飽きたこと
私は元来飽きっぽい。それがコンプレックスでもあったけれどどうしようもないことも最近やっと受け入れてきている。興味のあることに対する初速はすごいんだけどそのあとがとにかく持続しない。そろそろ、その特性をあらかじめ理解した上で物事を取り組んだ方がいいんじゃないかなとさえ思う。そんな私が最近飽きたこと、それは\\ スピリチュアル!! //いや、スピリチュアルって飽きるとかそういうもんなの?って疑問に思われると思うんだがそもそも私の持つややスピリチュアル寄りの能力はもう切っても切れないからこれは仕方ないし今までのように無理に否定することもないですうっすら有るこの力をぬるく受け入れてますただし最近、目につくスピリチュアル系の投稿がもうつまらなすぎてしんどいのね笑笑神社のプリズムが写真に映って呼ばれただの歓迎されただの声がしただの風が吹いただのつまんなすぎて。なんか、もう。おなかいっぱいというか……。でも私都市伝説とかオカルトは好きでね。あれはフワフワスピリチュアルではなくまぁファンタジーじゃないですか。だから好きなんですわ。それと歴史や社会も好きでねだからオカルト的なifストーリーは好きです(The厨二病)それ系の小説や本はよく読むのだけれどそれらを読んでいくうちにスピリチュアルと遠からず近からずの話にぶつかるわけ。それが「宗教」世界宗教はまさに歴史とともに栄枯盛衰をたどったものと言えるじゃない。それと日本神道や古事記や神仏習合や一神教多神教を見ていくうちにふと思ったのよ。みんなあるひとつの存在を見ているだけなのでは?と。それが西洋ならキリスト教、中東ならイスラム教やユダヤ教、アジアなら仏教、日本なら神道(大雑把に言ってます)見ているものはひとつでそれを各国の戦争や文化の違い、統治の歴史的観点から形を変えているだけで結局はひとつしかないんじゃないか?と。私は今まで一神教にすごく無個性的というか、狂信的というか、多様性を認めない心の狭さ……だから戦争し続ける歴史を辿ったんだな、とかそういうイメージだったのねスピリチュアルのインフルエンサーも「一神教の国は今、バタバタと窮地に立たされている(多神教の日本スゲー上げ)」とか言うしやたら日本人の目覚めとか祈りの力とか選ばれた民族みたいなそういうことを発信するスピリチュアルインフルエンサーが目につくのよだけどそれって逆に過激だなって思う多様性過激派、とでも言うか選民思想ってさ自分たち以外の民族をナチュラルに蔑視してる感じするじゃん本来全ての人が平等に神様(と呼ぶべき何かの存在)からの恩恵を受けていいはずだと思うのよどんな人でもだから妙に日本人を持ち上げるような発言をするスピリチュアルインフルエンサーやそれの真似事をして、寺社仏閣に赴き「私は受け入れられています!」みたいな撮影をセコセコ頑張ってリールやYouTubeショートにしてる人とか見ると飽き飽き、いや辟易する。そんなわけでね私、スピリチュアルを卒業しようと思うんだ。なにそれ笑いや、自分でも意味わかんないけど実は数ヶ月前から確実に導かれている感はあってね(おい、それスピリチュアルだろ笑笑)しばらくはその導きに従って動いていくつもりでいる。結局、見ているものは同じ。