今日は

気分よく過ごしていた


特別なことは何もなかったけれど

気持ちも穏やかで

静かな一日になると思っていた


でも

突然、記憶が浮かんできた


あのときのこと

自分でも忘れていたはずの

傷ついた気持ち


惨めだった

寂しかった

どうにもできない思いを

ただ抱えて 立ち尽くしていた


もう大丈夫だと思ってた

過ぎたことだと思ってた


でも

 身体はちゃんと覚えていた


そのときの私が

「ここにいるよ」って

小さな声で呼んできた気がした


無理に消そうとしなかった

なかったことにはしなかった


「ああ、そうだったね」って

静かに思い出して

その感情に少し寄り添ってみた


今の私なら

あのときの自分に

やっと声をかけられる気がする


そんなふうに過ごしていたら

胸のざわつきも 少し落ち着いて


なんだか

静かな海の上に浮かんでいるような

そんな感覚になっていた


今夜は

ストレッチをして

固まっていた身体をゆるめてあげよう


深く息を吸って

自分の内側に戻っていく


誰かにわかってもらえなくてもいい

今日の自分が 自分にちゃんと寄り添えたこと

それだけで 十分だと思えた


ずっと、義母の家に行くのを避けていました。

行っても歓迎されるわけじゃない。


何を持って行っても、喜ばれるわけじゃない。


私はただ、“与えるだけの存在”で、感謝もされず、受け取ってもらえない。


そんな関係に、私はすっかり疲れ切っていたんです。


義母に「クソババア」と言ってしまった、あの日。


心が限界を超えていた。


罪悪感もあったけれど、それ以上に、自分を守るための必死の叫びでした。


それから3ヶ月。


今日、ようやくまた義母宅へ向かう決意をしました。


行くことに意味があるかなんてわからなかったけれど、主人が単身赴任から戻ったことも、まだ伝えられていなかったし――

なにより、自分の中で閉ざしていたままの気持ちに、けじめをつけたくなったのかもしれません。


出発前、主人に私の気持ちを話しました。


義母との関係で感じてきたこと、傷ついてきたこと。


話しているうちに、どこか心がほどけていくのを感じました。


義母の家では、長居はしませんでした。


でも、声のトーンは前よりも少し柔らかくて、責められることもなく、


“ああ、今日はここまででよかったんだ”と、ふっと肩の力が抜けました。



関係を完全に修復しようなんて、まだ思えません。


でも、避けるだけじゃなく、自分の心を大切にしながら「向き合う」という選択ができたこと。


それは、私にとって大きな一歩だったように思います。


 心の扉は、まだ完全には開かない。


でも今日は、その扉が少しだけ、そっと動いた日でした。

今日は朝から、夫と北海道物産展へ。

お目当ては…もちろんウニ弁当ラブ


開店ダッシュでしっかり確保。

フタを開けた瞬間、ふわ〜っと磯の香り。

そしてひと口食べたら…とろける甘さにうっとり。

「これこれ!」って、夫と顔を見合わせて笑っちゃった。


朝からちょっとしたご褒美タイム。

「美味しいね」って言い合える時間って、やっぱりいい。


次はカニ?それともスイーツ?

