ブログラジオ ♯23 Orinoco Flow | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

今回はエンヤである。厳密には彼女はイギリスではなく
アイルランドのアーティストだということに
なるのだけれど、やはりこの流れで
この人を外す訳には決していかない。

彼女の音に初めて接した時の驚きは
今なおそう簡単には忘れられない。
衝撃的だったのは、旋律でも声でもなく、
まさに『音』そのものだった。
スピーカーから立ち上がる音像というものが
これほどまでの広がりを作り上げるのだという
シンプルで同時にひどく斬新な発見があった。

ボウイのHeroes、あるいは先のEBTGの作品にも、
そういう種類の感動は見つかっていたのだけれど、
このエンヤのサウンドは比べようもなく別格だった。

秘密は彼女のレコーディングのスタイルにある。
エンヤはヴォーカルはもちろん、
その他の楽器もほぼ自分一人でプレイし、
それらを多重録音によって徹底的に重ねていく。
それもどうやら、生半可な重ね方ではないらしい。
そういう手法を採用している。

ドラムやベースといった、いわゆるリズム隊は
僕の知る限りではどのトラックにも採用されてはいない。
だから手触りは、どうしてもクラシックのそれに似てくる。
あるいはある種の教会音楽のような趣さえ時に感じさせる。
それでもやはり、彼女はポピュラー・ミュージックの人である。
今なお続く世界的な人気がそれを証明しているし、
何よりも、彼女の音楽の中には、
美しさや荘厳さとともに、親しみやすさが
きっちりと揺るぎなく共存している。

もう二十年以上も前、スピーカーからこぼれてきて
僕の耳に最初に届いたのが、このOrinoco Flowだった。
たぶん下北沢の貸しレコード屋の店内での出来事である。
誇張ではなく、一瞬にして天井が
すっかり高くなってしまったような、
そんな錯覚が忽然として襲ってきたものだった。
少なくとも、それが自分がかつて一度として
触れたことのない種類の音楽であることは、
その瞬間から疑いを差し挟む余地はまるでなかった。

今になってもまだ比較できるものが容易には見つからない
エンヤの音楽は、まさしくワン・アンド・オンリーである。
たぶんそれ以外にどうにも形容のしようがない。

またこのエンヤ、トラックによっては、
英語ではなくケルト語の歌詞を載せることがある。
それがまたバッキングトラックの空気と
絶妙に呼応するのである。
まったくの未知の言葉であるという違和感、
なのになんとなく、その持つところの意味が
ストレートにこちらの脳髄の奥底にまで
瞬時に伝わってきてしまうような、ある種の錯覚。
理解という行為を超えた場所にある共感。
そんな体験が、音楽の力を借りることによって
容易に実現されてしまう。
たとえば本邦なら、初期の梶浦由記さんの幾つかの仕事に、
似たような力を持つ楽曲を発見できることがある。
もっとも彼女の場合は、歌詞は既存の言語ですらないが。
いずれにせよ、そういった冒険に接すると、
言葉の本質が実は音であるという事実を
改めて強烈に突きつけられたような気になってくる。


では雑学。
オリノコ河とは、南米大陸の第三位の大河である。
全長は二千キロを超え、その流域の多くを
未開の熱帯雨林に覆われている。
あるいは、河の方が密林を育んでいるといった方が
よほど正確なのかもしれない。
ただし、エンヤがこの曲に選んだ言葉たちは、
最初こそ南米の地名を織り込んで展開していくけれど、
やがては世界各地を駆け巡り、ついには
ある種ファンタジーとして分類されて然るべきような
異質な空間へと進路を定めて羽ばたいていく。
こういった構成もまた、この曲の本質的な魅力を
より高めることに不思議なほど成功している。
あるいは同様に熱帯雨林をモチーフとして作られた
ポール・ハードキャッスルのRainforestという楽曲と
比較してみると、彼女のアプローチや解釈の独自性が
一層鮮明に浮かび上がってくるかもしれない。


Orinoco Flow (Sail Away) [12 inch Analog]/Enya

¥価格不明
Amazon.co.jp