頑張ることって確かに大切。その強い意志が思わぬ力を生み出すことがあるからね。

でも、頑張りすぎちゃって疲れちゃうときってある。いつのまにかハードルがすごく高くなっていて、自分にプレッシャーをかけすぎて、乗り越えられないときにすごい自己嫌悪。乗り越えたら何かが待っているはずなのに、乗り越えること自体が苦痛になってきて、やめてしまいたい気持ちもあるけど自分ではそれが許せないからもっと頑張らなきゃって思う。【進まない、戻れない】、そんな感じになることってないですか?


できたことって嬉しさをすぐに忘れちゃったり、慣れちゃったりするけど、できないことって悔しさ、やるせなさがずっと残ったりする。ついできないことに対するネガティブな感情がこころの中を占めちゃうよね。でも本当はできてることもいっぱいあるはず。だって、すでに十分に頑張っているのだから。


【頑張るな】と言うことは簡単だけど、自分も【頑張りすぎて疲れちゃった】というのがあるのだろうけど、【頑張りたい】という気持ちがこころの中にあるのも確か。だったら、できてる自分を時々褒めてあげよう。どんなささいなことでもいいんだよ。1日の中で【できたこと】【できないこと】、振り返ってみたら、一つは必ずある。それを見つけたら、思いっきり自分を褒めたら、そのときは嬉しい気分になるはず。それが【少しずつ、ゆっくりと】前に進むってことだから。

浅倉 卓弥
四日間の奇蹟
映画化されているのでご存知の方もいらっしゃると思います。私は本だけ読みました。

ピアニストとして将来を嘱望されていたが、事件に巻き込まれて指を失ってしまった如月敬輔、その事件がきっかけで面倒を見ることになった千織、偶然出会った後輩の真理子、この三人が中心となった物語。

千織は言葉がうまく話せないが、曲を一度聴いたらすべて覚えてしまってピアノで表現できる少女。如月と千織は慰問でコンサートをするために全国行脚をしている。その一つで行ったところに真理子が手伝っていた、そんなあらすじです。

人の裏側に潜む感情を表現しているなあというのが読んだ印象。例えば、ピアニストが指を失ったときのショックや、千織を見守りながらもピアノを弾くことに対する嫉妬や憎悪といった、誰しもが持っていながら表にはでてこない感情をうまく表現している。そして、真理子の感情も(これはここでは話せません。。)

クライマックスにかけてのもりあがりもあって、すーっと引き込まれるよう。

いい本だと思います。是非。

最近は関西行ったり岐阜・名古屋に行ったり、いろんなところに出没しています。

昔は新幹線に乗ってどこかに行くのがすごく楽しみだったけど、最近はさすがに飽きてきました。とはいっても飛行機よりもやっぱり新幹線派。時間は飛行機の方が短いけれど、身動きができないプレッシャーを感じてしまうのです。はい、子供のころからひととこにじっとしているのが苦手でした。


というわけで、何かあればすぐにでも参上しますので、お気軽にお声をおかけください。

あまりにもショックなことが起きたとき、こころの殻がすごく厚くなることがある。そこから湧き上がる感情を内に閉じ込めてしまうかのように。だから、本当はすごく悲しいはずなのに表には出てこない。腹が立つはずなのにすごく冷静でいられる。それはある意味、感情が表に出てしまったときに自分が崩れ落ちてしまわないように、必死でこころが殻を厚くして自分を守ろうとしているのでしょう。


でも、それは表に出ていないだけでこころの中ではすでにぼろぼろになっているはず。感情のやり場がなくなっていて、中で暴れまわるしかないものね。殻を急に厚くすることは結構なパワーを必要とするから、ちょっとしたときにこれまで内に閉じ込めていた感情が外に出ちゃう。そのときが大変。放出したダムのように今まで我慢していた感情がとめどなく湧き出てくる。結局は崩れ落ちちゃうこともある。

おそらく、殻を厚くすることはないのだと思います。ショックなことが起きたときにそのままの感情を表に出したほうが、傷は浅いのかもしれません。そのときは「崩れ落ちちゃう」ことの怖さがあるからなかなか出来ないし、無意識にこころが殻を厚くすることもある。でも、感情が表に出なかったとしても、ショックだった気持ちは分かるよね。

