コロンブスは、ヨーロッパから北アメリカと南アメリカへの北大西洋の航路を拓いた人です。

 イタリアのジェノバ出身で、地中海からポルトガルに活動拠点を移します。

 そして、アイスランドやカナリア諸島など北大西洋の海を航行しました。

 当時はアメリカ大陸の存在が知られていなかったので、大西洋を西に進めばインドに到達するはずと考えられていました。そこで、スペイン女王の援助を受けて、スペイン船を率いて4回にわたる航海を行いました。

 最初の航海は1492年で、北アメリカのカリブ海のバハマ諸島に到達します。さらにキューバ島、イスパニョーラ島(ハイチとドミニカ共和国)に到達します。

 2回目の航海ではジャマイカに到着します。

 

ジャマイカのモンテゴベイのダウンタウンにある海岸 (以降の写真は筆者撮影)

ほぼ10分おきに飛行機が着陸していました。

 

 

テイクアウトして海岸でお昼に食べたスパイシーな鳥肉料理 ジャマイカ名物

 

レストランでも、やはり定番のスパイシーな鶏肉料理と豆入りご飯

 

 3回目の航海では南アメリカのベネズエラのオリノコ川河口付近に到達します。
 4回目の航海では、中央アメリカのコスタリカとパナマに到達します。

 世界地図をご覧になって、ゆかりの地のイタリアのジェノバと地中海からポルトガルとスペイン、北大西洋のアイスランドとカナリア諸島、中央アメリカ・南アメリカのカリブ海沿岸部、そしてカリブの島々の位置を確認すると、コロンブスは優れた航行技術と知識を持つ人だったことが伝わると思います。

 

コロンブスが訪れた場所にできた町 パナマのカリブ海岸にあるポルトベーロ(世界遺産)
美しい港という意味でありコロンブスが命名した。海賊から町を守る大砲が残る

 

 そして、コロンブスは1506年5月に亡くなり、遺言通りにカリブ海イスパニョーラ島のドミニカ共和国サントドミンゴに埋葬されました。

 


サントドミンゴ市内 歴史ある建物を遠くに見ながら通りを歩く

 

 サントドミンゴの市内は世界遺産となっており、スペイン統治時代の建物が残ります。

 その中には、コロンブスの子孫が3代にわたり暮らした建物が残っています。

 

コロンブスの子孫が暮らした建物

 

サントドミンゴ市内にあるドミニカ人類博物館

 

 インドを目指して航行したコロンブスは、自分が訪れた場所はインドであり、出会った人はインドの人々と最期まで信じていました。カリブ海の島々は現在でも西インド諸島と呼ばれています。

 サントドミンゴには、カリブ海の海賊から町を守るための城塞があり大砲が残っています。

 

城塞に残る大砲

 

 前々回のコスタリカ国立博物館のブログでは、(せん)コロンブス期の巨大な石球を紹介しました。コロンブス以前と、以降では歴史が変わる地域があります。

 サントドミンゴの町の広場には、コロンブスにとってのインド(実際には新大陸!)を指さすコロンブス像が立っています。

 

コロンブス像

 

 私が訪ねた時は、コロンブスの腕には、ハトが羽を休めていたのでした。

 

コロンブスの腕で羽を休めるハト (2013年2月筆者撮影)

 

(齋藤岳)

 

 


引用参考文献

外山秀一2019『ジオとグラフィーの旅 6 地域情報の旅』古今書院