男が山から転がした
トリャ!と掛け声を上げ、
ギャン玉をコロコロと坂道に転がしたならばそれは、
ライク ア ローリング ストーン。
なのである。
山の上から転がされた二つのギャン玉は、
土ぼこりを上げ、時に飛び跳ねながら転がり落ちて行く。
その様を山頂から眺めつつ、
今やギャン玉を失った男は、
高笑いを上げ腕を組んだ姿勢で仁王立つ。
そこには棒だけの男が居る。
が!男はその瞬間坂を駆け出した。
まなこを血走らせ怒涛の勢いで走り出す。
ギャン玉とは比べ物にならぬ程の土ぼこりを巻き上げ、
下る下る下る下る。
左右の足は忙しなく動き、
残された棒は縦横無尽に動き回り、
男の一部であるはずのソレはまるで違う生き物のように見える。
世に聞く『男の上と下は違う』と言うのは、
この事を現しているのかも知れない。
ただひたすらに暴れだす棒は、
時に残像をその男に見せ付ける。
棒の乱舞。
と、やがて転がるギャン玉が手の届く範囲へと近づいた。
両手を左右上下に動かしつつ伸ばす男。
玉はもうそこにある。
目の前だ。
男の目の前だ。
そこだそこだもうそこだ。
グイリッ!っと限界に近い両手の動作をして、
男は両の玉を握る事にやがて成功する。
そして、素早く玉を元の袋にシャ!っと戻した。
男は恍惚の表情を浮べ目を閉じた。
刹那。
ドスンッ!!
大きな音を立て男は静止した。
まばらに群生している杉の木に激突した。
男は即死だったらしい。
だが浮かべた表情は恍惚としたままだった。
表情から察するに、きっと幸せだったのだろう。
乱舞した棒も今やクタリと首をもたげ動きを止めている。
そして全てが止まったのだ。
終わったのだ。
静止した世界がそこに広がる。
カナカナカナカナ。
遠くで、
鳴く、
ひぐらし。
三島文学を読む
カナカナカナ。
そう遠くで夕刻に鳴き始めるひぐらしの頃、
私は三島由紀夫四部作の始まり、
『春の雪』を宵の網戸から流れる、
心地よい風に吹かれながら読み始めた。
あらすじは、不器用ながら惹かれあう男女、清顕と聡子。
お互いの不器用さから、もどかしい日々を過ごしていたそんなある日、
聡子の下に宮家の王子、
洞院宮治典王との縁談が持ち上がる。
二人は両思いだが、その不器用さゆえ、
この縁談が引き返せない所まで進んでしまう。
そして、二人の禁断の恋の物語が、
坂道を転がるじゃが芋の如き回転で動き出す。
コロコロ、コロコロ回るじゃが芋の恋。
この恋は果たして何処へ行き着くのであろうか・・・
みたいな、恋の小説だった。
しかし、現代の恋愛小説とはまるで違う、
美しく重い文章で綴られており、
(私には難しい言葉のオンパレードだったのだが)
読後、何かこうよく分からない凄さに包まれた。
そして、三島文学の美しさを知った気がする。
やはり三島由紀夫は凄い。
ただ、清顕の高飛車ぶりはちょっと鼻に付いた。
三島由紀夫はナルシストだったらしのだが、
その辺が良く現れていたのかもしれない。
けれども、非常に惹かれてしまうので、
残り三部を是非読みたいと思う。
この作品が四部でどう結末を迎えるのか、
心躍らせながら私は最後のページを閉じた。
私は、新たな楽しみを見つけた。
それはとても幸せな事だ。
だから今日も微笑んで寝る。
おやすみんみん。
電車の二人
目を閉じると・・・
カタンコトン、カタンコトン、カタンコトン、静かなリズム。
電車に揺られて私はうつらうつらと舟をこいでいる。
頭から被ったスウェードの皮袋が、
やや息苦しくはあったが、それでも睡魔には勝てなかった。
