年越しの夜、一家で床の間の鏡餅を拝む
古くから日本列島各地では、12月31日の年越しから新年1月1日の元旦の年の変わり目には、家々に幸をもたらす歳神様がやってくる、という信仰があります。
ところがその他にも、あまり歓迎されない神々もやってきたようです。
例えば、青森県弘前市の古い豪農A家では、毎年、年越しの日になると、床の間に鏡餅を供えるほか、なぜか部屋の隅にも二つのお膳を用意します。そして夕方になると、主人が玄関を開け「どうぞお入りください」と外の闇へ向かって告げるのです。
なぜでしょう。実は、目には見えずとも、今年も「山の神様」が来たのです。
昔は、道路まで出向き、赤子を背負うヒモでおんぶするまねをして、この神様を連れてきたそうです。
家に入った「山の神様」は、床の間の隅の膳の前へ招かれ「どうぞお座りください、ゆっくりとおあがりください」と歓待されます。
しかし、すぐに主人は「お召し上がりになりましたか、足元を大事にお帰りください」と告げながら、この神を玄関から外へと送り出してしまいます。そしてA家は新年を迎えることになります。
写真 12月31日の年越しの夕方、家の主が玄関から神を迎える
(弘前市茂森新町、2003年、筆者撮影)
写真 迎えた神にお膳を供える
(弘前市茂森新町、2003年、筆者撮影)
この目には見えない「山の神様」とはいったいどのような性格の神様なのでしょうか。
せっかく家に招き入れても、すぐに帰されてしまうことや、「(この神に)供えたお湯は道路に捨てる」ということから、あまり歓迎される神ではなさそうです。
しかも「床の間へ上げられると恐れ多くて困る神なので、部屋の隅に招く」というので、それほど高い神格でもないようです。
実はこの習俗は、奈良県や山形県の「疱瘡神(ほうそうがみ)送り」とよく似ています。
疱瘡神は、恐ろしい疱瘡をもたらす神として、古くから全国で恐れられてきました。江戸時代の弘前藩領内でも何度も疱瘡が流行り、疱瘡神を別世界へ送り出す儀式をした記録があります。例えば天保12年(1841)も、津軽平野の繁田村で「疫神」を岩木川へ送る神事をしています。
さらに当時は、疱瘡以外にも、赤痢、腸チフス、インフルエンザと推測される伝染病がたびたび津軽地方でも流行って多くの人々が亡くなり、人々は恐れおののきました。
そのためか、A家の神棚にも、病を防ぐ疱瘡神様が、風邪神様、内神様とともに祀られてきました。
なお、このように年越しに神々を送迎する行事は青森県内各地もあったようです。
例えば、昭和10年代までの田舎館村には、小正月に疱瘡神と麻疹神(ましんがみ)を送迎する家があったそうです。つがる市木造芦沼のB家でも、年越しに来る無名の神がいて、家の戸障子を全部開け、玄関で膳をふるまってから帰します。昭和30年代までは青森市内でも「風邪神」と大工の神である「山の神」を送迎していた家があったそうですから、もしかするとA家でも、かつては神棚の風邪神や疱瘡神も、この山の神と一緒に送迎していた可能性も考えられましょう。
年越しの夜に玄関で無名の神を迎える
(つがる市木造芦沼、渡辺真路氏撮影)
このように年越しの日には、豊穣をもたらす歳神だけでなく、歓迎されない神々もやってくるという信仰がありました。その背後には、新型コロナウイルスや新型インフルエンザの脅威に震える現代人と同様に、昔から伝染病に脅えた先人達の歴史的な記憶も刻まれているのではないでしょうか。
(小山隆秀)