この段階で
終了してしまっている。

一説にはジュディの方が
前座でツアーを回ることを
嫌がったとかそうでないとか、

プロモーションにあまり
熱心でなかったとか、

そんな話もなくはないようだが、
真偽はやはり不明である。



そしてそのまま彼女は
ほとんど第一線から

姿を消してしまったような状態に
なってしまいもするのだが、

その時期にも着々と
次作の準備だけは
進めていたようである。

そのサード・アルバムの
デモ作成中の時期の
出来事だったらしいのだが、

ジュディは大きな事故に遭い
後遺症で背中から終始痛みが
消えないような状態になり、


その苦痛から逃れるため
再びヘロインに
さらに溺れていってしまう。

そしてそのまま、
こちらはある意味では、

ロックンローラーの
お定まりともいえそうな
薬物のオーヴァードーズで

最初でまず触れたように
三十五才という若さで
生涯の幕を閉じてしまう。

発見されたのは自宅のベッドで
遺体の傍らには
複数のメモが散らばっており、

それらが遺書と見做されて
公式には自殺として
処理されたらしいのだが、

その内容は見ようによっては、
新曲の歌詞とも
読めるようなものでもあったらしい。

前述の通り彼女は当時すっかり
隠遁してしまっていたものだから、
この時も死亡記事すら出ることはなく、

極近しかった友人たちによる
簡単な葬儀の後、

遺骨は太平洋に
散骨されたのだそうである。


そう考えてみると、
時代の流れとともに

すっかり忘れ去られてしまっても
不思議はない存在だったのかもしれない。

だから今僕は、彼女の名前を
まずインプットしてくれた
キャメロン・クロウ監督と、

それからこの二枚のアルバムを
きちんと国内盤で、しかも
SMCDで再発してくれていた

ワーナーさんとに
すごく感謝していたりする。



さて、今回標題に取り上げた
My Man on Loveという曲は
JUDEE SILLの方の所収。

基本ギターだけのバッキングに
多重録音されたコーラスが
なんだか讃美歌のように響いてくる。

新しい出発を秘めた
朝の景色のような手触りなのだが、

それでもどこかに
メランコリーみたいなものが
ちっとも拭いきれてはいない。

そして後半に忍び込んでくる
チャイムのような響きが、

一瞬で何かのステージを
違う場所へと持ち上げてしまう。

そんな感じなものだから
この方の音楽を代表させるには
これがいいかと選んだのだが、

本当は二作とも是非
アルバムで手に取って

通してじっくり聴いてみて欲しい
そういう作品になっている。

ひょっとして奇蹟とかあるいは
神の恩寵といった言葉こそが
まさに相応しい音楽なのではないかと


思わずそんなことを
考えてしまったりするのは、
たぶん僕だけではあるまい。

最後についでながら、
彼女が遺していた
サード・アルバム用のデモ音源等は、

死後20年余りを経た
今世紀になってから、

DREAMS COME TRUEのタイトルで
ようやく世に出た模様である。

この一事だけでもたぶん
この方のすごさの
十分な証左になっていると思う。



ではそろそろ締めに行く。

前々回のキャロル・キング(♯195)や
前回のジョニ・ミッチェル(♯196)など、

この時期の
女性シンガーソングライターらによる
作品群を、

ローレル・キャニオン・サウンドなどと
時に総称することもあるのだそうで。

そしていわばその呼び方の
礎を築いた形になったのが
このジュディ・シルなのだそうである。

いや本当、並びを決めている時は
これは僕自身もまだ
全然頭に入っていなかった言葉で、

わかるようなわからないような
手応えのままでいるのだが、

たぶんローラ・ニーロとか
リンダ・ロンシュタットくらいまでは
ここに括られてくるのかもしれない。

いや、ローラ・ニーロは
地理的にちょっと違うのかな。

でもそういわれても納得するか。


なお、このローレルキャニオンとは
カリフォルニアの地名で、

比較的家賃が安く、
芸術家の卵たちが
こぞって住んでいた

そういう場所であったらしい。

やはりまだきちんとウラを
十分に取った訳ではないので

あまり迂闊に名前を出すのは
本当はよくないのだけれど、


それこそジョニ・ミッチェルや
ドアーズのジム・モリスン、

それからママス&パパス(♯194)の
キャス・エリオットなんかも
一時期暮らしたことがあるようである。

なんとなくだが、ミュージカルの
『レント』(→こちら)を
思い出したりしないでもなかった。

もちろんあちらの舞台は
NYではあるのだけれど。