ブログラジオ ♯195 You’ve Got a Friend | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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キャロル・キングである。

オード・コレクション 1968-1976/キャロル・キング

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この方も相当の重鎮なのだが、
やはり七〇年代の

それも主に前半の時期に、
一番活躍されていた方なので、

最近いつも同じ事ばかり
申し上げていて
大変恐縮ではあるのだけれど、

リアルタイムではほぼ知らない。

だからまあ例によって
だいたいそんな感じで今回も
読んで戴きたいなと
思っていたりもしないでもない。

得意なところはやはり
最初の方に固まっているのである。

気がつけばもう二百が目前だし、
アメリカに入ってからでも
すでに六〇回目になっているので、

その辺りはどうか
情状酌量戴きたいなと思う。

いやまあ、結局好きだから
続けられているのだけれどね。


僕自身毎週これ書くために
いろいろと新たな
発見をさせて戴いております。


さて、十四年頃の資料によると、
ここまででこのキャロルが

世に産み落としてきた楽曲群は、
実にその数四百を越え、

さらにそれをレコーディングした
アーティストの数となると

こちらは優に千組を
超えるだろうということである。


それもそのはずで、
そもそもがこの方、

当初はソングライターとして
主に活躍されていたらしい。

それも十代のうちから、
すでにプロとして
仕事をされていたというのだから、

これはもう七十年代どころか
六十年代のそれも
前半の出来事になる訳である。

厳密には五十年代かもしれない。

有名どころではあのLocomotionが
彼女の筆によるものだし、

また初期のビートルズが
レパートリーにしていた

オリジナルは62年の
スマッシュ・ヒットであった

Chainsという曲もまた
彼女たちの作品である。

余談だが同曲はそもそもは
エヴァリー・ブラザーズのために
書かれていたらしいのだが、


何らかの経緯で
お蔵入りとなってしまったものを

クッキーズというグループが
改めて取り上げて
ヒットとなったものらしい。

それから、やや説明の順序が
逆になってしまった気もするけれど、
上で彼女たちと書いたのは、

当時彼女は、学生時代からの恋人で
ほとんどすぐ
最初の伴侶ともなった

ジェリー・ゴフィンという人物と
組んで、いわゆる
ソングライター・チームとして
活動していたのである。


だから、ビートルズのデビュー当初、
ジョンかポールのどちらかかの口から、

自分たちはいずれは
ゴフィン&キングのような
ソングライター・チームを
目指しているんだといった発言も、

複数回為されていたりもした
模様だったりするのである。

つけくわえておくと当時からもう、
キャロル・キング本人の
歌唱によるデモ・テープは

音楽関係者の間で
静かな評判になってもいた
事実もあったらしいのだが、

結局まあ、六十年代の
終わりの間際まで、
このキャロルの頭には

自分でパフォーマンスすると
いった発想は、
あまりなかったようなのである。

六〇年代初頭を挟んだ時期に、
本人名義でリリースされた
幾つかのシングルが

ほぼ不発といっていい結果に
終わってしまっていたことも
多少は影響していたのだろうが、

それよりもゴフィンとの間に
最初の子供が生まれたこと、


そして二人の関係そのものが
少しずつぎくしゃくとして
来始めていたことも
たぶん無関係ではないのだろう。

七十年代の開幕を前に彼女は
生まれ育ったニューヨークを離れ、

娘たちを伴って
西海岸へと移り住む。

そこでまずはシティという
バンドを結成し、

自分の曲を自分で
パフォーマンスするという


いわば彼女にとって
ほとんど未知の道というか

一旦は諦めていたのかもしれない
そういう進路へと、
新たに足を踏み出したのである。


なんだかすごく面白いなと
個人的に思ったのは、

確かダイアナ・ロス(♯184)を
扱った時に

モータウンにも多少触れていたかと
思うのだけれど、
同レーベルの方法に顕著なように、

少なくともシュープリームスの
大活躍していた時期までは、

作詞作曲とパフォーマンスとは
流れ作業のそれぞれの
行程とでもいうのがいいのか、

とにかく別のものとしてあり
むしろそれが当たり前であり、

ある種のシステムとして
成立していたのだと思われる。

だからこそ、この
キャロル・キングも


最初の挫折の後、
いわば自身の人生の
目標みたいなものに

シンガーではない職業的な
ポピュラーソングの

ソングライターという選択肢を
持つことができたのだと思う。

それがビートルズの登場で
状況が一変してしまう。

もちろんまあ、彼ら以前にも
シンガーソングライターと
呼ばれる人たちはいた訳だが、


時代の趨勢みたいなものが
大きくそちらへと舵を切る

その契機に
あの四人がなっていたことは
断言して間違いがない。

最初はブルースの
カヴァーバンドとして
スタートしていた
ストーンズの二人が

自分たちで曲を書かなければと
決意するに至ったのが、

レノン/マッカートニーに
触発されたもので
あったことは有名な話だし。

そして、そう考えていくとこの
キャロル・キングの場合には、

グリマー・ツィンズ
(ミックとキースのこと)とは
ある種ちょうど対照的な

だが本質的には同じ決断を
六〇年代の後半の時期に

迫られていたということに
なるのかもしれない。

あるいは業界の本質的な転換を
敏感に感じ取ったとでも
いった方がいいのだろうか。


そしておそらくはその決断を
強力に後押ししたであろう

