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皆さま、こんにちは!

 

福塩線の客車列車が廃止されたのは昭和36年のこと。

この頃から芸備線や福塩線を管轄する三次機関区には

短編成が組めるディーゼルカーが増備され、

昭和38年になると三次機関区は芸備線管理所に変わりました。

福塩線では同年に停留所タイプの駅が3駅開業。

前回のブログで訪問記をUPした中畑駅

平成元年に廃止された八田原駅、

もうひとつがこちらでしたよ。

福塩線・梶田(かじた)駅です。

この3駅は同仕様の待合所を持つ兄弟駅でした。

 

芦田川が俯瞰できる中畑駅ほどじゃありませんが、

梶田駅も絶景の中にあります。

駅を降りた先には上下川が流れてましたっけ。

 

上下川の上流には

灰塚ダムと人造湖のハイヅカ湖があるそうです。

上下川はたびたび氾濫を繰り返したらしく、

中でも酷かったのは昭和47年7月の豪雨で

浸水被害により22名の方が亡くなられたとか。

その対策として平成18年に竣工したのが

灰塚ダムだそうで。

穏やかな景色楽しめるのも先人の尽力があったからです。

 

そんな上下川のそばにある梶田駅。

入口に案内看板はないので

一見の方はわかりづらいかもしれませんね。

 

まるで民家の軒先のような光景ですが、

駅前広場なのだから衝撃です。

 

梶田駅の1日当たりの乗車客数は

片手ほどの数らしいですけど、

最新のトイレが備わってました。

これもいろんな意味で衝撃的すぎ。

 

巨大な駐輪場が2基もありましたが、

昔は利用者が多かったのでしょうかね?

ちなみに国鉄末期の乗車客数のデータを見ると、

中畑駅、八田原駅、梶田駅が

福塩線の乗車客数ワースト3だったようです。

 

オアシス運動の幕を見ながら

「昭和だなぁ」と思てましたが

この運動、今も続いているみたいですね。

 

階段を伝ってホームに入ります。

 

先にも書きました通り、

梶田駅は単式ホームがあるだけの停留所タイプの駅でした。

 

構内で一番目立っている白い建物は

待合室ではなく、中継信号機の制御機器を収めた

中継器室です。

 

エアコンの室外機を見つけ

涼めると思ったら大間違いですからね。

 

先に福塩線で活躍する気動車が配備されてた

芸備線管理部のことを書きました。

全国で1,000両以上が活躍した

キハ20系一族のトップナンバーであるキハ20 1が

国鉄末期にここに配備され、

福塩線でも姿を見ることが出来たことを

覚えてる方はいらっしゃいますかね?

自分は母方の実家が福塩線沿いにあったので

今でも記憶してましたよ。

 

 

 

 

 

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