ベージュ色をした皮袋の目に開けた穴からは、
瞼を閉じている為に二つの闇しか見と取れない。
口に開いた穴からは妙に鮮やかな赤色の唇が浮んでいる。
皮袋を被った私は眠り続けたままだ。
黄色の西武線が山を目指し走っている。
そんな状況を直立不動でつり革につかまった私が、
皮袋を被った私をぼんやりと眺めている。
カタンコトン、カタンコトン、カタンコトン。
そこには二人の私が存在していた。
皮袋を被り眠る男であり、つり革につかまりそれを眺める男。
周りには死んだ目のサラリーマンや、
携帯ゲームのボタンを忙しなく叩く学生風の男。
鬱陶しいほどに密着するアベック。
泥酔したおやじ。
様々な人々が電車には存在し、
すれ違っては向かうべき道、
帰るべき道へとちりぢりになって行く。
つり革の私は車窓に流れるマンションや団地や川や、
または学校や、つぼ八や、踏み切り待ちの人々が流れる風景を眺める。
皮袋の私はまだ起きる気配が無い。
つり革の私は、降りるべき駅へと到着した事に車内放送で気がつく。
私は上部の網棚からリュックを下ろし、
降りる準備をする。
カタン、カタ、カタ、カタ、カタカタカタ、カタン、カタン。
カタン。
プシュー。
開かれた扉から電車を出る前に横目で皮袋の私を見た。
静かに眠るその私は山へ消えて行くのだろう。
ホームで、乾いた声のアナウンスが発車を告げる。
ゆっくりとゆっくりと車窓が流れて行く。
そうして、窓越しに皮袋を見送る。
皮袋を被った私が夜を抱え遠ざかって行った。
列車は闇夜に点となって、
そして、消えた。
惹き込まれるとはこの事か
百鬼夜行シリーズ、京極夏彦の『魍魎の匣』を読んだ。
気合を入れて読んだ。
そんなこの作品のあらすじはと言えば、
上手く説明できないので下記のリンク先で参照願いたい。
この作品は、上、中、下の3巻で総ページは1000ページにも及んだ。
読み始めの時点で、気合を入れなければ読めんなこれはと思ったのだが、
どんどん話しに惹き込まれ、貪るようにページをめくって行った。
もうホント先が気になって仕様がない。
読まされている。
それはまるで傀儡の様に操られているかの様。
しかし、私はそれ程に没頭し、
先へ先へとページをめくりたい衝動に支配されていたのである。
その惹き込まれる原因は恐らく、
この作品に登場する個性的なキャラクター達にあるのだと思う。
古本屋で宮司である京極堂こと中善寺秋彦。
私立探偵であり、他人の記憶が見えてしまうと言う特殊能力を持った榎木津礼二郎。
しがない小説家で、学生時代からうつ病を患いつつも、
何だかんだと上手く生活をこなしている関口巽。
刑事で自分が志す正義の為には時に暴走をしてしまう、
不器用であり、直情型の木場修太郎。
などなど、他にも個性的なキャラクターが登場する。
このキャラクター達が作品上で起こった事件に関わり、
結末へと向かう過程が非常に読み応えがある。
以前、百鬼夜行シリーズ第一弾の『姑獲鳥の夏』を読み、
京極夏彦作品を今後も読もうと思ったが、
この『魍魎の匣』は前作よりも更に細部の世界観が広がり、
非常に面白く次のシリーズが読みたくてたまらない心境になった。
ので、さっそく次の『狂骨の夢』を買った。
だが、まだ次に控えている本達があるので、
これに手を伸ばすのはもう少し先になるだろう。
しかし、京極夏彦は凄い。
ただただ読後にそう思わされるのである。
これからもその作者の本が読めると思うと、
私の心はワクワク感でいっぱいになるのだ。
本当に面白い。
これがこの作品の素直な感想である。
ではまた。
バイチャ!
