ブログラジオ ♯184 If We Hold on Together | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

ダイアナ・ロスである。

Life & Love: Very Best of/Diana Ross

Amazon.co.jp

やはりこの方も、
僕が知った時にはすでに
重鎮に数えられる一人であった。

シュープリームスなる
女性だけのコーラスグループが
かつて一世を風靡したことは、

いつのまにかなんとなく
わかっていたように思う。

でもそれは、その当時からすでに
オールディーズという言葉で
括られていた時代の出来事だった。

むしろそのメンバーの一人が
まだチャートを賑わすような
存在であり続けていることが、

どういえばいいのだろう、
上手く現実として
結びつくような気がしなかった。

しかし改めてこの
シュープリームスの実績には

目を見張るどころではなく
ものすごいものがある。

あ、ちなみにこのグループ、
現在は米本国での発音に寄せ


スプリームスと
表記する方向に

傾いて来ているような感じも
なきにしもあらずのようなのだが、

まあ僕らにはやはり
シュープリームスで
刷り込まれてしまっているので

この点ばかりは
正直いかんともしがたい。

そういう訳でこのテキストも
シュープリームスで押し通す。


さて、まあとにかくである。

この彼女たち
64年から69年にかけての
わずか5年あまりの期間に

実に12曲をも数える
トップワンヒットを
産み落としているのである。

なんかもう、上手く想像がつかない。

いやまあ、僕自身いよいよ
この世に生を
享けるかどうかという時期の

出来事であった訳だから、
記憶などあるはずもないのだが、

それにしてもやはり
いったいどれほどの
人気だったのだろうと
改めてつくづく不思議に思う。

でも確かに
You Can’t Hurry Loveも
You Keep Me Hangin’ Onも

フィル・コリンズ(♭57)なり
キム・ワイルド(♯77)なりの

カヴァーを耳にする前から
原曲はとっくに知っていたような
気もしないでもないのである。


だから、ただ流行ったという
だけでは決してなく

彼女たちの楽曲には、
時間の経過に晒されてなお、

残っていく確固としたものが
あったということなのだと思う。

でなければ、僕の耳にまで
届いてくるはずもないのである。

確かにただのキャンディ・ポップと
括ってしまう訳にもいかない気は
なんとなくしないでもない。


モータウン・ビートという言葉が
僕の中であのリズムと結びついたのは

上のYou Can’t Hurry Loveによって
だったことには間違いがないし、

ほかBaby Loveにせよ
Stop in the Name of Loveにせよ

それとして意識して聴く前から
どこかで耳にした記憶があった。

裏を返せばそれだけ、
フックなりサビなりに

きっちりと印象に残ってくる要素が
あったということでもあろう。

これらの楽曲群は
大抵HDHと略称される

ホーランド=ドジャー=ホーランドという
ソングライティング・チームの
ペンによるものなのだけれど、

まあ彼らについては
もう少しちゃんと勉強してから
機会を改めて
触れることにしようかと思う。

また、シュープリームスの
歴史については


いわずもがなだが、
多少の脚色はあるものの映画
『ドリームガールズ』に詳しいので、

もしさらに興味を持たれた向きには
当座はそちらを
参照していただければと思う。

モータウンというレーベルの
あのサクセス・ストーリーの
一番大きな部分を支えたのが

彼女たちであることは
ほぼ間違いはないだろう。

それでもこの辺はやっぱり
僕よりも相当詳しい人が


巷間数多いらっしゃるので
探せばいろいろ出てくると思うので、

歯切れが悪くて申し訳ないが
性格なことはそういった記述を
参照していただければと思う。


さて、5年で12曲の一位というのは
どうしたってやはり、

いわゆるアイドル的な人気も
きちんと獲得していなければ
成し得ない結果だろうと思われる。

それを支えていたのがこの
ダイアナ・ロスだった。

この点は断言しても大丈夫であろう。

それにしてもなんというか
これだけの大物の
女性シンガーでありながら、

なんとなくディーヴァという言葉が
使い難かったりするところが
やっぱり不思議だったりするのである。

今回ちらちら眺めたかぎりでも
このダイアナ・ロスに対して

この形容を採用している文章は
なかなか見つかってはこなかった。


まあそれも道理かなとも思う。

彼女の声と歌い方とは、
一言でいうなら可憐なのである。

迫力に欠けるといってしまうと
それは確かにそうなのだが、

むしろそういう歌唱でしか
表現できないものを
表現する術に長けているとでも
いうべきだろうか。

セクシーな方向に傾けても、
妖艶にまでなることがない。


品がいいというのか
どこかに清潔感が拭えない。

いや、ちょっと上手く
書けていない気も
相当しているのではあるけれど、

とにかくそういう個性が
やはり彼女のこの
他の誰にも真似のできない
キャリアを支えたのだと思う。

そしてこの点は
八〇年代に入ってからも
