好きな人を忘れられないのって辛いよね。会いたくて会いたくて、声を聞きたくて、でもできなくて。昔の思い出を思い出すたびに悲しさとせつなさで身体がくずれそうになる。

 

そんな気持ちに耐えられなくて、その人のことを忘れようと自分のこころの殻を厚くしがち。でも、こころの殻を厚くするということは、他の感情も押さえ込むことになってしまうから、悲しい気持ちだけじゃなくて、【楽しさ】や、【嬉しさ】といった気持ちも表に出てこなくなってしまう。なんだか、自分が自分でなくなって、上から自分を客観的に見つめている、そんな感じ。そのうちに【こころの中の感情】が行き場を失ってこころを傷つける。体に変調をきたすようになるのはこんなとき。

 

どんなことをしても本当に好きな人のことは忘れられないよね。忘れようとしても辛い。忘れた気になってもこころの中は悲鳴を上げている。だったら忘れないでいたらどうですか。

 

忘れないで悲しい想いと向き合うことは、すごく勇気がいるし、本当に崩れそうになる。でも実は辛いのは、【好きでいること】ではなくて、【見返りがこないこと】。ここでいう【見返り】とは、自分が好きな気持ちがあれば、相手はその気持ちに応えてくれて、またそばにいてくれるという期待感。一度離れてしまったときは、見返りがなかなかこないかもしれないよね。でも、好きな気持ち、いっしょにいた頃の思い出はすごく素敵なはず。その素敵なものはそのままとっておいたらどうですか。それは、自分が生きてきた中で誰かが与えてくれた【ご褒美】。

 

忘れようとして無理に誰かを好きになることもないよ。その素敵な思い出を持っていたままでもいつか大事な人がでてくる時は出てくる。それはその思い出の人かもしれないし、別の人かもしれない。そのときは、また【素敵なこと】が自分のこころの中に増えてくるから。

こころに殻を作って、引きこもっていたいときがある。というか、身動きが取れなくて、殻の外に出るのが怖いときがある。たまにちょっと外に出てみても、またすっと中に入ってしまったり。外に出るときはすごいパワーがいるけど、戻るときは結構楽。そう、ゴムを伸ばすときには力がいるけど、手を離せばすぐに元に戻ってしまう、そんな感じ。

ゴムを引っ張るときに、いっしょに手伝ってくれる人が身近にいたりします。一人で引っ張るよりはパワーがいらない。でも、ここで二つに分かれる。外から、ゴムを引っ張り出す人と、中に入り込んで、横にいながらいっしょにゴムを押すように引っ張る人。何か似ているようだけど、ちょっと違う。

本当に外に出ることが怖いときは、いくら引っ張られても、元に戻ろうとする力が働いて、引っ張る人が気を緩めるとすぐに元に戻ってしまう。そんなときは、まずはこころの中に入り込んでくれて、そばにいることを感じさせてくれると、なんだか気持ちが落ち着いてくる。そして、手を携えて、いっしょに前に進もうとしてくれると、一人じゃない安心感が出てきたりする。手を引くというよりは、背中を押してくれる感じ。立ち止まっても付き合ってくれて、戻ろうとしたら壁になってくれて。それを考えると、結構違うかもね。

僕が考えるカウンセリングはこんな感じだと最近思います。

著者: 市川 拓司
タイトル: 弘海 -息子が海に還る朝

市川拓司の新作です。今回はより【家族愛】が前面に出ている物語。彼の書く男性は大人も子供もなんだか頼りないんだけど、正直で、素直で、まっすぐな生き方をしていて、それがこの人の小説の【ほのぼの感】につながっているんだなと、なんとなく分かってきました。

物語は、小学校6年生の弘海(ひろみ)という少年を中心に書かれている。ストーリーは結構シンプルなので、書くことはできないのだけれど、この人の小説にありがちな【ちょっと現実離れしたシチュエーションだけれど、そんなに違和感のない話】です。

子供を持つ親が読んだら泣いちゃうかもね。

昨日、ある人と話をしていたときに聞いた言葉。その人は25歳の女性。自分には夢がある。それはいつか自分で会社を作って経営者になること。でも、そんなことを言うと、よく返される言葉は、「考え方が甘い」「夢は所詮夢で現実とは違う」「世の中ってのはもっと厳しいものだ」「今にそれがわかるさ」といったこと。自分には何でそんなことを言われるのかも、何でその人がそう思うのかが理解できない、そんな話でした。

