3年前のこと。

私たち夫婦は同じ家にいながら、まるで“赤の他人”のような生活をしていました。

 

 

食事は別、会話はゼロ。

話しかけても無視され、近づけば手で追い払われる。

視線を合わせることも拒まれ、夫はまるで私の存在を「なかったこと」にするかのようでした。

 

 

自室には鍵をかけてこもり、リビングには一切入ってこない。

どこで何をしているのか、誰といるのか、まったくわからない。

LINEをしても未読スルー。

「既読」になるだけで、なぜかホッとしていたあの頃。

 

 

私は、夫のために食事を用意し続けていました。

でも、その食事には一切手をつけられず、次第に私は「透明な存在」になったような感覚になっていきました

 

不倫を疑い始めたのも、その頃。

パチンコに行っているんだと、自分に言い聞かせても、

甘い香りのシャンプーの匂いや、2足分の靴下・タオル・パンツを見るたびに、心が締めつけられて。

 

「どこでお風呂に入ってきたんだろう」

そう思うたび、パンツを洗濯機に入れる手が震えたこと、今も忘れられません。

 

 

夜0時近くになっても帰ってこない日々。

ただ「泊」とだけLINEがくる。

それでも、「連絡くれてありがとう。心配させないようにしてくれて…」と返信していた私。

 

 

エレベーターの音がするたび、息が止まる。

期待して、落ち込んで、ビクビクして…

家に帰るのが苦痛で、心も体もすり減っていました。

 

 

娘は当時6年生。

家族の空気の重さに、彼女がどれだけ影響を受けているかと思うと、毎晩泣いていました。

誰にも相談できず、心は真っ暗。

 

本気で「もう消えたい」と思った夜もあります。

娘がいなければ、どうなっていたか…正直わかりません。

 

 

それでも何とかしようと、ポジティブ思考のコーチングも受けました。

でも、どれも「思考でこねてるだけ」。

私の深い悲しみや、怒りや、絶望には、どれも届かなくて。

 

 

そんな中でも、娘のことでお願いしたときだけ、

夫から一言だけ返事が返ってきました。

それだけでも、希望のかけらのように思えたこと、今でも忘れません。

雨の日の朝は、せかせかした日常の音が少し遠のいて、自分の声が聞こえやすくなる時間でもあるなと感じてますニコニコ


今日の意図は


深呼吸するたび、私の内側が少しずつやわらかくなるのを感じてみる。


今日もよい1日となりますように

「息を吐く」という、小さな選択が私を救ってくれた夜

 

 

昨日の夜、洗濯かごの中に見覚えのある服が入っていた。

夫が仕事に着ていったはずの洋服と靴下だった。


 

「ん?」と思った瞬間、全身にざわざわとした違和感が走る。

 

昨日、夫は「高校以来の同級生と会う」と言って出かけた。

けれど、その洋服を見たとき、ふと疑いが湧いた。

 


「本当に同級生と? それって、もしかして……?」

 

一瞬で、過去の不信感や不安が身体の奥から蘇ってきた。

 

 

洋服をわざわざ着替えるほど、楽しみにしていた相手だったの?

 

そう思ったとき、胸の奥がチクリと痛んだ。

 

負けたくない。

 

私だって、見てほしい。選ばれたい。

 

 

気づいたら、心臓がバクバクして、頭にカーッと血がのぼって、

まるでトンカチで殴られたような衝撃がきた。

 

喉が詰まり、呼吸が浅くなる。

怒りと不安と孤独が混ざり合って、身体が戦闘態勢に入るのがわかった。

 

 

いつもなら、爆発しそうな気持ちを大きく吐き出していたと思う。

でも昨日は、そうしなかった。

 

お風呂に入っていたこともあり、

私はただ、静かに息を吐くことを選んだ。

 

「息を吐いて、丹田までおろしていく」

 

ただそれだけを、ゆっくり繰り返した。

 

すると、手や喉、背中にしびれのような感覚が現れて、

身体が震え始めた。

 