北海道の魅力、底なしですおねがい

  義母との関係に悩んできたのは、私だけじゃなかった。

夫の心にも、深く残る怒りと傷があった。

夫婦でそれを言葉にしたとき、心の奥に、小さな光がともった気がしました。




今日、久しぶりに主人と義母の家へ行ってきました。

3ヶ月ぶりの訪問


私の中には、ずっと重たい感情が残っていました。


あのとき、義母に「クソババア」と言ってしまった。

罪悪感もあったけれど、それ以上に、ずっと我慢してきたことが積もっていたんです。


何をしても感謝されない。

生活費の援助をしても、当たり前のように受け取られて、心の通う言葉はひとつもない。

雑に扱われているような態度。


私にとって、義母との関係は“与えるばかりで奪われるもの”でした。


義母の家に向かう前、私は思い切って主人に話しました。

「私は、もう限界だったんだよ」って。

震える気持ちで伝えた言葉を、彼は静かに、でも確かに受け止めてくれました。


そして、今まで心の奥にしまってきた過去の気持ちも――


10年前、娘がまだ小さかった頃のこと。


転勤族の生活で、私はいつも一人きりの子育てをしていました。


実家も遠く、誰にも頼れず、ただ必死に毎日を回していた日々。


だから、義実家に帰省したときくらいは、少しだけでも娘と遊んでほしかった。


子育てから、ほんの少しでも解放されたかった。


でも、義母はほとんど関わってくれず、私はそこでも“ひとりきりの母親”でした。


本当は何度も「帰りたくない」と思っていたけれど、それも言えず、ただ耐えるしかありませんでした。


そんなことも全部、今日、主人に話しました。

すると彼が言ったんです。


「実は、俺も母親に対してずっと怒りがある」って。


その言葉を聞いた瞬間、私は思いました。

「私だけが苦しんでたんじゃなかったんだ」って。

夫もまた、親子だからこそ諦め、傷ついていたのだと――

初めて、その静かな痛みに触れた気がしました。


私は、彼にこう問いかけました。

「そんなに怒りがあるってことは……これまで、どれだけ傷ついてきたの?」


彼は、少し静かにうなずいていました。

その姿が、今も胸に残っています。


私が心を開いて話せたこと。

彼がそれを受け止めてくれたこと。

そして、彼自身の思いも話してくれたこと。


それは、私たちにとって“初めて本音を共有できた夜”だったのかもしれません。


義母の家では、長居はしなかったけれど、ほんの少し空気が和らいでいたように感じました。

責められることもなく、声のトーンもどこか穏やかで――少しだけ、ホッとしました。


問題がすべて解決したわけではない。

でも、「ひとりじゃない」と思えたこと。

それだけで、私の心には、小さな灯りがともった気がしています。


夫婦って、こんなふうに、

つらさを分け合いながら近づいていけるものなんですねおねがい

今日は、主人と一緒に義母の家へ行ってきました。

…本当に、久しぶりでした。


前回、私、義母に思わず「クソばばぁ」って言ってしまって。


あの言葉を口にしたあと、3ヶ月間、ずっと罪悪感を抱えていました。


でも


正直に言うと、あれは私にとって限界の叫びでした。


ずっと、ずっと、苦しかったんですショボーン


生活費の援助をしても、感謝されることは一度もなくて。


当たり前のように受け取られて、こちらの気持ちなんて見向きもされない。


何かを「してあげてる」どころか、「奪われるばかり」。


お金だけじゃなくて、時間も、気力も、

心の余裕さえも。


一方通行の関係に、私はどんどん消耗していました。


さらに、言葉や態度もどこか雑で…


「自分って、そんなふうに扱われる存在なんだ」って思わされることばかり。


それでも“嫁だから”と我慢していた自分がいました。


だから行くのが怖かった。


惨めな気持ちになるのがわかっていたから、避けてきた。


でも、主人が単身赴任から戻ったことすら伝えられないままなのも、引っかかっていて。


行く前に、私の気持ちを主人に話しました。


義母との関係で感じていたこと、積み重なっていた傷。


彼は黙って、でもちゃんと聞いてくれて、それだけで少しだけ心が軽くなりました。


義母の家では、長居はしませんでした。


でも、前よりも少し声のトーンが柔らかくて、責められることもなくて…


ほんの少しだけ、ホッとできた自分がいました。


関係はまだ“フラット”ではないし、好きになれたわけでもない。


でも、「嫌いなままで会ってもいい」と思えるようになったこと。


それが、今の私にとっての小さな進歩かもしれません。


「嫁だから」と全部を我慢しなくてもいい。

 嫌いな相手には、嫌いと感じる自分」を認めてもいい。


そこから、少しずつ自分の心を守る距離感を作っていけたら…


そんなふうに思えた一日でした。


やさしい手放し


夜の静けさの中

帰宅したわたしの心は

どこか、ふわりと宙に浮いていた


