ブログラジオ ♯138 Pop Life | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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はあ。

名前を書こうとするだけで、
また思わずため息が
漏れてしまいもするのだが。


今回はプリンスである。

アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ/プリンス

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四月の訃報は
あまりにも唐突だった。

年が改まってから立て続けに
ボウイやG.フライ
M.ホワイトといった


ビッグ・ネームの逝去が
矢継ぎ早に続いたものだから、


本当にそれこそ、
この方だけは一度でいいから、

生のステージを
ちゃんとこの目で
見ておくべきだよなあと、


今度機会があったら、
絶対に逃すまいと、


まさにそんなことを
考えていた矢先に
あれが飛び込んできてしまった。

ただただ愕然とした。

本当に数日間、ほとんど何も
手につかなかったといっていい。


洋楽を聴くという
今なおやまない
僕のその習慣の背後には、

ビートルズ(♯2他)やイーグルス、
ビリー・ジョエル辺りと


同じくらいの重さを持って
この方が存在していた。


むしろリアルタイムで通過した
極めて初期の
洗礼みたいなものだったから、

その存在は、ひとしおだった。

改めて御冥福をお祈り申し上げます。


あの時も確かここでも
少しだけ触れたかとも
思うのだけれど、

まず最初に僕が出会った
この方のトラックは


あのPURPLE RAINからの
最初の大ヒットシングル、
When Doves Cryだった。


第一印象はだが、
忌憚なくいってしまえば、

少なからずどころではなく
いかがわしく思えたことは否めない。


バラの浮いたバスタブから
おそらくは全裸で
這い出してきたかと思えば、


映画のワン・シーンで
あるはずなのに

ステージの上でなければ
絶対に成立しないような


派手な装飾をあしらった衣装で
好き勝手に動き回り、


あまつさえそのまま
バイクにまたがって、

もちろん恋人役のアポロニアを
当然のように後ろに乗せ、


やがて二人は、
湖畔で戯れたりもする。


しかも同じ出で立ちで、
そんな光景を俯瞰している

もう一人の
プリンス自身の存在が、
随所で仄めかされてもいる。


さらにクリップの終盤では、
襟元をこれでもかというくらい
フリルで飾り立てたシャツに、


サンバイザーよろしく
大きな日よけをつけた
テンガロン・ハットという

それこそ全盛期のアバ(♯122)さえも
多少引いてしまいそうなほど
ド派手な格好で登場し、


当時のバック・バンドであった
ザ・レヴォリューションの面々を従え、


それなりに息の合った、
ダンスを見せつけてくる。

しかもこの時の演出が、
画面を中央で二分割し、


左右対称の鏡像を見せるという
当時としては
それなりに斬新だったもので、


構図の加減で、
まるで一つ目小僧のようにも見える、

ギターのウェンディーの
一瞬のショットが、


強烈な違和感を伴って、
脳裏に刻みつけられたものだった。


猥雑とまでいってしまえば、
些か言葉が過ぎるだろう。

非日常とまでいうほど
大袈裟なものでもない。


ただ同クリップの全体に
醸し出される不思議な空気が、


このWhen Doves Cryなる曲の
独特の奇怪な浮遊感と、

絶妙に呼応していたことだけは
たぶん断言して間違いがない。


イントロの破壊的なギターと、
それから曲の全体を決定づける、
物悲しげな鍵盤のリフが


冒頭からこのトラックの
強烈なインパクトを
十分以上に作り上げてくる。

随所に割り込んでくるのは、
安っぽいアコーディオンに似せて、


おそらくは注意深く
音色を調整された、


もう一個のシンセサイザーの
やはり高音のラインである。

これがまるで、
ジンタでも耳にしているような、


後ろめたさを伴った
ノスタルジアを呼び起こす。


そしてこの曲、なんと、
ベースという楽器が
一切使われていなかったりする。

同楽器の役割を一部担っているのは、
たぶんシンセ・タムか何かで作った、
ややシンコペーション気味の、


不自然ともいいきれない、
でもやはりどこか居心地の悪い、
奇妙なリズム・パターンである。