人生は回転である
むんずと前方を見据え、
力士みたいに中腰で両足を開いて立ち、
膝に両手を乗せた。
そんでもってその状態から、
尻の穴を覗くように股の下へと頭を突っ込む。
そして戻す。
1、2、3、4・・・
と掛け声出しつつその行為をくり返す。
するとやがてその股へ突っ込む勢いからか、
開いた両足が前方へと一回転する。
くるり。
着地。
「おおお!」
やはり私の回転理論は間違っていない事を知り、
私は更に勢い良く股へと頭を突っ込む。
くるり、くるり、くるり。
面白い様に私の体は回転し、
調子に乗ってそれを幾度も幾度もくり返す。
思うに正面から見れば、
高回転する私の体は、アルファベッドの『H』に見えたのではないだろうか。
だがしかし、私は部屋に一人でしかおらず、
その『H』を確認する事は出来ない。
けれども私は『H』である事を想像し、
一人六畳間の部屋で回転し続ける。
頭→股へ突っ込む→尻の穴確認→くるり!→回転
この順番で半永久的に回る勢い。
だが、ふと私はこの行為に退屈を感じた。
こんなにも回転してる私がこんな手狭な部屋で、
回っていてはもったいない!
そういう思いに、私こと物体『H』は気づいてしまったのである。
そうして『H』は更に回転を増し、
くるくるからぐるぐるへと変化して行ったのだ。
しかし、『H』はいっこうに前方へとは進まない。
その場をぐるぐると回っているだけだ。
『H』は回転の為か霞んで行く意識の中で、
刹那こう思ったのである。
『放屁』
「そう、前に進む力を放屁で得るのだ!」
『H』は素早くその考えに反応し、
「ブババババ!」そう音を放ち、
ほの暗い尻の穴から、
屁と言う推進力が外界へと飛び出したのである。
『H』は放屁の勢いでふわりと右斜め上方へと浮んだ。
放屁を射出するタイミングが早かった様である。
だから『H』は幾度も試し放屁を放ち、
前方へ進むタイミングを図った。
「ブバ!」そうほの暗い穴の闇から放たれた屁は、
回転する『H』を1m程前進させた。
そして、『H』は力強くこう思った。
「時は満ちたのだっ!!」
そうして、重い観音開きの鉄扉を開け回転する『H』は、
まだ見ぬ世界へと旅立ったのである。
広い広い世界、いや宇宙までもを目指して・・・
と記述された手記が平成21年7月5日、
我が家の敷地内にひっそりと佇む蔵から発見された。
私こと物体『H』は私(ソソマスク)の祖父であり、
この手記を書いたのが祖父であると私は父から知らされた。
私はくるくるぐるぐると『H』で回る祖父を想像し微笑んだ。
似ているのだ。
私と。
受け継がれた暖かな遺伝子を感じた。
父は回らぬが私は回る。
隔世遺伝。
祖父が回って眺めた世界そして宇宙を想い、
私もまたパタパタと音を上げ回転したのである。
ただ祖父と私は違う。
祖父はタイヤの様な縦回転。
私はプロペラの様な横回転。
違う回転が今、時を越え交わり、
新たな進化を遂げるであろう事を私は感じた。
そうして、私は竹とんぼの様に空へと舞い上がった。
梅雨の切れ間に浮ぶ青い空へ。
「ブババババ!」
どこからか放屁の音が聞こえる。
それはきっと祖父の音。
私の音に似ている音。
二人のおじさん
金玉男(ぎゃんたまお)である私が、
最近、読み終わった本といえば、
J・ウェブスター著の『あしながおじさん』である。
あしながおじさんならぬ、
たまながおじさんである私と、
どこか共通点がありそうである。(いや恐らく共通点などない)
では、あらすじ。(うらすじ)
孤児院で育った16歳の最年長ジュディは、
毎月第一水曜日はいつも大忙しなのである。
何故ならばそれは、孤児院を運営している、
評議員や視察委員がやって来るからだ。
小さな子供達の世話をしたり、
来院の客人にサンドウィッチを出したり、
ジュディにとっては悩みの多い日なのである。
そんな多忙な日をやっと終えようとしたその時、
リペット院長に事務所へと呼び出される。
院長曰く、今日来た評議委員の一人に、
ジュディの才能を見込み、
月一回の学生生活を報告する手紙を書く事を条件に、
大学に入れてくれる人が現れたのだ。
孤児院に嫌気が差していたジュディは、
この好意を素直に受け入れる。
だが、この評議委員は正体を明かさない事も条件にした。
ジュディは事務所に向かう直前に、
孤児院を最後に出て行く評議委員の長い影を見る。
なんとその影の人物が資金援助をしてくれる人だと言う事を、
リペット委員長の言葉から知る。
そうして、ジュディはその長い影の人物を、
『あしながおじさん』と呼ぶ事を決め、
手紙を送る大学生活が始まった。
ジュディのこれからの人生は?
