ブログラジオ ♯183 Say You, Say Me | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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今週はライオネル・リッチーである。

セイ・ユー、セイ・ミー~ライオネル・リッチー・ベスト・コレクション/ダイアナ・ロス

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いや、この人の知名度も
あの当時はマジで
相当なものだったはずである。

一時期はとんねるずのコントの
ネタになっていたりもしたのだが、

個人的にはマンガ
『ワッツ・マイケル』に
登場してきた、

そっくりさんのキャラクターに
大受けしていたものである。

しかし振り返ってみれば
そもそもがあちらのアーティストが

本邦のテレビ番組やコミックでの
パロディーの対象として
成立していたこと自体が
実はものすごかったのだと思う。

いや、確かに少なからず
インパクトのある
外見であったことは
否定できないとも思いはするが、

それでもあれはやはり、
御本人が十分過ぎるほど、

シーンを席巻していればこその
現象であった点は間違いがない。

ベルクソンによれば
笑いというものは、
意外性とでもいえばいいのか


基本的には受け手側の予測を
裏切るような展開が

起きてしまったような場面で
生じてくるものなのだそうで、

有名な例なので引いてしまうが、
たとえば演台に向かう偉い人が、

途中で転んでしまうなんてケースが
その例証になるのだそうである。

まあ、僕らがそんな場面に
ちゃんと笑えるかどうかは
とりあえずおいておくとして、

基本的にはそうすると、
多くの人が一斉に
笑えてしまうためには


まずはそもそも、
その前提となる予測というものが
共有されていなければならない訳で、

だからこそパロディーというものが
一番難しいよなあ、と思うのである。

有り体にいってしまえば
その元ネタに関する
知識の有無によって
受け手を選んでしまうからである。

だけどまた、
難しいよなあと思うからこそ、

時々自分でも
やりたくなってしまうのも本当で、

『ルーシー』やあるいは、
『落ち屋』みたいなテキストが

不意に出てきて
しまったりもするのである。

ああいうのは一瞬でも
くすりとしてもらえれば

それで十分嬉しいんだけどな、
なんて思いながら書いている。


いや、例に寄ってまただいぶ
話が縒れてきてしまったが、


つまり何がいいたいかというと、
やっぱりあの頃はたぶん、

ああいう現象が成立するほど
この国でも十分に
かなり多くの人の頭の片隅に、

このライオネル・リッチーの存在が、
よし仮に曲なんて知らなくても、

なんとなくあったのだろうなと
まあそんなふうに感じるのである。

もちろんまずリチオ君から
情報が入ってきた方も
当然いらっしゃるとは思うけれど、


やっぱりそれはそれで
いいことだったと思うしね。

なお、念のためですが、
このライオネル・リッチーは

いわゆるノベルティーソングの類いの
笑える曲をやっている訳では
まったくもってありません。

むしろ真逆です。

まあそういうギャップが
時にああいう笑いに

通じてしまったという側面も
なくはなかったのでしょうけれど。


さて、しかし改めて、
八〇年代の開幕辺りから
86年頃の時期にかけての

この人の記録した実績には
本当にものすごいものがある。

すごいという言葉ですら
全然足りないかもしれない。

一応次回に予定している
あのダイアナ・ロスとの
デュエットという企画で


ほとんど発売前からすでに
巷の話題を攫っていた
Endless Loveを皮切りに

以後計五曲のトップ・ワン・ヒットと
それ以外にさらに八曲の
トップテンヒットが
間を開けずに並んでいるのである。

しかもここにはあの
We are the Worldを
数えてはいないのである。

さらにいうとこれらのほかに
70年代の後半の、
コモドアーズ時代にも

彼のソングライティングと
リード・ヴォーカルによる
二曲のトップワンがある訳だから、


だからこの時期はほとんど
