ブログラジオ ♯179 September | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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いや自分でも六月の頭に
Septemberでもなかろうと
思わないでもなかったのだが。

でもやっぱりこの人たちは
なんだかんだいってこの曲が
一番いいなあと思ったもので。

ファンタジー~パーフェクト・ベスト/エモーションズ

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アース、ウィンド&ファイアである。

昨年二月に、リーダーの
モーリス・ホワイトが
この世を去られてしまい、

往事のラインナップが
再現されることは
もうなくなってしまった。

つくづく本当、昨年は
なんだかひどい年だった。

年頭のボウイに始まり
グレン・フライ、
ジョージ・マーティン、

キース・エマーソンに
このモーリス・ホワイトと続き、

四月にはよりにもよって
あのプリンスの訃報が届き、

ピート・バーンズを挟んで
レオン・ラッセル、
レナード・コーエンが


相次いで鬼籍に入って
しまったかと思えば

いよいよ年末には
ジョージ・マイケルである。

つい振り返ってしまったけれど、
本当、何かが大きく
変わりつつあるのだなあと

そしてそんな気配というのは
こういう形で
表に出てくるのかななんてことを
改めて考えてしまったものである。


さて、そろそろ本編に行く。


前回のレイ・チャールズが
ソウル・ミュージックという市場を
一人で開拓したのだとすれば、

ファンクというジャンルを
ポピュラーのレベルにまで
きっちりと押し上げてきたのが、

このモーリス・ホワイトに率いられた
アース、ウィンド&ファイアという
グループだったのだろうと思われる。

この辺り些か
付け焼き刃ではあるのだが、

そもそもこの
ファンクという言葉、

原義的には汗臭いとか
体臭がキツいといった感じの
ニュアンスを持っているのだそうで、

これが転じて、黒人音楽全体への
まずはある種の蔑称として
音楽の用語へと導入されてきたらしい。

ただファンクの最初の音節は
どうしたって楽しむ方の
FUNと通じるものがあるので、

最初からたぶんそういう側面は
意識的無意識的に

仄めかされていたのでは
なかったろうかとも思われる。


しかしながらたぶん、
八十年代のあの頃からすでに
僕らがこの
ファンキーという言葉を使う時、

それはすでに嗅覚的な
イメージからは
切り離されていたはずである。

なるほどジェームズ・ブラウンは
たぶんそもそもの意味でも
ファンキーであったのでは
なかったとうかとも思われる。

けれどこのEW&Fに対して
ファンキーという形容を
当てはめて使われている時、

最早そこにそのニュアンスは
たぶんほとんど見つからない。


MJ(♯143)もプリンス(♯138)も
間違いなくファンキーである。

でもそれはたぶん
このEW&Fが作りだしたイメージを
通り抜けた上でのそれである。

ファンクの開祖といっていい
JBとこれらの人々の間には

スライ・ストーンとか
ジョージ・クリントン、

それからシック辺りが
たぶん時代的に
入ってくるのだけれど、

その中でもやはりこの
EW&Fの影響力は
頭一つどころではなく
抜けているのではないかと思う。

いや、今回もまだ
大分ヨレている気も
なんとなくしないでもないが、

とにかく何がいいたいかというと、
言葉の意味を変えてしまうほどの
絶大なる存在感を、

ことブラック・ミュージックの
歴史において、

往事のこのEW&Fは
誇っていたのに違いないのである。



いや本当つくづく、
よくあの時代に

こんなサウンドを
作り上げたものだなあと思う。

ディスコなんて言葉はもちろん
ファンクという括りで

把握してしまうことすら
たぶん勿体ない。

クリストファー・クロス(♯175)の
手触りにも通じそうな、
音数の多い透明感みたいなものが、
聴く曲聴く曲にあふれている。


本当に今現在に至るまで、
これを越えているものなど

生まれてきてはいないんじゃないかと
思えてきてしまうほど
すべてが洗練されているのである。


さて、リーダーの
モーリス・ホワイトだが、

そもそもはあの
チェス・レコードの

専属ドラマーとして
基本的にはその音楽的キャリアの
最初の一歩を踏み出したと

そんな感じに把握して
おおよそ間違いないようである。

チェス・レコードというのは映画
『キャディラック・レコード』の
モデルになった会社で、

R&Bを筆頭とする
黒人ルーツの音楽を

商業ベースに載せることに
多大な役割を果たした会社である。

ちなみに同映画の記事は
こちら()に書いている。


この時期どうやらモーリスは
ラムゼイ・ルイスの
トリオに参加してもいたらしいので、

なんとなく、その辺りは
腑に落ちないでもないかなあ。

つまりこのEW&Fの作品群の
洒落た手触りはやはり、

ロックというよりは