寝室の布団を見たとたん

悲しみが 波のように押し寄せて

胸の奥が きゅう、と苦しくなる


立ち止まって

そっと、呼吸を感じる

今 ここにいることを思い出すように


落ち着いたはずの手が

ゴボウを削ぐとき、また揺れる

「私には、価値がないのかもしれない」

その声が心の底から湧き上がり

涙がこぼれ始めた


ひとりで、床に座って

肩を抱きしめるように

自分を抱きしめて

ただ、泣いた


「今までいっぱい見ないふりしてごめんね。

気づいてあげれなくてごめんね。」


涙の向こうから聞こえてくる ほんとの気持ち


泣ききったあと

胸のつかえが するりと抜けて

代わりにあふれてきたのは


夫が愛おしい

私だけを見てほしい


そう感じられた自分に、やっと出会えたような

ほっとするあたたかさ


ワンコと散歩に出たくなった

外の風が 気持ちよかった


帰ってきたら 夫も帰宅していた

あれほど感じていた壁が、もうなかった

たぶん

 わたしが作っていたんだ、あの壁


夜は、自然に近づけた

何も拒まれなかった

ただ、寄り添えた

ただ、うれしかった


そして朝

空は 澄んだ青色

まるで 心を映す鏡のように


夫が運転する車の中

触れ合う手のぬくもりが

今日という一日を そっと包んでいた


だから今日は

家事をちょっと手放す

夕飯は、買って帰る


がんばらない

がんばりすぎない

わたしを だいじにする日


もう じゅうぶん、頑張っているよ

怒りをぶつけてしまった日から、夫との間にぎこちなさが続いている。


目も合わせてくれない。

スキンシップも拒まれ、寝るときも背中を向けられる。

朝の会話もそっけなくて、「面倒くさい」の一言が、心にズシンと響いた。


夫は、怒りをぶつけられるのが苦手だとわかっている。

でも私は、思わずやってしまった。


その瞬間、3年前の“家庭内別居”の記憶がフラッシュバックしてきた。

またあんなふうに心がすれ違い、言葉も交わさず、空気だけが重く漂う日々が戻ってくるんじゃないかと――

 不安と恐怖が一気に襲ってきた。


お腹の底から湧いてくる感情。

「怖いよー」「もうやだよー」「逃げんなー」「やさしくしてよ」「無視すんなー」

怒りのワークで叫んで、ようやく胸のつかえは少し軽くなったけれど、

喉やみぞおちにはまだ、つかえたような体感が残っていた。


一昨日までは、夫の帰宅が楽しみで仕方なかったのに。

昨日は、その帰りが怖くてたまらなかった。


「電話がない」という、ほんの小さな変化にさえ心がざわつく。

ただ、寂しかった。


そんな中、夫は予想より早く帰宅した。


玄関の音を聞いた瞬間、ホッとしている自分がいた。


気づけば、私は後ろから彼にそっとハグをして、こう言っていた。


「帰ってこなかったらどうしようって、不安でいっぱいだった」


すると、夫はそのハグを解くことなく、

いつものようにボディタッチで応えてくれた。


あぁ、私ってまだまだ、相手の反応に一喜一憂してる。

でもそれだけ、つながりを求めているんだな。


そんな自分を、今日は否定せずに見てあげたいと思う。


そして、少しずつでいいから、自分の内側に意識を向けていきたい。

誰かの態度に揺れ動く自分を責めるのではなく、

その揺れの中にある「私の本音」を、大事に抱きしめていきたい。


昨日は祝日。

朝から気持ちのいい陽ざしが差し込んで、「よし、今日もやるか」と家事に取りかかった。


洗濯、掃除、布団干し。

いちご大福も作って、お昼ご飯の準備と後片付け。

所用を済ませて、夕方にはまた夕食づくり。洗濯物を取り込んでたたんで、頼まれていた裾上げもして、布団カバーも取り替えた。


…ふと気づくと、ずっと動きっぱなしだった。


家族はというと、スマホを見ながらのんびり。


ワンコのごはんも、お風呂も、誰も動こうとしない。 


心の中に、じわじわと怒りが湧いてくるのを感じた。


「こんなにやってるのに、どうして誰も気づかないの?」

「手伝ってって言わせないでよ…」


我慢しようと、トイレや別部屋で怒りのワークもしたけど、気持ちはおさまらず、ついにぶつけてしまった。


本当は、怒りたいんじゃない。

助けてほしかった。

頑張りを、見ててほしかった。

ちょっとだけでも「ありがとう」って言ってほしかった。


でも返ってきたのは、夫の冷たい態度。

朝には「面倒くさい」の一言で終わり。

私と話すのも嫌なんだと感じて、心がギュッと痛くなった。


繋がりたかった。仲良くしたかった。

でも、どこかで私は“家族の中の孤独”を感じてしまっている。


それでも私は、私なりに精一杯やってきてる。

好きじゃない家事も、心を込めて続けてきた。

完璧じゃなくても、誰かのために、今日も私は動いている。


今はただ、深呼吸して、自分の心に寄り添ってあげたい。

傷ついたっていい。泣いてもいい。

私は、ここにちゃんと生きてる。


今日のお弁当


ゴールデンウィークもお仕事頑張ります!!