皆さま、おはようございます!
昨日のブログで奥羽本線・大鰐温泉駅の訪問記をUPしましたが、
今回は同じ敷地にあるもうひとつの駅、
弘南鉄道大鰐線・大鰐(おおわに)駅の訪問記でした。
場所は大鰐温泉駅のすぐ脇、
「ピンクのワニ」の像の後ろに駅舎があります。
同じ場所にある駅でも、奥羽本線は「大鰐温泉駅」、
弘南鉄道は「大鰐駅」と駅名が違ってますので、ご注意くだされ。
大鰐駅は弘南鉄道(大鰐線)の前身である弘前電気鉄道の手により
昭和27年に開設された駅。
昭和45年に弘南鉄道に譲渡され「弘南大鰐駅」に改称されたのち、
昭和61年に再び「大鰐駅」に改称されたそうです。
JR(国鉄)駅側も平成3年までは「大鰐駅」だったワケですから、
一時期、同じ場所に2つの「大鰐駅」があったことになりますね。
大鰐温泉駅の隣りにある「南口駅舎」は現在は無人状態ですので、
弘南電車に乗車の際はここを抜け、
一旦「北口駅舎」に周って切符を購入する必要があります。
「南口駅舎」を抜けるとJR大鰐温泉駅の1番線ホームに出ましたよ。
入場券を買わずにJR駅のホームに入ったことに
少々の罪悪感を感じますけど、これがここでのルールです。
跨線橋を渡って「北口駅舎」に周り、切符をゲットしてくださいね。
こちらが切符を購入できる「南口」です。
階下はベージュとマルーンのツートーン。
一昔前の弘南電車のカラーっぽく、
「わかる人にはわかる」萌えなポイントでした。
ここが事務所然としていて駅舎っぽく見えないのは、
「北口」は昭和56年に新設された出入口で、
それ以前は単なる事務所だかららしく。
どことなく、建物の色が昔の日通カラーに見えるのですけど、
国鉄時代は国鉄~弘南鉄道を連絡する貨物列車(昭和45年廃止)が
運行されてましたので、その当時事務所だったのではないでしょうか?
駅らしくない雰囲気はホームに通ずる通路にも現れてます。
ここは昔は、停車中の電車に乗務員が乗り込むための通路だったのかな?
目の前に電車が留まっており、
まるで車庫見学を楽しんでるような気分になれちゃう通路でしたよ。
細い通路を伝うと北口の切符売場が見えてきました。
中はご覧の通りです。
弘南鉄道大鰐線で窓口営業をしている駅は
ここと弘南弘前駅だけでしたっけ?
フリーきっぷ等、窓口でしか購入できない切符を求めるときは、
営業時間外があるみたいですので注意が必要そうです。
そして大鰐駅の島式ホーム。
奥羽本線・大鰐温泉駅の1~3番線ホームに続き、
弘南鉄道のホームには4・5番線が付番されてましたよ。
木製支柱のホーム上屋だったり行燈式の看板があったりして、
構内を見るとものすごく古そうに見えるのですけど、
弘南鉄道大鰐線は昭和27年に開通した路線。
ここもその当時に造られたモノですので念のために言っておきますね。
弘南鉄道大鰐線では昭和45年に貨物列車が廃止されて
JR~大鰐線を直通する定期列車は消滅してしまいましたが、
線路は今でも繋がっている模様。
JRと弘南鉄道のホームの間が広く空いてますが、
かつてここに貨物列車を留置させるための側線があった名残りです。
大鰐駅の駅名標を見る。
JRと弘南鉄道のホームは長い跨線橋で結ばれてましたが、
ここで面白いモノを見つけましたぜ☆
JR側の跨線橋に付いてるこの看板、
よく見たら「新石川駅」→「石川駅」に改めた跡と
「西弘前」を消した跡が残ってたのですよ。
「西弘前駅」→「弘前学院大前駅」が改称された平成20年はともかく、
「新石川駅」が「石川駅」に改められたのは昭和61年のことです。
この看板はそれ以前から使われていたってことで。
古い駅名が今でも残ってる痕跡を見つけると
嬉しくなっちゃいますが…それって自分だけかな?
余談ですが、大鰐温泉駅の跨線橋の支柱に
1889年バーロウ・スチール社(英)製の輸入レールが使われてました。
跨線橋は弘南鉄道大鰐線が開通した時に設けられたモノと思いますが、
このレール、どこから持ってきたモノなのでしょうか?
大鰐温泉駅が開業したのは明治28年(1895年)ですから、
他所から持ってきたモノと思うのですけど。
最後はホームに停車中の弘南鉄道7000系電車の画像で〆ます。
とても戦後に誕生した駅に見えないところが大鰐駅の魅力です。
こんな言い方をしたら弘南鉄道の社員さんに怒られちゃいそうですけどね。
個人的に、大鰐線内ではイチ推しな大鰐駅の訪問記でした。
大鰐駅(平成28年8月11日)
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