ブログラジオ ♯178 Hit the Road Jack | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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では予告通り今回は
レイ・チャールズである。

グレイテスト・ヒッツ <2CDベスト 1800>/レイ・チャールズ

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念のためだけれど、
いつも大体ここで
取り上げているものに比べると、

今回のピックアップは
極端に時代が古い。

表題にしたHit the Road Jackは
実に61年のヒット曲であり、

レイ・チャールズ自身の
レコード・デビューは


更に遡ること十二年前の
一九四九年のことになる。

いや、なんかこの国が
サンフランシスコ講和条約とか

そこまでもまだ
いっていない時期ではないか。

――ほとんど歴史である。

だからやはりこの方も、
名前の方が先に
頭に入っていた口であった。


むしろ個人的にはあの頃のあの
We Are the Worldの
ビデオに登場してきたり、

あるいはさらに
BJ(♯147)との
共演を目にしたりしながら、

まだ現役であり続けて
いらっしゃることに

相当どころでなく驚きもしたし
ある種不思議な気持ちにも
させられたものである。


たぶんこの方については
最初は何よりもまず

あのGeorgia on My Mindの
シンガーとして認識したのでは
なかったかと思う。

曲が曲なものだから、
なんとなくほとんど
唱歌に近いような印象を

勝手に持ってしまっていたことも
また同時に否めない。

フォスターなんかの辺りの時代と
通じるような印象さえ
持っていなくもなかった気がする。

そういう意味ではたぶん、
こう、アメリカのある種の
トラディショナルな部分に


非常に忠実な音楽なの
かもしれないとも思う。

ちなみに僕は数ある逸話の中でも
当時まだ横行していた
黒人の差別への反対を理由に

同州での公演をキャンセルした
このレイ・チャールズを
一時期追放していたジョージア州が

最終的にはこのGeorgia~を、
正式に州歌として
採用したという逸話が
なんだかひどく気に入っている。

まさに音楽の
勝利とでもいおうか、


まあこんな具合にいってしまうと
些かどころではなく陳腐ではあるが、

とにかくそんな手応えがあって
喝采を送りたくなるのである。

もちろんレイ・チャールズは
ジョージア州の出身である。

ただし曲の方は
彼のオリジナルではなく、

三十年代からすでに
存在していたものらしいのだが、

同曲がスタンダードの地位にまで
押し上げられることができたのは

このレイ・チャールズの録音が
あればこそのことであろう。


まあそんな訳で
この方の生涯と一緒に

ソウル・ミュージックというものが
この世に生まれてきたんだなあと、

曲がりなりにもそうちゃんと
把握できるようになったのは


ずいぶんとどころではなく
後になってからのことになる。

14年のアカデミー作品である
映画『それでも夜は明ける』を
取り上げた時(→こちら)に確か、

ゴスペルなるものが
奴隷制度の中でなんとなく
できあがってくる過程が

非常によくわかるように
作られていて

かなり面白かったみたいなことを
書いていたかとも思うのだが、


そのゴスペルが
根本的に有していた

信仰心に通じるような
エッセンスみたいなものが

ポピュラーの世界へと
移植されてきたのは、

実はこの方がほとんど独力で
成し遂げた成果なのだと

たぶんいってしまっても
かまわないのではないかと思う。

同時期のほかのアーティストの
レコーディング作品など

それほど聴き込んでいる訳では
決してないので、

迂闊に断言できないことも
同時に確かではあるのだが、

とりわけこの人の歌唱が、
常に祈りのようなものを

ひしひしと感じさせてくるという点で
際立っていることは
間違いはなかろうかと思われる。


もちろんその印象も
多分聴き手の僕の側が

前回のS.ワンダー(♯177)に
対するのと同様に

この人が光を失った世界に
生きているのだという
ある種の予備知識に

多少左右されている可能性も
否定できないのかもしれないが。


ロックもソウルもとどのつまりは
アメリカという国の、
とりわけ黒人由来の音楽に


その起源を持っていることは
やはり否めないのだと思う。

するってえと、
ポピュラー・ミュージックの
そのほとんどが、

やはりこの国の影響からは
逃れられないのだなと、
時々そんなことを考えたりする。


二極化という訳でも
本来は決してないのだが、

ロックをまあ、
一方の雄として捉えると、

こちらがいわゆるR&Bを源流に
かつギターという楽器を中心に据え

発展というか、進化あるいは変革を
積み重ねていって
現在に至っているのだとは

大雑把ではあるけれど、
いえなくもないのではないかと思う。

このレイ・チャールズはだが
R&Bという言葉ならともかく、

なかなかそちらの系譜には
入れがたい気がする。


むしろジャズの方の近いというか、
ブギウギ、ラグタイムなんて
言葉の方がよほど似合う音である。

しかしながらこれが同時に
非常にダンサブルなのである。

ヴォーカルの先導による形で
このノリを再現したところが

まず一つ、革新的だったのかも
しれないなあなんてことも
ちょっとだけ想像しないでもない。

いやまあ本当のことをいえば
この辺りになるとまるっきり
時代の空気がわからないので


何を書くのも実は心底
怖々だったりしている訳で、