ああ、これが私の中に溜まっていたエネルギーなんだ。

今、外に出ようとしてるんだ——そう感じた。

 

 

感情の嵐のあとに、こんな静けさが訪れた。

 

 

 

 

 

 

そして私は、静かに問いかけた。

 

「私は本当は、何がほしかったんだろう?」

 

 

入浴後にはあれほど荒れそうだった感情が、静かに落ち着いていて。

夫に対しても責めることなく、ただ聞きたいことを、冷静に聞くことができた。

 

 

呼吸って、すごい。

 

その一言に尽きる。

 

 

感情に飲み込まれるのでも、我慢するのでもなく、

ただ、今あるものと一緒にいて、呼吸で体におろしていく。

 

それだけで、こんなにも違う。

 

 

もしかしたら私は、誰かに勝ちたかったんじゃない。

本当はずっと、私自身のことを、大切にしたかったんだ。

 

 

だからこれからも、感情が荒れそうになるとき、

私はまず「吐く」ということを思い出したい。

 

それは自分を守るためでもあり、

大切な人との関係を、自分の選択で守るためでもあるから。

昨日、おばのお通夜に夫と行った。

 

 

私たち夫婦は地元から離れて暮らしていて、正直、両家ともに親戚づきあいはほとんどしていない。

 

 

「面倒くさい」って気持ちのほうが勝っていたから。

 

 

私の親戚には遠慮はないけど、夫の親戚になると、すごく気を遣う。

 


いつも「私はいてもいなくてもいい存在だな」って、どこかで感じてしまう。

 

 

昨日は、私のほうのおばだったから、夫にとっては居心地悪かったと思う。


 

ほぼ初対面の人ばかりだったし。


 

でも、仕事を終えてそのまま、片道1時間かけて運転して、

 


静かに私の横にいてくれた。

 

 

それが、すごく嬉しかった飛び出すハート

 

 

「私の夫です」って親戚に紹介できたことも、実はずっとやってみたかった。

 


結婚して19年経つけど、こういう場面って、なかなか無かったから。


 

不思議と、「大嫌い」と思っていた義母にも、少し歩み寄ってみようかと思えた。

 

 

親戚づきあいって、本音を言えばまだまだ面倒くさい。

 

でも、たまにはこういう日も、意味あるのかもしれない。


 

そんなふうに思った夜だった。

 

 

実は昨日、お通夜の場で、あまり会ったことのない親族にも自分からけっこう話しかけた。

 

夫がそばにいてくれる嬉しさがあったし、

 

沈黙のままだと、夫が居づらくなるかもって思ったのかもしれない。

 

 

もしかしたら、慣れない場だったけど、

 

私なりに、夫に気をつかっていたのかもしれない。

 


 「ただそばにいてくれたこと」への感謝と同時に、

 

私も、自分なりに“夫を支えたかった”のかもな、って思う。

 

 

言葉にするとちょっと照れくさいけど、

 

そういう小さなやりとりの積み重ねが、

 

長く続けていく夫婦には、きっと大事なんだろうな。


そして、そばにいてくれて嬉しかったことも伝えてみようと思う照れ

おはようございますニコニコ


今日は、気持ちのいい青空が広がり


カラダも軽いニコニコ


夫の食欲が増して増して


かなりメタボになってきてますあせる


お弁当の米飯をすこーし


減らしてみました。



不眠症で、いくつもの睡眠導入剤を飲んでいる方と関わっています。


でもその方は、ずっと主治医にお薬のことをうまく相談できずにいました。

 

 

どうしてだろう。

 

 

言葉にできないつらさ、

 

自分でも整理できていない不安、

 

それもあると思います。

 

 

でもそれだけじゃない。

 

        嫌われるのが怖い。

 

         突き放されるのが怖い。

 

          バカにされて、惨めになるのが嫌。

 

 

そんな、もっと奥深くにある「怖さ」が、言葉を閉じ込めてしまう。

 

 

「大丈夫です」と笑ってしまうのは、自分を守るためでもあるのだと、


そんなふうに思います。

 

 