ジャズの影響下にあるものだと
思われるからである。

念のためだがこの辺りまではまだ
七十年代にもならない時期の出来事になる。


独立といってしまっていいのか、
モーリスが自身のバンドを
ようやくスタートしたのが六十九年。

ただしこの時のバンド名では
シングル一枚を残しただけで、

アルバムが登場してくる頃には
グループ名はもう
EW&Fになっていたらしい。

大きな特徴は、
ブラス・セクションを
バンド内に擁していたことだろう。

このスタイルは
七十年代を通じて
変わらなかった模様である。

その後ヴォーカルの
フィリップ・ベイリーの
加入を初めとする
若干のメンバーの異動を経て、

七十年代中盤から
八十年代の初頭にかけ

このEW&Fはシーンにおいて
際立った存在感を誇ることになる。

ダンスフロア向けの
グルーヴの深いリズムと
いってしまっていいのか、
まあそういうノリと

きらびやかでかつ
バランスのよい音作りとが、
他の追随を許さなかった。


たぶんだから、
一つの完成形というか

ある種のお手本として
存在していたと
断言していいのではないかと思う。

78年には彼ら、
あのビートルズ/ポールの
Got Get into My Lifeなどを
取り上げてもいたりするのだけれど、

いや本当、あの曲の本質って
ひょっとしてこんなノリが
一番相応しかったのかと
思わせるくらいの仕上がりである。

まあ、この挿話はむしろ
この曲とHelter Skelterとが、


同じ人間によって
書かれたという事実に
驚嘆すべきなのかもしれないが、

いずれにせよEW&Fは
75年のShining Starから
81年のLet’s Grooveまで

上のGot Get into My Lifeを含め
計七曲を、
メインチャートのトップ10へと
送り込んでいる。

ただたぶんほかの曲も、
当時のディスコでは
いろいろとかかっていたのでは
なかろうかと思われる。


さて今回のSeptemberも、
もちろんその中の一曲である。

たぶん一番有名なのは
Ba-deyaと標記される
コーラスのこの部分が

言語としては存在しない
言葉でできているという
逸話ではなかろうか。

なんかいろいろ見てみると、
紀元前のペルシャの王様に、

バーディアという名前の方が
どうやらいらっしゃるらしい。

この方が暗殺されたのが
九月の出来事だったから


この曲のコーラスに
採用されたというようなネタも
なくはないらしいのだが、

いや、これは幾ら何でもあれだろう。

レコーディングの途中では
メンバーからも実在の単語に

置き換えられるなら
そうした方がいいのではないかと
そんな意見も出たらしいのだけれど、

今となってはこの音以外
有り得ないよなという感じである。


そればかりでなく今や
Ba-deyaという音の並びが、
他の曲のコーラスに
援用されているくらいである。

音符の要求する、つまり
音程と長さが
これしかないといってくるような

子音と母音の組み合わせというのは
本当にあるのだという例であろう。

そんな逸話も含め、
この曲は本当すごいなと、
いつも思う。

例によって洒落ていて、
同時にダンサブルで、

それこそ九月の
乾いた空気みたいに

夏の名残を残しつつも
終始爽やかなのである。

基本的にはラヴ・ソングで
九月に最初に踊った夜のことを

君は覚えているかい
みたいな歌なのだが

その方向性とでもいうべきものが
徹頭徹尾ポジティヴで


それもまた、この人たちの
サウンドの感じと
見事に合致しているのである。


では締めのトリビア。

今回もまあ、御存知の向きには
釈迦に説法レベルのものである。

彼らの代表曲の一つである
Boogie Wonderlandには
女声コーラスが参加している。

なんとなく往事の
レイ・チャールズ(♯178)の
スタイルを
思わせないでもないけれど


この三人組が実は
エモーションズの名で

Best of My Loveというヒットを
75年に放っている。

もちろんプロデュースは
モーリス・ホワイトが手がけている。

さらに、この数年後にヒットした
シェリル・リンなる女性シンガーの
Got to be Realという曲は

どうやらこのBest of My Loveの
ブリッジの部分から
アイディアを膨らませる形で
作られたのだそうで。

この二曲、ディスコものの
コンピレーションなんかにも
よく収録されていると思うが、

なんというかそういう場所でも
やっぱり際立って
聴こえてくるのである。

ちなみにシェリル・リンの方は
シカゴ(♯153)の時に紹介した
デヴィッド・フォスターとそれから、

TOTO(♯152)のAfricaを書いた
デヴィッド・ペイチが
プロデュースを担当したらしい。

だから当時の
ディスコシーンにおいての


このモーリス・ホワイトの
影響力というのは、
本当に大きかったのだなあと、
改めて思った次第。

いや、もう少しちゃんと
勉強してから
書きたかったかもしれないなと、

そうも思ってしまった
今回のEW&Fでありました。