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イギリス、フランス、イタリアからのアンティークをご紹介させて頂きます。定番品からマニアックな物まで時代背景やそれに付随する情報を交えてご紹介させて頂きます。

ルネサンスとは、15世紀から16世紀に掛けてフィレンツェを発祥としてイタリアを中心に流行した創造活動であり、その後ヨーロッパ各地に広がっていきます。それまでの『神や宗教』中心の生活から、もっと人間の可能性見直そうとの『人間主義』に移り変わります。

それは神の為に建てられた装飾過多のゴシック建築への否定であり、
そして宗教に縛られていなかった時代、つまりギリシャ・ローマ時代の文化を見直そうとの意識から『再生・復興=ルネサンス』が生まれました。

ゴシック建築についての記事は→http://ameblo.jp/anticarize/entry-11217148821.html

この思想運動に欠かすことができないメディチ家の存在もルネサンスを加速させるのに大きな役割を果たしたと言えるでしょう。
メディチ家とは銀行業で大成功を収めた大富豪で政治的実権も握っておりました。才能ある芸術家達へ支援することで、あのダヴィンチやミケランジェロ等大きく花開かせます。

それでは、ルネサンス期に建てられた代表的な建築様式の一つパラッツォ建築の特徴を見てみましょう。

メディチ家の邸宅、パラッツォ・メディチ(1444着工~1484竣工) photo by sailko

◆パラッツォ建築
パラッツォとは宮殿を意味します。君主などの権力者の建物に多く使われた建築デザインでコーニス(最上部に突き出した装飾的なモールディング)や1階部のルスティカ積(表面を滑らかにせず敢えて凹凸で荒々しさを残した石積み)が特徴。

旧富士銀行横浜支店でもルスティカ積みが取り入れられております。
http://ameblo.jp/anticarize/entry-11848617557.html

パラッツォ・メディチのルスティカ積み photo by sailko


コーニス

パラッツォ・ストロッツィ(1489着工~1538竣工)

次回もルネサンス様式についてご紹介します。
それでは。

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1929年(昭和4年)に大倉土木により安田銀行横浜支店として建設される。
特徴はルスティカ積みと呼ばれる石積み(石張り)で、表面を滑らかにせず敢えて凹凸で荒々しさを残した技法である。ルスティカ積みはルネサンス期(14世紀~16世紀)のイタリアで流行したパラッツォ建築に多く取り入れられた。

大倉土木は以前紹介した横浜貿易会館の建設もしております。→http://ameblo.jp/anticarize/entry-11255145396.html

◆安田銀行◆
同行は、明治末期から大正に掛け、第一次世界大戦や関東大震災の影響で社会情勢が不安定な時代、経営難に陥った中小銀行(第三銀行や信濃銀行、百三十銀行など日本各地の10行)と合併、吸収し預金者を救った。そして1923年(大正12年)、国内最大の新安田銀行となる。1948年(昭和23年)富士銀行に改名






平成17年(2005年)からは東京芸大大学院映像研究科として使用されている






建物右半分は1954年(昭和29年)に増築された部分

◆旧富士銀行横浜支店(現東京芸大大学院映像研究科)
神奈川県横浜市中区本町4-45


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前回の横浜第二合同庁舎(旧横浜生糸検査所)に続いて、
今回も遠藤於菟(おと)(1866-1943)設計による帝蚕倉庫群について。

1926年から1928年までに相次いで竣工され倉庫群となる。
群と言っても現在は帝蚕倉庫C棟のみが現存しており、A,B,D棟は都市開発の目的で既に取り壊されている。

当初、C棟のみは残す方針であったが東日本大震災で受けた損傷により、安全を考慮して取り壊されることとなる。しかし、横浜市が推奨している『歴史を生かしたまちづくり要綱』により解体後に旧B棟の場所に復元予定。C棟の場所には高さ200メートルの高層ビルが建設され、
解体したC棟のレンガをビルの低層部に張り付けること倉庫群であった名残を残す予定??

歴史を生かしたまちづくりを謳っているのなら全部残せばいいのではないかと思うのですが。。。






◆C棟










◆帝蚕倉庫
神奈川県横浜市中区北仲通5

◆横浜第二合同庁舎
神奈川県横浜市中区北仲通5-57

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1859年(安政6年)の開港から始まった生糸の輸出と共に横浜は大きく発展しました。

横浜生糸検査所は、1923年(大正12年)の関東大震災で壊滅した横浜を立て直す為の復興事業として一番最初に建てられた復興建築であります。 1926年(大正15年)に完成し、通称『キイケン』の呼び名で市民から親しまれました。

当時は生糸の品質や相場の設定は外国人商人の言われるがままで、横浜の生糸商人は腑に落ちなかったようです。 それが生糸検査所の建設を促したとも云われております。 

設計はKN日本大通りビル(旧三井物産ビル)を携わった遠藤於菟(おと)(1866-1943)
横浜生糸検査所は遠藤の集大成作品になります。 
KN日本大通りビルについては→http://ameblo.jp/anticarize/entry-11803871124.html
 
1995年に改築し見た目が新しいですが、経年と共にこれからますます煉瓦の風合いを出していくことでしょう。




当時のキイケン


当時の検査の様子

◆横浜第二合同庁舎
神奈川県横浜市中区北仲通5-57 

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日本大通りにありますKN日本大通りビルについてです。
2013年10月に三井物産ビルからKN日本大通りビルと名前が変わりました。

設計は遠藤於菟(おと)(1866-1943)、酒井祐之助(1874-1935)
1910年(明治43年)、先ず初めに三井物産ビルの裏側に日東倉庫日本大通倉庫が建築される。
赤レンガ倉庫より1年早く建てられた横浜に現存する最古の倉庫になる。

