皆さま、こんにちは!
石巻線・渡波(わたのは)駅です!
3年前に写真を撮ってたのに、すっかり忘れてましたわ。
渡波駅が開業したのは昭和14年10月のこと。
開業前は軽便鉄道の金華山軌道が石巻湊-女川間を結んでましたが、
この軽便線の用地を国鉄が買収、転用して昭和14年に石巻線が開通、
翌年の昭和15年に金華山軌道は廃止になってしまいました。
ちなみに、金華山軌道の渡波駅はずっと海側にありまして、
現在の渡波駅に近い位置には、大宮町駅が存在していたようです。
上はグーグルマップから転載した航空写真ですが、
緑線が石巻線で赤線が金華山軌道が走っていたところです
金華山軌道はここから海側を通って湊地区まで延びていたらしい。
赤の四角い部分が大宮町駅があった場所らしいですぜ。
大宮町駅跡地周辺の現在の様子をストリートビューで見てみると…
神社の脇を金華山軌道が伸びていたはずなのですが、
鉄道用地らしきものはすべて消え失せて
住宅地に転用されてしまってたようですね。
渡波駅は列車の行き違いが可能な相対式ホーム2面2線構造でした。
かつては相対式&島式ホームによる複合2面3線構造でしたが、
昭和58年の貨物取り扱いの廃止とともに3番線ホームの使用が休止、
同時に側線も撤去されたみたいですね。
ちなみに国鉄時代の石巻線は貨物輸送の盛んな路線でして、
昭和55年に廃止になった女川港駅とともに
渡波駅も貨物輸送の拠点として栄えていたのですよ。
こちらは昭和50年に撮影された航空写真ですが、
まず目に付くのが渡波駅の北東方向にある専用線です。
これは住友セメント仙台工場まで延びていた専用線で、
石巻線を行くセメント列車はここから発着してたのでした。
渡波駅に到着した貨物列車は、
通常はそのまま機関車で専用線まで牽引されてましたが、
両数が少ない時には手押しの作業も行われていたとか。
作業風景、ぜひ見たかったっす。
女川港貨物線の廃止後は、1日に1本だけ
渡波駅と石巻港駅を結ぶセメント列車が設定されていたようですが
こちらも昭和58年に廃止、貨物列車は全廃になったようです。
右奥に見える白い建物がある場所がそれで、
現在は葬祭会館に変わっておりました。
そしてもう一つ。
航空写真には渡波駅の南側に
長い屋根がある荷役ホームが見えるのです。
これが渡波地区の生活を支え続けてきた貨物ホームなのですよ。
このホームの様子は、昭和58年11月に刊行された
「国鉄全線各駅停車②東北530駅」にも
荷役ホームは完全に撤去されてしまいましたけど、
フェンスの手間側にうっすらと盛り上がっている部分がホーム跡です。
先の震災で、渡波駅が終点となってしまった石巻線ですけど、
来年の春には浦宿駅まで復活するとか。
鮮魚列車で賑わっていた頃のように
↑(小牛田駅方面)
涌谷駅(平成24年10月1日) ・新駅舎(平成25年5月10日)
渡波駅(平成21年10月10日)
女川駅(平成21年10月10日) ・新駅(平成27年3月31日)
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