キャロル自身も盟友と呼ぶ
ジェイムズ・テイラーが、

そもそもはビートルズの
アップルが発掘した
アーティストであったことも

やはりこう、何かの糸がこの時期
複雑に絡み合って
どこかを目指していたことの

その証左にも思えてきて
非常に興味深いのである。



さて、そしてその
ビートルズが姿を消し、
70年代が開幕したその途端、

いよいよシンガー、
キャロル・キングが
それこそ圧倒的な形で

シーンに登場してくるのである。

シティによるアルバムと
それから一枚の
ソロ作品を挟み、

いわば満を持して登場してきた
セカンド・アルバムにして
彼女の代表作でもある

「つづれおり」こと
TAPESTRYなるこの一枚は
71年の発表であった。

とにかくこれがものすごいのである。

同作、実にこれまでで全世界で
二千五百万枚以上を売り上げていて、

今なお、女性の
ソロ・アーティストによる
作品としては

史上最高の売り上げ枚数を
誇っているのだそうである。


なおこの翌年の72年には
グラミーの主要四部門のうち三部門が
このキャロルに贈られている。

ちなみに今回冒頭に掲げた
ODE COLLECTIONという一枚は

ベスト盤的なものでありながら
TAPESTRYの全曲が
収録されているという構成である

こんなことができてしまうという
その一事だけでも

この作品のなんというか
歴史的価値とでもいうべきものが


あからさまに
仄めかされているようでもある。

少なくとも僕自身は
こんなコンピレーションは

ほかのアーティストの作品では
一度もお目にかかったことがない。


さて、そういう訳で僕が
この人の音楽に
きちんとしっかり触れたのは

ずいぶんと後になってからの
ことではあったのだけれど、

いや、ハイティーンの頃
聴いていたら、
たぶん相当心酔していたと思う。

洒脱で変化に富んでいて、
それでいて、

たとえアプローチに多少の
冒険がなされていたとしても、

なんというか、
芯のようなものが一本
しっかりと通っていて、
そこが心地好いのである。

音楽というものが
心地よさをこそ


演出するものだとでも
いうべきような姿勢が、
まるでぶれていない。

そんな気がする。

あまり上手くはいえないのだが、
彼女の生まれたニューヨークの

ちょっとだけ退廃を
まとった種類の洒脱さと、

西海岸の、こちらは対照的に
少し乾いた爽やかさが
絶妙にブレンドされることで


独自のメロディーラインが
生み出されているのかな、なんて
そんなことを考えもした。

しかもそこに時々、
オールディーズみたいな
軽快さも加わってきて

なんとも変幻自在なのである。

とりわけSo Far Awayや
アレサ・フランクリン(♯190)を
取り上げた時に標題にした、

Natural Womanなど
ピアノのアレンジの際立つバラードが
とても美しいのだけれど、

カントリーやオールディーズの
エッセンスが

極めて心地好く昇華された
トラックが不意に出てきたりもするし、

またこちらは
TAPESTARY以降の
楽曲になってしまうが、

MusicやJazzmanなどの
ジャズへの接近を試みつつ

ポップスの範疇から
決して足を踏み外さない


あの手のタイプのトラックが
個人的には非常に好みである。

トム・スコットのサックスは
やっぱり相当カッコいいしね。


最後になったが、今回標題にした
You’ve Got a Friendは

TAPESTRYと同じ71年に
ジェイムズ・テイラーの
ヴァージョンによって

全米トップを獲得している
大ヒット曲である。


TAPESTRYにも収録されているのだが
キャロルの歌唱では
当時はシングルにならなかったらしい。

確かBNH(♯57)の時にも
この曲については少しだけ
触れていたかとも思うのだが、

Winter, Spring, Summer or Fallと
四季を並べただけの

シンプルなサビの導入箇所が
否が応にも印象に残る
極めて美しいバラードである。

いや、こういう曲にまた
巡り会いたいなあと思う。


さて、では小ネタ。

このキャロル・キングの
生涯については

12年に自伝が
発表されているのみならず、

その後『ビューティフル』という
やはりTAPESTRYの
収録曲から採られたタイトルで、

いわゆる
ジュークボックス・ミュージカルにも
なっている。


僕自身はどちらもまだ
目を通していない状態なので

ここで紹介するのもなんとなく
気が引けなくもないのだが、

どうやら舞台の方は、
学生時代から
西海岸への移住まで辺りの出来事が、

ゴフィンとの関係性を中心に
描かれている模様である。

いやしかし、キングの曲で
ミュージカルを創るのは
相当楽しかったのではないかと


まあ外野なので
また勝手なことをいってしまうが、

本編でも散々いったように
アプローチが極めて
ヴァラエティに富んでいるし、

そもそもが初期は
パフォーマーも違うので

そうなるといろんな演出が
できそうだよなと思うのである。

そして実はこの『ビューティフル』、
ついこの前の八月末まで、

日本版も上演されて
いたのだそうである。

ちなみにキャロル役は
水樹奈々さんと
平原綾香さんの
ダブルキャストだったのだそうで。

――うーん。

もう少しいろいろと気持ちに
余裕がある時期であれば
ちょっと観てみたかったもなあ。

それからついでなのでもう一つ。


TAPESTRYを含め
西海岸での初期の彼女のソロ活動を
支えていたプロデューサーは

名前をルー・アドラーと
いうのだけれど、

この方、前回(♯194)の
ママス&パパスの
California Dreamin’を

ヒットさせたまさにその
同じ人物なのだそうである。

これも今回僕も初めて知りました。


きっとものすごい
A&Rだったのだろうなあと

まあ一人でひとしきり
なんというか
感慨に耽ってしまいましたです。