それにこの人のレコードは
そもそもそんなに頻繁に

プレーヤーに載せている訳でも
決してないことも確かだし。

でもなんというのだろう、
僕自身こう
いろんな要素がごっちゃになって
詰め込まれて

かつ絶妙な匙加減で
統御されているタイプの音楽が
基本的には好みなので、

だから80年代の
広義のニュー・ウェイヴが

様々なジャンルを貪欲に
自らの中に取り込んでいこうとする

そういったアプローチが
一番肌に合っているのだと

自分でもそんなふうに
ずっと思っていたのだけれど、

今回このテキストを起こしながら、
ずっと上のベスト盤を流していて、


むしろ黎明期であるが故に逆に、
あちこちへと分岐していく
萌芽のようなものが

未分化のままでこそあるが
確かにそこにあるように思われて、

どこかが共通しているような錯覚を
起こしそうになってきたりもしている。

こういうのがこの音質で
今なお聴けるということは
たぶん相当幸せである。

前も同じようなことを
どこかで書いたかとも思うのだが、


フォスターが生きていた時代の
『スワニー河』が
本当はどんなふうに鳴っていたのか

自分の耳で確かめることは
僕らには絶対叶わない訳だから、

いや、この方が
この時代にいてくれてよかったと
改めてつくづく思ったりもした。


さて、このレイ・チャールズの生涯は
ジェイミー・フォックスの熱演で
話題を集めた04年の映画
『Ray/レイ』に詳しい。

中でも何がすごいって
このレイ・チャールズ、

最初の移籍の際に
それまで在籍していた
アトランティックで録音した

ほぼすべての原盤の権利を
基本的に自分のものとすることを

レコード会社に
認めさせてしまっているのである。

こんなアーティストは
たぶん他には
そうそういないはずである。

あるとしたらELP(♯100)が
自分たちのレーベルを起こした際に
買い取っているケースが
挙げられるくらいではないだろうか。


いや、ちゃんと
ウラを取った訳でもはないが。

この時にレイ・チャールズに
アーティストの地位みたいなものを

どうにかして上げたいとでも
いったような意図が
あったのかどうかも
はっきりとはわからないし、

59年の出来事であれば
人種の問題も、
背景にはあったような気もする。

それにしてもやっぱりこの方、
やることがいろいろと
革新的だったのだろうなあ。


しかし本当に今回は特に
歴史をひもといている
感覚に近いものがある。

やっぱりまだ言葉にするには
準備不足だった気もしないでもない。

ちなみに映画について
多少補足しておくと、

まあ当時のことなんで、
薬物の問題や女性関係なんかも

結構どころではなく
赤裸々に描かれているので念のため。


さて、今回表題にした
Hit the Road Jackなる曲は

やっぱりまあこちらも
時代だよなあとも思うのだが、

結局のところこれいわば、
痴話喧嘩を描いた、
寸劇みたいな歌詞だったりする。

男女のコール&レスポンスという
スタイルを上手く利用している。

当時の邦題の『旅立てジャック』が、
名訳なのかどうかは、
コメントを控えておくことにするが、


まあでも、少なくとも
口語で実際に旅立ちって言葉を

本当に口に出す場面は
なかなかありそうにないよなあとは
やっぱり僕もそう思う。

ただまあ、
『出て行っちまえジャック』のままでは、
なんか、確かに売れそうにないことも
同時に間違いはないだろう。

そしてこの曲で
レイのヴォーカルと

丁々発止のやりとりを
繰り広げているコーラス隊には


レイレッツという名前があって、
ツアーもほぼずっと
一緒に回っていたそうである。

このメンバーとの間にも
まあいろいろあったらしいが、

詳しくはやはり
映画を観ていただくのが
一番いいかと思われる。

それにしてもこういった
ある種芝居がかったやりとりが

曲として成立していたところなど、
本当に興味深いなと思う。

ポップ・ミュージックなるものの
基本的な成立を考える時、

レコードやほかのメディアが
先にあった訳では決してなく、

たぶん場末の酒場みたいな場所で
場を盛り上げる娯楽として
元々は発生してきたもの
だったのだろうから、

彼のレコードなどはきっと、
その名残を
色濃く残してもいるのだろう。

うーん、どうも今回は
事前に考えていたより
文章が少なからず
堅苦しくなってしまった気もするが、


まあ、本当にこの曲も
相当面白いし
カッコイイことは間違いがない。

下降のラインを繰り返す
低音のブラス・パートに、

コーラスのメロディーが
上に昇りながらぶつかってくる

サビの後半の部分など、
まさに絶品であるといえよう。


ではそろそろトリビア。


08年にローリング・ストーン誌が
史上最も偉大な
百人のシンガーという

企画というかランキングを
発表しているのだが、

このレイ・チャールズは
エルヴィスに次いで二位だった。

個人的にはまあ
順当なところなのだろうと
思ったのだが、

ビリー・ジョエルはこの結果に
少なからず不満だったようで、

レイ・チャールズの
果たした役割は

たぶんエルヴィスよりも
重要であるといった主旨の
発言を公にしている模様である。

ついでにもう一つ触れておくと
フランク・シナトラは

ショウ・ビジネスの世界で
本当に天才という名に値するのは

このレイ・チャールズだけだと
評していたりもしたらしい。


――いやしかし。

この方について触れるなら、
まだまだたぶん本当は

書かなければならないことが
きっとたくさんあるんだろうなと

まあそういう思いばかりを
新たにさせられた
今回の記事でありました。

前回今回と
ちょっとヨレてきてますね。


すいません。
気を引き締めて改めて頑張ります。

ではまた来週。