ふと思ったのは、このケースに限らず、自分の夢や、好きなことに対して誰かがそういうことって意外とあるかなということ。何か、世間一般の考えと違うときに特に「それが間違っている」かのように見られてしまう。そして、それを気にして自分を責めてしまう人もいる。

いいじゃないですか。自分の夢は自分の夢。自分がしたくて、好きだというだけで十分。そして、夢がかなうかどうかなんて、自分でも分からないのに他人がわかるわけがない。でも、夢をかなえようという想いは思わぬパワーを持つことができるし、それが結局は実現に近くなる。それでいいんだと思います。今の常識が将来の非常識になることなんてよくあること。発明家だって画家だって、当時は変人扱いされていた人はたくさんいるしね。

ある上場会社の社長がこんなことを言っていました。
「人間はやろうと思ったことは大概のことは実現できる。」
僕にとってもすごくこころに残っていて、支えになっている言葉です。
よく、「好きな人への想いを断ち切るには、忙しくしてるのが一番」と言われます。なるほど、確かに忙しいときは自分のこころも余裕がなくてそんなことを考えている時間が減っていく。でも、そんな忙しい状態がずっと続いていると、いつの間にか、前以上にその想いが強くなることってありませんか?

本当に大事な人に対する想いはこころの中から決して消えることはないということは何度か日記に書いてきました。実は消えないだけではなくて、放って置くとこころの中でいっぱいにその想いが膨らんでしまうほど、パワーのあるものなのでしょう。忙しくしているときは、やらなきゃいけない【あせり】や【意志】がその想いをこころの隅に追いやろうとする。でも追いやられるほど、それに反発してこころの中で大きくなろうとする。力を入れて縮めた【バネ】が飛び出るかのように。忘れようとして無理に忙しくしてたりしていて、その状態が続いているとその想いが膨らむことが多くなってくる。それはそう、だって元々無理をしてるんだから。

それがすでに【手に入らない想い】だとすると辛いよね。でも、忘れようとしても忘れられないのなら、忘れようとしても仕方がない。その【想い】を抱きながら、自分のこころの中で大事にしながら生きていこうと決心したとき、かえってこころが軽くなるかもしれませんよ。
昨日、マイミクにも登録してくれている「ゴローさん」とご飯を食べました。ゴローさんは人材派遣会社に勤めていて、僕が最初に転職活動をしたときからすごくお世話になっている人です。転職先で上司と合わなくて、ノイローゼになりかけていたときに助け舟を出してくれた、いわば「命の恩人」。もう5年ぐらいの付き合いになります。

そんなゴローさんが、ある会社で「女性を対象とした、転職支援」をする事業を立ち上げたそうです。女性の働く機会を企業に働きかけていったり、派遣社員から正社員になるためのアドバイスをしたり。あくまでも【女性の側】に立って、女性がもっともっと今の社会で働きやすくなるように、コーチングやカウンセリングをしながらサポートをしていくんだそうです。【女性に限定した】この仕事、ありそうでなかったように思います。

僕も仕事に関するカウンセリングを時々していますが、僕の限界は出口(転職先)を提供できないところ。ゴローさんがそういう仕事を始めてくれて、お互いがお互いを補完できるよねえ、とことのほか盛り上がった一夜でした。

よかったらHPを見てみてください。僕からもいつでも紹介しますよ。人当たりのいい、「すごく相談をしやすい」タイプの人ですよ。
『女性が仕事と生活を両立させる法則!』
http://blog.working-woman-puddling.jp/
【自分はこうしなきゃいけない】【自分はこうでなくてはいけない】というものがあって、それに向かって進んでいく。そこから離れてしまったときは、頑張って、その【あるべき姿】に戻ろうとする。目標に向かって進むのは全然悪いことではない。それが生きるパワーになったりする。でもふと考えることは、『それって本当に自分にとっての【あるべき姿】?』ということ。

一番比較しやすいのは、【世間一般の常識】。そして、基準となっていがちなのは【両親からの影響】。【世間からみたらおかしいこと】をしてはいけないという思いが、【ちゃんとしなくてはいけない】という気持ちになり、そこからちょっとはずれただけでも、【自分はだめな人間だ】という、自己嫌悪に陥ったりしてしまう。それが続いていくと、頑張りすぎちゃってこころが疲れてしまう。