その後、三井物産ビルが1911年(明治44年)に竣工。当初はビルの左側のみが1号館として建てられたが、1927年(昭和2年)にビル右側とつなぎ部分が2号館として増築される。

実際は1918年(大正7年)に現横浜朝日会館の場所にも倉庫が建てられ2号倉庫と呼ばれていたが、1974年(昭和49年頃)に横浜朝日会館の建設為に取り壊される。

日本初の全鉄筋コンクリート造建物であり横浜初のオフィスビルであり、100年以上たった今もオフィスやギャラリーとして活躍しております。



1911年(明治44年)に建てられた1号館。関東大震災にも耐えました。















1910年(明治43年)に建てられた日東倉庫日本大通倉庫



◆KN日本大通りビル(旧三井物産ビル)
神奈川県横浜市中区日本大通14

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関東大震災により多くの建物が倒壊した中旧露亜銀行横浜支店は生き残った。

◆露亜銀行とは◆
ロシア資本の露清銀行とフランス資本の北方銀行の合併企業でロシア、フランス、モンゴル、清、日本と40を超える支店を展開していた。
参考資料:横浜の近代建造物より

1921年(大正10年)、露亜銀行横浜支店はリバプール出身のイギリス人建築家のバーナード・マイケル・ウォードの設計で建てられる。

その後一時期はドイツ領事館として使用され、1959年(昭和34年)には法務省入国管理事務所、1978年(昭和53年)からは警友病院別館となる。

1996年(平成8年)、警友病院がみなとみらい地区への移転に伴い空き家になるも
2011年結婚式場として全面白塗りになり再開。











◆旧露亜銀行横浜支店(旧警友病院別館)
神奈川県横浜市中区山下町280

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今日は日本大通りにあります横浜文化センターについてです。


関東大震災により焼け野原になった横浜の復興事業の一つとして

1929年(昭和4年)、横浜商工奨励館が建設される。 

設計は木村龍雄を中心とした横浜市建築課。 施工は請負業者岩崎金太郎。


1975年(昭和50年)まで商工会議所や商工業製品の陳列など横浜の商業復興、発展に貢献する。 その後は廃墟となるが1999年に横浜市認定歴史的建造物に認定。


2000年には情報文化センターとして日本新聞博物館、放送ライブラリー、オフィス、レストラン、カフェ等の複合施設として開館


 



正面玄関には当時流行したアールデコな意匠取り入れられております



1929年当時に正面玄関で撮影された写真


 

一階には初期の1979年から1997年まで静岡新聞で使用されていたオフセット転写機が。。


 

インダストルな感じがそそります。 写真で見るより実際はかなりの大きさ



登って行きます







最上階には。。。



なんと旧天皇貴賓室が。。。


 
昭和天皇が復興具合の視察の為に訪れるとの理由で、着工から竣工までわずか9ヶ月だったとか。。。

そんな突貫工事でいいのかと思いますが、約100年経った今でも現存しているのなら完璧だったのでしょう。 


それでは。

◆情報文化センター(旧横浜商工奨励館)

神奈川県横浜市中区日本大通11


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今日は昭和31年に建設された徳永ビルです。




徳永ビルは現在は不動産会社の徳永エステートが所有しているビルで


いかにも昭和の生き残り的な武骨なデザインは、工場ではないのにどこかインダストリアルな雰囲気を醸し出しております。




同社は大正12年に元町1丁目で創業し、洋風建築や、外国人向け住宅を建設したりと国際都市横浜を造り上げた一つの会社と言えるでしょう。











当時の徳永ビル













ビルの裏に回ったの中庭にはアートギャラリー、レンタサイクル、雑貨屋ひしめき合う






このゴチャっとした感じがそそります





 


側面                          中2階のデッキスペース







渡り通路が不思議




◆徳永ビル


神奈川県横浜市中区山下町82番地






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高島屋、そごう等、主に神奈川県のデパートに出店おります日陰茶屋。


その本店は葉山にあり、江戸中期に料理茶屋として創業しました。




昭和47年に洋菓子パティスリー ラ・マーレ・ド・チャヤ葉山本店が開業


今回は本店からすぐの場所にある、昭和52年開店のラ・マーレ・ド・チャヤをご紹介します。




葉山に行かれた際には相模湾を眺めながら食事やお茶をしてみるのも良いかもしれません。










 


1Fはカフェバー、2F 3Fはレストランになっております。













 



海沿いのテラス席が空いていたらラッキーですね。




◆ラ・マーレ・ド・チャヤ

所在地:神奈川県三浦郡葉山町堀内24-2





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かつてパリ1区にあった中央市場(レ・アール)は12世紀に始まった。

その後、年月と共に増築され1850年代にヴィクトール・バルタールの設計によりガラスと鉄骨の組み合わせたデザインに立て替えられる。


ヴィクトール・バルタール(1805-1874)







パリの胃袋と呼ばれるだけあってものすごい活気です

しかし、レ・アール地区の再開発の為、1969年にパリ郊外のランジスに移転され、

1971年に解体される。 その解体された傑作の一部は、設計者バルタールにちなんでパビリオン・バルタールの名でパリと横浜に残っている。

◆パリのパビリオン・バルタール

パリ郊外のノジャン・シュール・マルヌに1974年に建設され、コンサートや展示場等として使用されている。


Photo: Nogent


◆横浜のパビリオン・バルタール

1980年に横浜市がフランスに申し入れ寄贈されフランス領事館の跡地に移設。





 

階段を登ればフランス山に出ます


フランス山とフランス領事館の記事はここから→http://ameblo.jp/anticarize/entry-11735003096.html



それでは。



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