ふるさと万華鏡 第48回

「外ヶ浜町大平(おおだい)集落のお山参詣」

 

令和7年3月、外ヶ浜町大平集落にある大平山元遺跡の出土品570点が、旧石器時代から縄文時代への移り変わりを伝える重要な資料として、重要文化財にふさわしいことが国の文化審議会で認められました。

大平集落は、このように遥か太古から人々が活動してきた痕跡が残る土地であり、他に貴重な民俗行事も伝承されており、今回はそれを紹介します。

1992年頃、岩木山信仰を研究していた私は「蟹田町の複数の集落には、模擬岩木山[*岩木山本山の代理的な役割をする里山等のこと]がある」という情報を掴み、現地調査に向かい、最初に訪れたのが大平集落でした。産土社(うぶすなしゃ)の大平八幡宮付近で、集落の古老にお話しを聞いていると「このあたりには大昔の遺跡がある」と伺いました。当時、考古学を全く知らない私は「そういえば、なんだか大きな石がたくさん転がっているな」と感じたくらいでした。

大平の模擬岩木山は、集落北方の標高約90mの「タケ」と呼ばれる小丘でした。毎年新暦9月1日になると、集落の老若男女30~40名が、登拝行事「お山参詣」の対象として登る山でした。第二次世界大戦前までは女人禁制の山で、豊作の年になると、青年団の男達は弘前市百沢の岩木山本山と大平の模擬岩木山の両方を参詣したそうです。

しかし私が調査で参加したときは、このお山参詣は、集落の大平小学校[*当時の校舎は、その後大山小学校→大山ふるさと資料館として使用されました。]が、学校行事として児童生徒と全教職員が参加する形式となっていました。その様子は岩木山本山の行事と同じです。最初に産土社で祈祷した後、大きな御幣や幟やお供えを捧げた一行が登山囃子を鳴らしながら田のあぜ道を歩いてタケに向かいます。

出発から約40分後に山頂の小祠へ到着しました。祠のなかには、幼児位の大きさの石が祀られていました。これは麓の旧家の庭から大量に出土した石のひとつだと言われ、民間宗教者の指示で岩木山の本尊として祀ったとされるものでした。みんなで供物をした後は、祠の前で会食です。

一時間ほどしてから「いい山カゲだじゃー、あー、バイバイタラ、バイタラ、バイタラヨー…」と歌い踊りながら下山して、麓でまた直会(なおらい)となりました。

同じ地域のなかで、旧石器時代以来の遺跡と近現代のお山参詣が重なって存在している大平集落の歴史の深さに感嘆しながら帰宅しました。その後私は、この貴重な大平お山参詣と類似する行事が、青森県内や北海道で十数例あることを知り、それらの調査成果を学会誌で全国へ紹介することで、民俗研究をスタートさせることができました。そのきっかけをいただいた大平集落には感謝しています。

あのとき、一緒に山カゲした少年少女達は今も元気でいるのでしょうか。ときどき思い出します。

(青森県立郷土館学芸課長 小山隆秀)

 

*文章は、『東奥日報』木曜版掲載の当館連載記事(2025年5月1日)を基にしています。

写真1 大平集落のお山参詣で、模擬岩木山を登る人々(1992年筆者撮影)

 

写真2 大平の岩木山山頂の小祠。なかに岩木山の形をした石が祀られている(1992年筆者撮影)

 

写真3 大平の岩木山姥石。山に登る途中にあった40cmくらいの石(1992年筆者撮影)