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皆さま、こんにちは!

 

高校生がデザインした駅舎があるって話をしたら

信じます?

世の中にはそんな駅も存在するのですよ。

いやはや羨ましい話ですって。

富士山麓電気鉄道富士急行線のこちらでした。

 

富士急行線・上大月(かみおおつき)駅です!

ご覧の駅舎、

古い待合室に代わり令和3年2月に設けられたモノで、

富士山麓電気鉄道(当時は富士急行)と

都留高校が共同で企画したんですって。

 

ちなみに都留高校は上大月駅に隣接し徒歩3分の近さ。

ホームから校舎を見ることが出来ます。

駅舎をデザインした学校ですから

建築学科があるのかと思いきや、

ホームページを見てもそんな学科は見当たらず…

実は文武両道な進学校だっていうんですから驚きです。

駅舎のデザインに関われるなんて、

2年前の生徒さんはスゴイ体験をされましたね。

 

そんな立地にある駅ですので、

「都留高校前」の愛称が付いてました。

 

先に書きました通り、

この通路を経由すると駅から3分で都留高校に着けます。

余談ですが、自分が通っていた高校は

最寄り駅から学校まで徒歩25分。

しかもずっと上り坂でしたっけ…

都留高校の校舎を眺めながら、

苦労しながら高校に通っていた時のことを

思い出してましたわ。

 

話を駅に戻します。

真新しい駅舎を見つつ、

上大月駅は歴史が浅い駅かと思いましたら

富士急行線が開通した昭和4年に開業したとのこと。

長い歴史を持つ駅で驚きましたよ。

 

開業当時から、単式ホームがあるだけの

停留場タイプの駅だった模様。

富士山駅に見えるトンネルの上には

都留高校のグランドが広がってました。

 

国土地理院のサイトに掲載の

昭和23年撮影の航空写真を見たところ、

ほぼ現在と変わらぬ姿の上大月駅が写ってましたが…

赤い矢印の先をご覧ください。

怪しげなカーブが写ってますよね。

富士急行線は明治36年に開通した富士馬車鉄道を

昭和4年に転換した路線ですが、

旧甲州街道であるこの道は

併用軌道だった馬車鉄道の廃線跡ではないでしょうか?

 

だとすると、現在の地図のこの辺りを

馬車鉄道が通っていたワケでして…

都留高校の校舎の一部敷地と大月東小学校の校庭は

富士馬車鉄道の廃線跡ということになります。

 

あくまでも個人的な推測なので

これが馬車鉄道の廃線跡か否かはわかりませんが、

上大月駅から大月駅方面に進むと

その廃線跡らしきカーブに出くわします。

 

実は自分、廃線跡らしきこの道はノーチェックでして…

ズルをして、ストリートビューのスクリーンショットを

上げときますね。

左に見えるのが疑惑の道でした。

 

こちらは富士急行線名物のトーマス駅名標、

上大月駅はエドワードです。

 

それと、どうでもいい話ですが…

 

駅舎(待合室)の中を見たくて扉を開けようとすると、

鍵がかかっている感じで扉が動きませんでした。

 

仕方なく、側窓から中を覗きましたが

中を拝見するために

いつかリベンジ訪問を果たしますね。

馬車鉄道の調べも兼がね。

 

最後に…

駅舎のデザインがめっちゃ気になってましたが

隠し文字とか潜んでたりしません?

これに意味が無かったら、

それはそれでスゴイと思うのは自分だけですかね?

 

 

 

 

 

訪問駅リスト(第三セクター 私鉄線 ほか)
富士山麓電気鉄道富士急行線

大月駅

上大月駅(令和5年4月19日)

田野倉駅

禾生駅

赤坂駅(令和5年4月18日)

都留市駅

谷村町駅

都留文科大学前駅

十日市場駅(令和5年4月18日)

東桂駅

三つ峠駅

寿駅(令和5年4月18日)

葭池温泉前駅(令和5年4月18日)

下吉田駅(令和5年4月18日) 前編後編

月江寺駅(令和5年4月18日)

富士山駅(令和5年4月18日) 前編 ・後編

富士急ハイランド駅(令和5年4月18日)

河口湖駅

 

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