しかもさらにプリンスはこの曲で
いささか過剰とも思えるほど、

ヴォーカルの
オーヴァーダブを重ねている。


こういった、たぶん随所で
計算され尽くしたのであろう


様々な要素が
渾然一体となって絡み合い、

根音というものの存在しない
不穏なリズムの上に載っている。


斬新を通り越し、
最早異常の域に達しているくらいに
いってしまっていいのかもしれない。


こんな作り方でも
ポップ・ソングというものは
成立してしまうのだなあ、と、

もう30年以上も前の作品なのに、
今更ながらこの曲を聴くたび、


僕はだからただただ
唖然としてしまうほか
術を持たないままでいるのである。



ちなみに同曲のテーマというか、
タイトルの意味するところの

メインのモチーフは、
要は男女の口論である。



僕はちょうど父さんみたいに
奔放で、要求が過ぎるのだろう


一方で、君はそれこそ
決して満足することのなかった
僕の母さんみたいだ

僕らは時に理由もなく互いに
叫び声を上げながら罵り合う


その響きはまるで
鳩が啼く時みたいなんだ――



なんだろう、
この奇妙な宙づり加減。

曲の基調には
確かにある種の
重苦しさがある。


しかしそれがこの
Doveの一語によって、


まったくもって取るに足らない
些細なことにまで
一瞬で貶められてしまったような

そういう落差が厳然とある。

そしてしかも同時にそれが、
トラックの全体の空気と
奇妙に呼応していることが、


この曲のなんとも形容しがたい
ある種の完成度の
正体なのかなあとも
時に考えることもある。

もちろん答えになど、
たどり着けそうな気配はない。


ただ少なくともこんな光景を、
こんな音の構造で、
描き出そうと試みたトラックを


僕自身、あれから今に至るまで、
誰のどんなレコーディングにも

ほかにはどれ一つとして、
見つけられていないことだけは
間違いなく本当である。



さて、ここらで例によって
余談を二つばかり
挙げておくことにしようかと思う。


この曲の邦題が
原題はもちろん、
上で触れたメインの
モチーフからもすっかり離れ、

『ビートに抱かれて』とつけられて、
今なおそのままで
通っていることは


いつだったかも
確かここで触れた通り。


それから同ビデオで採用された、
鏡像手法とでも
いうべきような視覚効果は

後年イギリスの
エスケイプ・クラブなるバンドが、


Wild, Wild Westという
自身のデビュー・シングルの
ビデオ・クリップで採用し、


なんとも奇怪な映像を
作り上げていたものだった。

手足だけが踊ったり、
あるいはギターを弾いたりという、


ある種のグロテスクさが
やはり見る者に、


強烈なインパクトを
与えずにはいなかったようで、

同曲は88年11月に一週だけ
さほど印象的な音楽では
ちっともなかったにもかかわらず、


ビルボードのHOT100で
トップ・ワンを記録している。


しかもこのエスケイプ・クラブ、
まあかくいう次第で

全米ではチャート・トップの
実績がありながらも、


本国英国でのヒット曲が
まったくない
唯一のグループなのだそうである。


いや、奇妙な記録もあるものである。

なお、同曲は後年
ウィル・スミスの主演で
制作公開された


同名の映画とはたぶん、
まったく関係がないので念のため。



さて、ではそそくさと
プリンスへと話を戻すことにしよう。

このWhen Doves Cryを
収録したアルバム
PURPLE RAINは


84年から翌85年にかけて、
実に24週もの長きにわたって
一位をキープし続けている。


なるほどMJのTHRILLERの
37週には
さすがに及ばなかったけれど、

このアルバムがどれほど
当時のアメリカの
マーケットにとって、


衝撃的だったのかは
十分に想像がつく
実績であるといっていい。


しかしそれにしても、
THRILLERが
82年末の発表だから

この時の二年余りの期間、
彼らは二人で実質優に一年以上、


アルバム・チャートのトップを
譲らなかった訳である。


なんというか、
ただものすごい。

どちらもやはり
エポック・メイキングの
形容に相応しい
一枚だったのだといえよう。



さて同アルバムの開幕は
あのLet’S Go Crazyの
いかにも大仰なイントロだった。


こちらは明らかに
パイプ・オルガンのそれを
意識して作り込まれた
シンセサイザーの音色が、

いかがわしい荘厳さとでも
呼ぶべきような雰囲気の


オープニングには十分相応しい