だから今日、その方が診察室でご自身の口から

「不眠がつらい」と伝えられた場に立ち会えたことは、とても意味のあることでした。

 

 

ただ薬を調整してもらうだけではありませんでした。

 

 

主治医が、丁寧に目を見て話を聞いてくれたこと。

 

「大丈夫だよ」と声をかけてくれたこと。

 

身体に触れて診てくれたこと。

 

 

 

そのひとつひとつが、

「ここにいていいんだよ」というメッセージのように伝わったのだと思います。

 

 

診察が終わったあと、その方がぽつりとこぼした言葉がありました。

 

 

「聞いてもらえたのもよかったけど、先生に“伝えられた”のがよかった」

 

 

この言葉には、

「怖かったけど、言えた

「ずっと閉じ込めてたけど、やっと出せた

 

そんな安堵と静かな誇りが滲んでいました。

 

思えば、自分のことを話すには、安心が必要です。

 

「ここなら大丈夫かもしれない」

「この人には話してもいいかもしれない」

 

 

そう思えるような場、関係性、空気——

それがあって初めて、人は自分の内側を少しずつ、誰かに差し出せるのだと思います。

 

 

だから、「伝えることが大事」だと簡単に言う前に、

 

「安心して伝えられる場があるか」

 

「安心できる相手がそばにいるか」

 

そこに目を向けたい。


 

伝えられたことで、心の扉がすこしだけ開いた。

 

その変化の瞬間に立ち会えたことが、

 

わたしにとっても大切な経験になりました。

 

 

 

3年前、私たち夫婦はほとんど口を

きかず、まるで空気のようにすれ違って暮らしていました。

 

 

家庭内別居と呼んでいいような、冷えきった時間。

けれど最近、少しずつですが変化を感じることがあります――

 

 

昨夜、夫が私の分の布団を敷いてくれていました。

……たぶん、こんなふうにしてくれたのは初めてかもしれません。

 

 

「明日は母の日だからね」って、ちょっと照れくさそうに。

 

 

私は夫の母親じゃないけれど、

そんなふうに思い出して、気遣ってくれたことがただただ嬉しくて、

「ありがとう。素直に嬉しい」って伝えました。

 

すると夫は少しぶっきらぼうに、

「だって、敷いてなかったら面倒くさいからな」って。

 

 

なんで面倒くさいの?って聞いたら、

「お前、布団敷いてくれなかった!って怒りそうだし」って。

 

ああ、そうだった。

 

私はこれまで、怒りをぶつけることでしか、自分の気持ちを伝えられなかった時期があった。

 

 

きっと今でも、夫の中にはその私の印象が残っているんだなと思うと、

みぞおちがチクリと痛みました。

 

 

でも今朝、散歩しながらふと感じました。

 

 

 

 

もっと素直に「お願い」って言ってもいい。

 

頼ることも、甘えることも、悪いことじゃない。

 

むしろそれが、優しさの受け取り方なのかもしれないって。

 

 

3年前、私たちは完全にすれ違っていました。

家庭内別居のような状態で、会話もほとんどなく、空気は冷えきっていた。

 

 

でも、少しずつ。

 

本当に少しずつだけど、関係は変わってきた。

 

 

夫が変わったからじゃなくて、

私自身が「変わりたい」と思って、小さな一歩を積み重ねてきたから。

 

 

夫婦関係って、自分次第で変えられる。

心の持ち方で、会話の仕方で、ちょっとした行動で。

 

 

昨日の夜の布団は、たぶん夫からの小さな「歩み寄り」。

それをちゃんと受け取れて嬉しかった。

 

これからも、きっとすれ違うことはあると思う。

それでも、少しずつ築いてきた今の関係を、大切にしていきたい。

 

 

こんなふうに、少しずつ変わってきた私たちのことを、

これからも綴っていけたらと思っています。

今日は、朝から雨


明日、明後日はおやすみニコニコ



今日は、コントロールすることを手放して過ごします。


そして、それに気づくように意図をして過ごしますびっくりマーク



今日もよい1日となりますように