ほとんど変わってはいなかった。

あのナイル・ロジャーズを
プロデューサーに迎えての
Upside Down辺りが、

リアルタイムで僕の耳にも
届いてきた最初だと思うのだが、

典型的なディスコサウンドに
載りながらも

同時期にやはり
押しも押されぬ存在だった

ドナ・サマー辺りのサウンドとは
ちょっと違って響いたのである。

このUpside Downも当時
相当流行りはしたのだが、


でもやっぱりこの人の
声も歌い方も

バラード・タッチの曲の方が
結局はハマったようである。

前回触れたEndless Loveが
まさにその路線だし、

75年のTheme from Mahoganyも
こちらも当時
一位を獲得しているのだが、

これもまた
そちらのテイストの楽曲である。


でもこうやって並べてみると
改めてつくづく
振り幅の広さに頭が下がるし、

本当に長い期間
第一線に君臨し続けた
希有な存在なのだと思いなおした。


さて、そういう訳で
今回の記事タイは

やはりバラードタッチのこの
If We Hold on Togetherにした。

こちらは88年の作品になる。

いや、もっと前のような気が
どことなくしていたのだけれど。

とにかく個人的には
このダイアナ・ロスの
ソロの作品としては

これが嚆矢とするだろうくらいに
どこかで思い込んでいたのだが、

どうやら実は本国アメリカでは
全然そんなことはなかったらしい。

シングルとしてカットされたのも
映画の公開から二ヶ月遅れの、


しかも年をまたいだ
89年のことだったらしいし、

チャートアクションの方も
ほとんどなかった模様である。

むしろ日本の洋楽チャートで
一位を取ったことだけが

唯一瞠目すべき
実績だった模様でもある。

なんとなく納得いかない気も
しないでもないけれど。


――いい曲なのに。

いやでも確かに本当この曲は
当時あらゆるところで
耳にしていたような気がする。

ラジオでのオンエアなど
あのEndless Loveに
勝るとも劣らぬ勢いだったと
記憶しているし。

この曲も実は発表当初は
『リトルフットの大冒険』という

アニメ映画の主題歌として
紹介されることが常だった。

アニメ作品ながら
あのスピルバーグと
ジョージ・ルーカスが

揃って制作陣に
名前を連ねているということで
相当話題を呼んでいた気もする。

また同曲は、ほぼ間を開けず
翌90年に本邦で、

今井美樹主演によるドラマ
『想い出に変わるまで』の
主題歌にも起用されたので、

そんな背景もあって
我が国独自の大ヒットに
なったということらしい。


ついでながら同ドラマの
パッケージ・ソフトでは、

権利関係からオリジナルが
使用できなかったのだそうで、

主題歌は日本人歌手による
カヴァー・ヴァージョンに
差替えられているのだそうである。

それからこの曲だが
今回改めて調べてみて、

セリーヌ・ディオンの
あの『タイタニック』の主題歌
My Heart Will Go Onと


同じ作者の手に
よるものであることを
初めて知った。

あ、なんとなくわかるかも。

そしてジェイムズ・ホーナーという
名前のこの方、

手掛けた作品の数も
マジで半端ではないのだが、

とりわけ『タイタニック』の
ジェイムズ・キャメロンに
指名、起用されることが多く、

結果として歴代興行収入の
一位と二位の両作品の

音楽担当者ということに
なっているようである。

しかし残念ながらこの方は
15年にどうやら
自家用飛行機の事故で
鬼籍に入られてしまっている。


ではそろそろ小ネタ。

モータウンの大黒柱だっただけあって、
このダイアナ・ロスともなると


MJ(♯143)絡みのネタが
結構どころでなくある。

というか僕自身が
MJの方からのアプローチで

この人に触れることが
多いせいでもあるのだが、

たとえばDirty Dianaが
彼女のことであるとかないとか、

あるいはデビュー直後の
ジャクソン5を


このダイアナ・ロスが
マイケル・ジャクソン&
ジャクソン5と紹介してしまって、

これがジャクソン・パパと
モータウンの社長
ハリー・ゴーディーとの

亀裂の遠因の一つに
なっていたとかいないとか。

中でもインパクトが
強かったのは、

MJとクィンシー・ジョーンズとが
共同作業を始めるきっかけとなった

映画『ザ・ウィズ』の
キャスティングにかかる一件である。

この時本来ドロシーには
別の役者が予定されていたのだけれど、

ダイアナ・ロスはどうしても
この役を自分で演りたくて

プロデューサーに直接働きかけて
変更させたというものである。

Wikiにもはっきりと
書かれているから
実際そうだったのだろう。


そういうある種の
ごり押しみたいなものが
まかり通ってしまうと、

たいていの場合物事はあまり
上手くはいかないものだろうけれど、

はたしてこの『ウィズ』も
最終的に興行的には
失敗の部類に入ってしまう
結果となってしまった模様である。

それでもまあ、この時ロスと一緒に
MJがキャスティングされたことで

いわば僕らは
OFF THE WALL以下の
作品群に出会えた訳だから、


なるほど、どんなことにも
一長一短があるものだなあと、

まあ実は近頃富みに
そんな気持ちになっている。