高音の和音を
思い切り引っ張って、


プリンスがそこに
それこそ現代の
プリーチャー(説教者)よろしく

日々愛されし者たちよ――

みたいな感じで
早口のラインを
これでもかとばかりに載せてくる。


バッキングはでもすぐに、
ロックのスタイルを装い始め、

ほとんど縦ノリに近い
強烈なダンス・ビートへと
躊躇うことなく突入していく。


この曲を決定しているのは
たぶんそれぞれ二音だけの


二つコードを行き来する、
シンプルなギターのパターンである。

これがその直後の、
やはりギターによる


弾むような独特のラインと
巧妙に組み合わされて、


このLet’S Go Crazyの、
タイトル通りのイカレたノリを
生み出していることは間違いがない。

一方で、アルバムを
締めくくっているのは


タイトル・トラックでもあった
名バラードPurple Rainである。


こちらもまた、
歌のメロディーの美しさに
負けず劣らず強力だったのが、

後半に延々と展開される
ギター・ソロのラインだった。


プリンスの死の直後、
あのデヴィッド・ギルモアが
自身のステージで、


ライティングを
紫に変える演出までして、
この一節を披露したのは、

あるいはニュースなどで、
目にした方も
いらっしゃるかもしれない。



たぶんこういういい方で、
さほど間違っては
いないだろうと思うのだが、


プリンスがこのアルバムで
世に提示して見せたのは、

ロックのギターのスタイルの、
それも主に、
ディストーション・サウンドによる、


新たなファンクの創造だったと
そんな具合に把握して
おおよそは大丈夫なのだと思う。


それまでありそうでいて、
見つけることが難しかった。

同作の存在がおそらくは
インエクセス(♯127)の登場の、
一つの伏線とも
なっていたのだろうかとも思う。


なお映画『パープル・レイン』では、
このPurple Rainは


作中でもやはり
彼のバンドのメンバーである

ウェンディとリサの女性二人が
書き起こしたことになっていて、


プリンス演じるところの
主人公キッズが、


終盤間際のステージで
この曲を取り上げ、

そういう形で
彼自身の一つの成長を示す、


そんなクライマックスの
作り方がされている。


これもまた、
プロットと曲の雰囲気が、

それこそ憎らしいほど
見事なまでに
噛み合っていたりするのである。



まあこんな感じだから、
数え切れない彼のカタログから
代表曲を一つ選ぶとしたら、


順当ならばここまでに触れた
三曲のうちのどれかになる。

それでも今回あえて、
ピック・アップを
このPop Lifeにしたのは


僕のこのプリンスという人への
信頼というか、ある種の信仰を、


いよいよ決定づけたのが
このトラックであり、

傑作PURPLE RAINに続いた
85年のこの一枚だったからである。



このPop Lifeを、つまりはアルバム
AROUND THE WORLD IN A DAYを
最初に耳にした時には、


この人こんなことまでできるんだと
ほとんどあっけにとられるといった
言葉に近い感慨を抱いたものだった。

まあ本当、見事なまでに
ヴァラエティーに富んでいる。


ジャケットとそれから
タイトル・トラックとの印象から、


サイケデリックと
評されることの多い本作だが、

決してそれだけにはとどまらない。

なるほど古きよき
フォーク・ロックみたいな
ノスタルジックなテイストを、


80年代風に甦らせた名曲
Raspberry Beretや、

プリンス・ポップの
お手本みたいなPaisley Parkが
収録されているかと思えば、


ほとんどクラシックの
弦楽曲みたいな旋律を有する
Condition of the Heartが


この二曲の間にしれっと
挟み込まれていたりもする。

後半の二曲の展開も、
すごいというか、
やはり独特の手触りだった。


そしてこのPop Lifeは
今にして思えば、


いずれハウスとかアシッドとか
そういう名前で呼ばれ、

80年代終盤から、
90年代初頭にかけて、


一つのムーヴメントとなっていく
音楽のスタイルを
すでに十分に
先取りしていたといってよい。


いってしまえば、
これが切り取っているのは、

ダンス・ビートに載った
倦怠みたいなものである。


そういえばなるほど
When Doves Cryにも
多少似た手触りが
仕込まれていたのかもしれないが、


この曲の空気はまた
やっぱり独特なのである。