早く感情を表に出したとしても崩れ落ちちゃうかもしれません。でも、あなたのそばに大事な人がいたなら、その感情を受け止めて、支えてくれるはず。横で付き合ってくれるはず。それなら、早く出しちゃおう。

変わるまでは一生のよう 変わるときは一瞬のよう。

何の前触れもないように自分は感じるかもしれないけど、実はゆっくりと、少しずつ前に向かって進んでいたりする。自分では少しずつすぎて分からないだけ。でも、周りはそんなちょっとした変化に意外と気づきます。


こころの中は傷だらけになっているのに、こころの殻はどんどん厚くなって、風通しも悪くなっているときは出口があるなんて思えない。真っ暗で何も見えないから動くこともできない。そんなときは一生こんなことが続いてしまいそうな気がするよね。周りが励ましてくれても、姿が見えないんだもの。「こっちこっち」って言われても分からない。


大事な人と出会ったりすると、こころの殻に穴が開いたり殻が薄くなったりして、ちょっとだけ明るくなる。外の光が射しているのが分かる。そんな頃からこころの傷が乾いてきて治ってくるものもあるよね。でもそれと外にでるのはまた別で、長い間殻の中にいたから外に出るのが怖くなる。でも大事な人がいつしか自分の横にいてくれると、少しずつ動けるようになる。ちょこっと外を覗いてみたり、また引っ込んだり。元気になったと思ったらまた沈んでっていうのはそんなとき。そのギャップがすごいときって、勢いで外に飛び出てしまって、そこから引っ込んだりするときかも。


大切なのはそれを繰り返していくうちにいつしか慣れてくること。外にでる時間が徐々に長くなっていく。それは大概は自分では気づかない。それって実はすごいこと。きっとちょっと前までは考えられなかったことをしてるんだよ。


そして気づいたときには何かが変わってる。それが「変わるのは一瞬」と思うんじゃないかな。きっとそんなときはすぐそばに大事な人がいる。それは恋人だったり、両親だったり、そして、カウンセラーだったり。でもその人はそばにいてくれていたけど、自分の力でそこまで進んだんだよ。それってすごい。

私には「勝負ネクタイ」というのがあります(笑)。大事なとき、何かを決めたいときにするネクタイ。それをすると、何故か話がうまくいく。そんなことが続くと、逆にそれをし忘れたときは妙に不安な気持ちになったり。野球選手でヒットを打てている間はバットを変えないとか、そんな話、聞いたことありませんか?いわゆる、「げんを担ぐ」ということ。


人が【自信】を持つときって、ちょっとした何かがきっかけになることが多い。何かがうまくいった、それが続いた、試験に通った、思わぬところで人に褒められた、等々。それはきっとなんでもいいんだろうけど、形で見えると自分でも分かりやすい。スポーツ選手はよくイメージトレーニングをするっていいますよね。成功している自分を頭の中に思い描く。ネクタイとかバットとかの形あるものは特に、それを見たときに、うまくいっている自分を思い出しやすい。ちょっとしたイメージトレーニング。


それって単なる【気分】とか【思い込み】なんじゃないのって思うかもしれません。実際に「勝負ネクタイ」をしていっても今ひとつな時ってありますし。でも、「これは勝負ネクタイだ!」と思っていると、何かが背中を押してくれているようないい気分になる。そんな気持ちで望むとき、自分のこころの中で【自信】が大きくなって、結果としていい形になるのかもしれませんね。そうそう、「幸福の白髪眉毛」ってのもありました。一本だけ急に生えてくるんです。そんなときは運が向いてきた、そんなことを勝手に考えています。よく考えたら、実際にはそれがそのとおりになるかどうかというよりも、そう考えるとなんだか楽しい気分になる、そんなきっかけ作りなのかな。


あなたにとっての「げん担ぎ」、何ですか?

カウンセリングを日常的に利用できるようになるにはどうするのがいいのかなあと最近よく考えます。そもそも、【カウンセリング】という言葉自体に抵抗感があるのかもと思ったり。皆さんは【カウンセリング】という言葉に何を連想しますか?