毎年毎年年間を通じ、

チャートやMTVを含む各局の
プレイリストなんかの類いに

この方の名前が
見つからなかったことの方が
たぶんめずらしいくらいだった訳で、

いや、そう考えると確かに
MJ(♯143)と肩を並べるといっても
過言ではないのかもしれない。

もちろんあの
We are the Worldに
共作者として

マイケルと一緒に
クレジットされているのは
彼一人である。

クィンシー・ジョーンズも
ソングライティングには
関わってはいないようである。

そして、あの曲のド頭の歌い出しを
この方が任されていることからしても、

同曲のいわゆるAメロのパートを、
メインになって書いたのが、

このL.リッチーであることは
九分九厘間違いがないだろう。

サビはマイケルのものだろうが、
確かに序盤から次第次第に
盛り上げていくあのテクニックは、


この方の持ち味であるといってもいい。

いや、本当、
バラードを書かせると
この方相当上手いのである。

なんというか、
絶対にツボを外さない、

そんな感じ。

ただまあ、
こんなふうに書いてしまうと、


好きな人からは
相当怒られてしまいそうでもあるが、

この人のバラードってなんだか、
すごく濃いシロップみたいな
感じだったりするのである。

身を浸してしまうには
時々どころではなく
照れくささが勝ち過ぎる。

もちろんそういったものが
必要となってくる場面が

時として人生にあることは
これは否定するつもりもないし、

僕自身も多少は
経験していなくもない。

だけど個人的にはやっぱり
この手のノリは、

そんなにいつもいつも一杯は
要らない感じなのである。

ひょっとすると
彼のカタログの中で
不意に無性に聴きたくなるのは、

All Night Longの
あの空耳の箇所かもしれない。


確かマキシ・プリースト(♯64)の時に
小ネタで触れて
しまっていたのではないかとも
思うのだが、

田んぼに行って捨ててこいや、と
聞こえてしまうあの部分である。

これは絶対日本人には
田んぼの字面しか浮かばない。

この箇所はもちろん
そもそも英語ですらないのだが、

そうするとアメリカの人たちには
はたしてこのラインは
どんなふうに聞こえていて
どんな景色が浮かぶのだろうかと、


まあそういった、
しょうもないことを
つらつら考えているのが
基本的には好きなのである。

だから、終わりのない愛とかね、
真っ向からぶつけられてしまうと、

――なんかね。

ちょっとだけ居心地が悪い。

いや、『四日間の奇蹟』の作者が
今更何をいっているのかと
怒られてしまいそうでもあるが。

――ああ、でもそうか。

この人ミュージカルとか作ったら、
きっとものすごく
はまるのではないだろうか。

いや、今不意に
思いついてしまっただけなのだが。

例に寄って外野なので、
勝手なことをいっております。

うんでも、
ライオネル・リッチーが
音楽を担当したミュージカルなら、


ちょっとどころではなく
興味があるかもしれない。

そういうシチュエーションを
与えてもらえれば

それこそ思う存分に
泣かせてもらうことが
できそうなのである。

でも本当、そういった雰囲気の
ある種の演出過剰を、

楽曲としてきっちりまとめ上げる
そういうテクニックを
確実に持っている人だと思う。


Endless Loveもそれから
今回のSay You, Say Meも
映画の主題歌だったことは

たぶんここで
触れておくべきなのだろう。


さて、まあそういう訳で
僕自身はこの方の楽曲に

すごく好きな曲があるかというと、
正直なところそうでもないのだが、

でもコモドアーズ時代の
Jesus is Loveなる曲は
ものすごいんじゃないかと思った。

いや、これに関しては
まったく自分の不明を
羞じるほかないのだが、

この曲に関しては
今回記事にしようと思って
上のベスト盤で初めて耳にして、
ちょっとやられた。

ああ、こういうのも
やってたんだ、くらいな感じ。

たぶん彼の旋律の持つ
ある種の甘ったるさが、

ここでは信仰のような感情に
いい具合に包まれて、
いつもより素直に聴けるのだと思う。


この先きっと
聴き込むことになるだろう。

さて、ちょっとちゃんと
誉められているのかどうかさえ、