僕の中では今のところ
彼のベスト・トラックはこれである。



おそらくこのプリンスの
ものすごさというのは、


実はどの楽曲も、
非常にシンプルに作られているのに、
それをまったく感じさせない、

この一点にあるのではないかと
近頃なんとなく考えている。


実際三つ以上の
コード進行のパターンが


登場してくるトラックは
たぶん稀ではないかと思う。

基本は単純なモチーフの
徹底した繰り返しで作られている。


それが歌詞や歌い方、
あるいはちょっとした
遊びみたいなアレンジの加工で、


きっちりと開幕から漸次、
クライマックスへと向かっていく、

そういうドラマチックさが、
巧妙に演出されているのである。


しかも数多のトラックが
この点に関しては
基本まるでぶれていない。


そういう意味では本当に
天才の名に相応しいのだろう。

同時にやはりこの人は、
上でも多少紹介した通り、
類い稀な
ロック・ギタリストでもあった。


今しばし、
随時未聴の作品を入手しつつ、


この方と同時代に
生を享けたことの幸運を
噛み締めて行こうと思っている。


なお、聞くところによれば、
彼の死後、全米では
実に700人を超える数の


異母兄弟が
名乗りを上げてきたそうである。


なんだかなあ、という感じである。

いや、書かなくてもいいことを
つい書いてしまった気もするが。



では恒例の締めのトリビア。

今週はなんだか
書きたいネタが二つある。

今回の本文では
あまり触れなかったのだが、


PUPLE RAINの前作
1999よりもさらに以前の時期、
つまりはブレイク前の段階で


このプリンスは
レコード会社かあるいは
プロモーターの側の

どちらの仕掛けだったのかは
よくわからないのだけれど、


まあ上でも触れたように
ロック寄りの音楽性を
次第に明らかにし始めていたので、


ならば純粋なロック・ファンにも
アピールしてみるべきではないかと

まあたぶんそんなような理由で、
一度だけあのストーンズの
オープニング・アクトとして


一緒のステージに
立っていたりもしたりする。


もっとも聴衆の反応は
さすがに散々だったようで、

かなりのブーイングを
浴びせられたりも
してしまったらしい。


その後、楽屋だか
あるいはトイレだかで、


悔しさに泣いている
このプリンスの姿を、

何故だかその時そこにいた
あのボウイがたまたま目にし、


以降彼は、自分のツアーに
前座のアーティストを
起用することを
止めてしまったのだそうである。


もっとも、泣いているプリンスを
ボウイが慰めて、といった感じの

ある種腐った展開になった形跡は
どうやらなかったのではないかと思う。


――なかったよ、絶対。

いや、あっても決して
不思議はないように

見えてしまう二人であることは、
否定しきれない気もするが。


まあでも、さすがにそこまで
ここで作って書いたりはしません。


あ、一応念のためですが、
さすがに僕は
BLは自分では読みません。

それでも、幾つかの
コミックに登場してくる


この手のキャラ絡みのネタは、
結構受けてしまったりします。


パティとか藤吉さんとか、
あるいは波戸ちゃんとか。

いや、厳密には
最後のはちょっとだけ違うのか。


しかしまさか
ナウシカのあの名台詞


腐ってやがる、が、
こんな用法で、
ある種のクリシェになろうとは。

でもだから
ああいう腐女子キャラによる
いわばテンプレの落とし方には、


なんだかつい
苦笑を誘われてしまうことが
しばしばあるのは本当です。



それからもう一つのネタの方。

こちらはある意味
さらにとっておき。


まだあんなふうに
仲がすっかりこじれてしまう前、


あのマイケル・ジャクソンが
一度プリンスの楽屋に
遊びに来たことがあったのだそう。

その時何がどうなったのか、
とにかくこの二人が、


バック・ミュージシャンたちの
見ている目の前で、
なんと卓球を始めたのだそうで。


ということは、プリンスの楽屋には
ひょっとして卓球台が
実は常備されていたのかもしれないと
いうことにもなる訳ですけれど、

まあそれはさておくとして、
とにかく、うわ、あのマイケルと
プリンスが卓球やってるよ、と、
周囲が半ば唖然として刮目する中、


プリンスのスマッシュを
マイケルが、アウッといって
避けたとかそうでないとか。


――いやこれも作ってないから。

本当にちゃんと
ソースのあるネタだから。


でもそんな場面があったなら
心底見てみたかった気がします。