カウンセリングって、そもそも【こころのストレスを抱えている人がカウンセラーといっしょになりながら元気を取り戻すための場】だと私は思っています。一人で元気を奮い立たせるのってかなりの勇気とパワーがいるから、カウンセラーといっしょに元気を引き出していく。【いっしょに】というのがポイント。カウンセラーは手を引っ張るんじゃなくて、あなたの横や後ろにいながら、同じ歩幅でいっしょに前に進んでいく。立ち止まるときはカウンセラーも立ち止まる。歩幅が早くなって、あなたが元気になったときは、きっとカウンセラーの存在に気づかないぐらいに前に進んでいて、カウンセラーが後ろから見守っている、そんな感じ。


なんだかカウンセリングって「もうやばいっ!って時に行くもの」っていうイメージがありそう。いや、「やばいっ!って時にも行かない」かもしれない。

自分としては、「やばいっ!って思う時じゃなくて、やばいかも?っていうときぐらいでも話にくる」っていうのが理想。コップの水は溢れるまで増えてることに気づかなかったりするからね。そうすると、【カウンセリング】って言葉を使わないほうがいいのかなあと思うこともあります。


どうしたら「行こうかな」と思いますか?是非是非皆さんの声を聞かせてください。

『こころの痛みを体の痛みにすりかえることができたらどんなにいいだろう』って思うことはありますか?体の痛みは、そのときは痛いけど、治療をすることができて、時がたてば痛みがなくなることが多い。でも、こころの痛みはなかなか治らない。だからすりかえることができれば、こころの痛みが和らぐだろう。そんなことを考えることはありますか?


確かにそうだね。こころの痛みは人にもうまく表現できないよね。「ここが痛い」とか「ここが苦しい」とかって言えないし、言ってもなかなか分かってもらえない。自分でも根本的にすりかえることができないのはわかっているんだよね。でもあまりに苦しくて自分を傷つけちゃう。わかっていても「もしかしたら」っていう想いと共に。


【体の痛み】に紛れて【こころの痛み】が一時的に癒されるということもある。でも、その後にもっと【こころの痛み】が強くなったりする。だから、【こころの痛み】自体を治していかないとね。


どうやって?まずは【こころの痛み】【こころの苦しみ】をどこかで吐き出そう。自分を受け止めてくれる人が一番いいけれど、それができなかったら、ここでもいい。誰かが答えてくれるかもしれない。この前、リストカットをする寸前で我に返ってお母さんに助けを求めたという友人の話を聞いて、「すごいね」と私は言いました。自分でそれを止めることができたのはすごいこと。吐き出せたんだよね。


吐き出すところがないという人は、私のところに吐き出してください。それで少しでもこころが軽くなって、【こころの痛み】を自分で受け止めることができるのなら。

あなたにしかできないことって一つは必ずあります。どんなちっぽけなことでも、一つは一つ。大きいからすごいことではありません。たとえ一人の人間に対してしかできないことでも、その人にとってはあなたはかけがえのない存在。一つでいいんだよ。一人に対してでいいんだよ。誰か一人でもあなたのことを大事に思ってくれたら、それだけでも嬉しいよね。


【自信】ってそんなもの。一人が二人になり、二人が三人になり、そんな人が増えてきて「自信が増す」っていうことはあるけど、そもそもは一人でも十分じゃないかな。


さあ、【自信】をもって生きていこ。

生きたいと思っていても生きられない人がいる。いつ死んでもおかしくないと思っていても行き続ける人がいる。

特に生に関しては人の想いは必ずしもそのとおりにならないことがあるけれど、「生きよう」という強い想いがことのほか命をこの世に残してくれる場合があるということを私は信じています。


生きようという想いは「まだやり残したことがある」ということから来ることもあれば、「もっといいことがあるはず」ということから来ることもある。そして、「この人ともっといっしょにいたい」ということから来ることも。どれが一番強い想いかとかじゃなくて、そう想わせることが何かあれば、「生きたい」という強い想いがこころの中に生まれてくる。こころの中は不安や、衝動に満ちているかもしれないけど、その想いはちっちゃくても実はすごいパワーを持っていて、時にこころの中を飛び出して苦しみを和らげてくれることもある。想えば想うほど、それはどんどん大きくなって、生きるパワーを呼び起こしてくれる、そんなことを私は考えます。


人には必ず一つは「生きたい」と思う理由がある。やりきれない不安、絶望がこころの中を占めてしまって、自分で気づかなくなっているだけ。それを探してみましょう。そして、見つかったらそれを何度も確認しましょう。口ずさんでみましょう。そうすることで「生きたい」という想いに一筋の光が差し込んでくる。それで命がこの世にとどまってくれることがある。自分ではなかなか見つからないという人、いっしょに探しましょう。それがカウンセラーの役目です。