でも、【世間一般の常識】って何だろう?10年前の常識と今の常識って変わってたりする。【協調性】が人として大事だといわれていた時代が、いつのまにか【個性】が大事だと言われる時代になっているように。それは、一人一人のこころの中にある【大事なこと】に対する気持ちもそう。やっぱり少しずつ変わっていく。あるいは、そもそもは違うものを【大事】だと感じていたのにそれにふたをして、【世間一般の常識】にあわせているときもある。こころが疲れるときは、そのギャップに自分はなんとなく気づいていながら、今の自分を【だめだ】と感じてしまって、元に戻ろうと頑張るとき。でも、やっぱりなかなか戻れないよね。

もし世界がリセットされたとすると、あなたはどんなことをして、どんなことを大事だと感じていますか?それがもし、今の【あるべき姿】とギャップがあるのなら、今のあなたはちょっと無理をしてるかもしれませんよ。いつでも【あるべき姿】は変えてもいいの。そしてそれは、あなただけのものでいいんだと思いますよ。
本屋は僕にとってすごく危険です。行くと必ず数冊、本をまとめ買いしてしまうからです。でも、実は本は昔は嫌いでした。なんだか読んでいると眠くなる。一冊全て読むことのほうが少なくて、「自分は読書が嫌いなんだな」とずっと思っていました。

この一年ほど、心理学関係の本や、「今、会いにゆきます」系の恋愛小説を読むようになって、実は決して本が嫌いなわけではないことがわかった。本が嫌いなのではなくて、読んでいたジャンルが向かなかったのですね。そう、ビジネス関係の本とか、経済関係の本とか、ちょっと【固い】本を【教養のため】に読んでいたんですね。あぶないあぶない。自分の嗜好を誤解するところでした。

最近はちょっと読む時間がなかなかなくて、部屋には本がたまってきました。「俺を読んでくれー!」という叫びが聞こえるようで後ろめたい。とはいいつつ、今日も買ってしまいました。

・『きみに読む物語』
・『自閉症裁判』
・『企業買収』

久しぶりにちょっと固めの本も買ってしまいました。いつ読めるのやら・・。
3月に入ったというのに、まだまだ朝は寒いですね。この季節は、春と冬が同居して交互に顔を出してくる時期。そして、いろんなものがいろんな変化をする月。眠ったものが起きだしてくる月でもあります。

あなたにとっては何が起きだしてくるのでしょうか。ちょっと意識的に、自分の中で眠っている【何か】を引っ張り出してくるのにはちょうどいいかもしれませんよ。
本来、【ぬくもり】が嫌いな人はいません。ここでいう【ぬくもり】とは、体だけではありません。守ってくれるという安心感、そこからでる勇気、こうした【こころのぬくもり】も含まれています。皆何かの【ぬくもり】を求めて人と付き合い、距離を縮めていきます。

そもそも、この【ぬくもり】を与えてくれる人は、お母さんであり、お父さん。子供のころに抱きしめてくれた【からだのぬくもり】だけでなくて、いつでも無条件に自分を受け入れてくれるという安心感は、【こころのぬくもり】につながっています。大人になったときには、その【ぬくもり】を恋人や夫(妻)、子供に求め、自分の居所を確保していきます。

大人になってこうした【ぬくもり】を求める度合いは、すごく個人差があるように感じます。特に、【こころのぬくもり】を求めることが多くなるように思います。SEXというのは、一見【からだのぬくもり】のようですが、実はそれを通して、【こころ】を通わせようとする。お母さんが子供を抱き、子供が安心して腕の中で寝るように、からだのふれあいが一番こころを通わせることができるからね。

冒頭に「本来」と書いたのには、【ぬくもり】が嫌いという人がいるからです。実は嫌いなのではなくて、【ぬくもり】に慣れていなくて、【ぬくもり】を感じるとかえって不安になり、戸惑う。【からだのぬくもり】によって自分の【こころの殻】がすごく薄くなるから、なんだか怖くなる。相手との距離がすごく近くなったような気がするのに、その直後にすごく遠くなる、そう感じる相手は、そんな人かもしれません。あなたにとってみれば、すごく悪いことをしたような気になったりする。

相手がそんなとき、時間はかかるかもしれません。すごく距離をもたれてしまうかもしれません。でも、あなたと交わした【からだとこころのぬくもり】は、相手のこころの中には必ず入っています。特に、【こころ】の部分が大きいほど、それは相手のこころからは消えない。本当に大事な人である場合は、見守りましょう。それが、【無条件で相手を受け入れること】。相手がそれを分かり、あなたのことが本当に大切な人であると気づくときはきっときます。