あ、どうもお久しぶりです
(月イチ日記?いや、そんなこと……ゴニョゴニョ)


私は元気です
よく働き、よく食べ、よく寝て
年相応のワガママボディになっています(ぇ






先日
家族で旅行に行きましてね

世界遺産でもある
『富岡製糸場』に行ってきたのですよ



え?しょぼい?
写真が悪いね、ごめんごめん



え?田舎の掘っ建て小屋?
違うよ世界遺産なんだよう……
おかしいな……




あの貯水池には河童が住んで……



ほら、それっぽいやろ?





じゃ、こちら有名なやつドドン



ほらね!
富岡製糸場でしょ!!
(誰も疑っちゃいない)





シンプルにレトロな建物が好きな私としては
ただ敷地内を歩いているだけで至福。




展示コーナーもいろいろあったんですが
写真撮影禁止のエリアに興味深い写真とエピソードがありましてね。



『明治、大正、昭和と社会が大きく変化しても人々の娯楽にはさほど変化がなかった』

住み込みで働く人たちは余暇を楽しむのに
・芝居を見る
・自分たちで芝居をやる
・球技チームを作って地元の試合に出る
・お花見をする
・映画鑑賞会をする
・ライブ演奏する
等などをしていたそうな。



今と本質的にそんなに変わらないんだなーと思うと同時に
今ってそれすら楽しめてないな、とも思ったんだよね。


それは将来への不安だったり
社会情勢や経済の不安定さのせいだったり

だけど

それは当時も同じじゃない?とも思うわけ。



楽しむ、ということを
忘れている人がとても多いし
楽しむ、ということに
罪悪感を感じる人も多い気がする



根底に自己否定がある人は『楽しむ』が難しいでしょうな


こんなブスな私が恋愛でウキウキしていいわけない
こんなお金のない私が演劇見に行っていいわけない
こんな収入少ない私が旅行なんて行っていいわけない
こんな半人前の私がお休み貰ってダラダラしていいわけない


ま、これ過去の自分がもれなく思ってたことなんだけどさ

自己否定の呪いが娯楽を奪うのなら
娯楽は自己肯定のカンフル剤にもなりうるのよな




てかさ
娯楽なしで働くとか
奴隷じゃん、と思う


奴隷ですら
お楽しみがあった(ない時代や地域もあったと思うけど)



家族旅行って
個人事業主やってたときは行けなかった
行きたいと思ってもいなかった

だけど
実際行ってみたらまぁまぁ楽しい



私の場合
就いている仕事も楽しいからなお良いのだろうけれどね



ほんと
徹底的に『楽しい』時間を増やすだけで
人生は変わるし

嫌いな自分を好きになる、まで行かずとも
まぁいいか!となる


まぁいいか!って大事。
執着が消えて、依存が消えた瞬間に生まれる感情。



受容が始まる魔法の言葉。



娯楽の話からはだいぶそれたけど


富岡製糸場の女工さんたちくらいには
余暇を楽しんでいいと思うんだ。




小6になっても
1回10円の乗り物で遊んじゃうんだから。


今日も楽しんでいこうね。