皆さま、こんにちは!
今日はステキな木造駅舎が残る駅の訪問記です。
昭和58年に刊行された宮脇俊三先生の著書「山陽・四国670駅」によれば
ここは国鉄時代から通学生で賑わっている駅で、
今もそれは変わらず朝夕は乗車困難になるほど混むんですって。
県立日章館高校を始め、付近に学校が集中してるみたいですよ。
昭和8年に開業したこちらの駅でした。
福塩線・吉舎(きさ)駅です!
「きさ」と聞いて気動車の付随車を思い浮かべた自分。
もちろん駅名はそれとまったく関係はなく、
広島県~島根県に伝わる後鳥羽伝説から由来した地名を
冠したそうですよ。
駅のすぐ目の前を馬洗(ばせん)川が流れているため、
駅はちょいと小高い場所にあります。
訪問日が雨天じゃなければ爽快な空気が楽しめたのかな?
雨男で生まれたことを恨んでやる~
駅舎の建立年を知りたくて建物財産票を調べたところ、
剥がされた跡がありました。
盗難に遭った形跡でなければ良いのですが。
ネットの情報によれば、
駅舎は駅が開業した昭和8年から使われているモノとのこと。
同じ広島県内にある芸備線・小奴可駅(昭和10年開業)等に
似た造りの駅舎なので間違いないでしょう。
利用客が多い駅のためか、駅便(駅の便所)は最新式に変わってました。
吉舎駅は山間にあるため、
駅のホームから風情ある風景が楽しめるらしい。
そんな景色を求め、さっそく構内を眺めてみましたよ。
まずは駅舎の中からです。
吉舎駅は平成20年まで簡易委託駅だったとのこと(現在は無人駅)。
当時使われていた出札窓口が今もそのままの姿で残されてました。
荷物の受け渡し窓口までも残されてたのにはビックリ!
福塩線で貨物輸送が行われていたのは昭和61年まで…
ということは35年以上もこのままで放置?
貴重な代物ですので、イス代わりに座っちゃダメですからね。
待合室はこんな感じです。
ここで列車を待つ女子高生を見たら萌えちゃいそうですが…
日彰館高校は共学校ですので念のために言っておきます。
おっと、ホームの入口にレトロっぽい看板が掲げられてましたよ。
吉舎駅に跨線橋が設けられたのは昭和57年でしたっけ?
「福山」の文字の下に跨線橋が出来る前の
構内踏切があった時代の矢印を消した形跡があるので
それ以前からあったモノであることは確実。
吉舎駅は見どころが多すぎますって。
吉舎駅は列車の行き違いが可能な相対式ホーム2面2線構造。
開業から2年間は終着駅の時代があった駅だそうですよ。
2本のホームは跨線橋で結ばれてます。
それでは、ホームから見ることが出来える風情ある景色ですが…
目の前に風情をぶち壊すモノがあるじゃないの!!
その正体は尾道自動車道。
平成22年~27年にかけて開通した
尾道市-三次市を結ぶ高速道路だそうですよ。
まぁ…山間に高速道路を通したらこうなるのは仕方ありませんわね。
静かな景色の中でゴウゴウ出てた音は
自動車道を通過する車が立ててたモノだったのか。
駅舎の外壁は漆喰で固められてますが一部分だけです。
また古い姿のままの施設も数多く鎮座してました。
吉舎駅のように、利用者数がそこそこにあるのに
古い木造駅舎残る駅は、全国的に見ても貴重な存在だと思います。
風情がぶっ飛んだホームから見える景色の件もありますので、
写真や動画等の記録は、今から出来るだけ多く残したいですね。
補修前の古い外観の吉舎駅の様子はこちらに掲載されてます。
↑(福山駅方面)
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吉舎駅(平成28年6月16日)
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↓(塩町駅方面)
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