義母との関係に悩んできたのは、私だけじゃなかった。

夫の心にも、深く残る怒りと傷があった。

夫婦でそれを言葉にしたとき、心の奥に、小さな光がともった気がしました。




今日、久しぶりに主人と義母の家へ行ってきました。

3ヶ月ぶりの訪問


私の中には、ずっと重たい感情が残っていました。


あのとき、義母に「クソババア」と言ってしまった。

罪悪感もあったけれど、それ以上に、ずっと我慢してきたことが積もっていたんです。


何をしても感謝されない。

生活費の援助をしても、当たり前のように受け取られて、心の通う言葉はひとつもない。

雑に扱われているような態度。


私にとって、義母との関係は“与えるばかりで奪われるもの”でした。


義母の家に向かう前、私は思い切って主人に話しました。

「私は、もう限界だったんだよ」って。

震える気持ちで伝えた言葉を、彼は静かに、でも確かに受け止めてくれました。


そして、今まで心の奥にしまってきた過去の気持ちも――


10年前、娘がまだ小さかった頃のこと。


転勤族の生活で、私はいつも一人きりの子育てをしていました。


実家も遠く、誰にも頼れず、ただ必死に毎日を回していた日々。


だから、義実家に帰省したときくらいは、少しだけでも娘と遊んでほしかった。


子育てから、ほんの少しでも解放されたかった。


でも、義母はほとんど関わってくれず、私はそこでも“ひとりきりの母親”でした。


本当は何度も「帰りたくない」と思っていたけれど、それも言えず、ただ耐えるしかありませんでした。


そんなことも全部、今日、主人に話しました。

すると彼が言ったんです。


「実は、俺も母親に対してずっと怒りがある」って。


その言葉を聞いた瞬間、私は思いました。

「私だけが苦しんでたんじゃなかったんだ」って。

夫もまた、親子だからこそ諦め、傷ついていたのだと――

初めて、その静かな痛みに触れた気がしました。


私は、彼にこう問いかけました。

「そんなに怒りがあるってことは……これまで、どれだけ傷ついてきたの?」


彼は、少し静かにうなずいていました。

その姿が、今も胸に残っています。


私が心を開いて話せたこと。

彼がそれを受け止めてくれたこと。

そして、彼自身の思いも話してくれたこと。


それは、私たちにとって“初めて本音を共有できた夜”だったのかもしれません。


義母の家では、長居はしなかったけれど、ほんの少し空気が和らいでいたように感じました。

責められることもなく、声のトーンもどこか穏やかで――少しだけ、ホッとしました。


問題がすべて解決したわけではない。

でも、「ひとりじゃない」と思えたこと。

それだけで、私の心には、小さな灯りがともった気がしています。


夫婦って、こんなふうに、

つらさを分け合いながら近づいていけるものなんですねおねがい