今回は自分でもよく
わからなくなってきた気もするが、

でも本当、
メロディメイカーとして

卓越した存在であることは
絶対に間違いはないし、


だからこそ、上で触れたような
実績があるのだとも納得している。


さて、そういう訳で、
もう何をやっても

最早障害になるものなど
どこにも何も
見つからないだろうくらいの勢いで

80年代の前半を駆け抜けた
このライオネル・リッチーなのだが、

ところが86年のアルバム
DANCING ON THE CEILINGを
発表した後、

何故だか不意に
長い沈黙に入ってしまう。

作品の発表はもちろん、
ライヴも含め

あまり人前にも出ないような状態が
十年余りも続いていたようである。

今回のリサーチでは、
この時期に関する、
本人のコメントのようなものを

きちんと発見することは
残念ながらできなかったのだが、


96年の10年ぶりの作品は
古巣モータウンではなく、

マーキュリーからの
リリースだった模様だから、

まあその辺、いろいろと
あったのかもしれないなとも思う。

あるいはフィル・コリンズ(♯37)が
ちょっとだけ愚痴っていたように、

確かに90年代のいわば
メインストリームともいえた、

ラップやヒップホップ、
あるいはグランジみたいなノリとは、


基本的に相容れない種類の
音楽性の持ち主であることも
また間違いはなかったから、

ひょっとしてその辺りに
少なからず思うところが
あったりもしたのかもしれない。

加えてたぶん、
養子を取られたり
していたこととも

決して無関係では
ないのではないかとも
思わないでもないのだが、

いずれにせよ本人の発言を
目にしていない以上

何を書いても所詮は
憶測にしかならないので、

この点についてはこの辺りで
やめておくことにしようと思う。


それでも今世紀に入ってからは、
比較的コンスタントに
作品の発表もあるようで、

のみならず、なんとなく
チャートの数字だけ見ていると、

人気が復活しつつある気配も
どうやらなくはなさそうである。


確かに彼の楽曲は、
時代に左右される要素が
実はあまりない気もするので、

この復活劇もなんとなく
頷けなくはないでいる。


さて、では締めの小ネタ。

いや、気がついたら、
記事タイにした
Say You, Say Meについて、

ほとんど触れていなかったので
ちょっと自分でフォローする。


あの当時はこれも
映画の主題歌として
まずリリースされて

最初から大ヒットを
約束されていたような
ものだったので、

ああ、またかかっているな、くらいの
感じでしか聴いていなかったのだけれど、

今回これを書きながら
繰り返し聴いてみて、

なんかいろいろと随所に
小ネタ的なものを
仕込んであるのだなあと
改めて思った。

後半に登場してくる
大胆なテンポ・チェンジは
もちろんなのだが、

不意に現れてくる、
リズムにちゃんと
乗っているのかも
よくわからないような

SEみたいなシンセも
なかなか他の曲では
見つからない音かもしれない。

ちょっとだけだが、
Tomorrow Never Knows
みたいだなと
思わないでもなかった。

あ、これはビートルズなので
念のため。


そういう意味ではやはり
旋律だけではなく
トラックの完成度にも

しっかりと裏打ちされた
大ヒットだったのだなと
改めて思いなおしたりしている。


そしてこのSay You, Say Meだが、
本邦では一時期、

とある企業のCMソングとしても
使われていたらしい。

僕は目にした記憶が
残念ながらないのだけれど、


いわれてみればこれは確かに
いい具合にハマりそうなので
ちょっと見てみたかった気もする。

これだけで大体お察しの方も
おありかもしれないとも思うが、

――では落ち。

その企業とはもちろん
ずばり西友さんである。

僕もこのネタ拾った時、
それ以外ないよなとは
確かに思いはしたけれど、

でもやっぱり本当に
やってしまったところがすごい。

さらに余計なことだが、
「せいゆうさん」と打ったら、

うちのワードはまず
声優さんと変換しました。

あるいはそちら方面でも
ひょっとしてこの曲には

まだまだまた別の
使い途があるのかもしれません。