あしながおじさんとは誰なのか?
そんな希望と疑問を抱えこの話は始まる。
みたいな、洋物小説だった。
普段はあまり私は洋物を読まないのだが、
友人が読んでみてチョンマゲと貸してくれたので、
読んでみたのである。
感想は、手紙の条件として、
あしながおじさんは手紙にいっさい返事を書かない。
と言う所で、返事がない事にジュディと同じ様に苛立ちや寂しさを感じ、
たまには書いてやれよ~と思った。
やはり一方通行は辛いものであるな。
などと思いながら読んだ。
それでも悪態を手紙につづりながらも、
ジュディが書き続ける姿勢に素直にエールを送りたくなる。
そして、彼女がどんな結末を迎えるのか気になる。
また、洋物初心者の私ではあるが、
翻訳本って言うのは硬い表現が多いなと思った。
主観で訳をする人が日本語に直してしまったならば、
それは原作とは離れた印象を与えてしまうからだろうか。
かつて、私はある本好きの先輩と話をした時、
洋書の翻訳本の話になった。
そんな時、その人はこんな事を言った。
「てか俺等は英語力が無いから、原文で読めないじゃん。
読めるのは翻訳本。
だから、読んでるのは翻訳本であって原作じゃないだろ?
しょせん読んでんのは翻訳本なんだよ」
と言われたときは『なるほどな~』と思った。
確かに外国人作者のかもし出す雰囲気は、
本当の文化や言語を良く理解しなければ、
その作品を読んだ事にはならないのだろうなと思った。
自国の作家の本すら理解出来ないのに、
英語もよく分からない、狭い視野の自分がちゃんと理解できるはずはないのだろう。
だから外国人作家の本はこれからも読む事はあるだろうが、
その本が何を伝えているのかを本当に知りたいならば、
原作の書かれている言語内容を理解し、その文化を理解しなければならないのだと思う。
そんな日が私には訪れるのだろうか?
などと疑問符が頭上に浮ぶが、
人生何が起こるか分からない。
もしかすると、そんな日が訪れるかも知れないと夢想して、
ほくそ笑みながら今晩は終わりたいと思う。
さいなら。
光る玉の伝説
突如、ギャン玉が光りだした。
強い光線を放ち光りだしたのだ。
私は思う。
これは神の啓示やも知れぬと、
まばゆく光るギャン玉を眺めつそう思うた。
神の啓示。
ニコラス・ケイジ。
に、
凝らす、
刑事。
何に、
凝らす、
刑事?
玉に、
凝らす、
刑事?
いや、
二個、
ラス(ラスト)、
啓示?
まばゆく光る玉はそう言いたかったのかも知れぬと、
両手でそっと光の玉を覆った私はそう思ったのである。
アンゴラ兎を撫でるかの如く、
そっとそぉ~っと優しく包むのである。
幸福感にッ包まれる私。
それをギョッ!っとした目で眺める民衆。
そこには計り知れない溝が存在しているのだと痛感し、
光る玉を覆った片手を離し、
横に置いてあった拡声器を力強く口元へと運んだ。
「そして、伝説へ!」
そう高らかに宣言した私は、
間もなく紺色の制服の人間達に引きずられる格好で、
その場を去った。
玉は更に強い光を放ち出しているのが分かる。
私には分かるのだ。
ただただ分かるのだ。
それが光る玉の伝・・・
変異したバッタ達
「寝ても覚めてもギャン玉日和」
とか何とか、昔の偉人が言ったとか言わなかったとか。
そんな素敵なギャン玉日和に、
ペラペラとページをめくる音が、
手狭な四畳半の部屋に微かに聞こえている。
こうこうと天井から裸電球が、
開いたページを照らしている。
そんな本のタイトルはと言えば『グラスホッパー』
訳せばバッタ(イナゴ、キリギリスなど)である。
今回、伊坂幸太郎が見せるバッタの世界とはどんなものなのだろうか。
私は胸を高鳴らせ本にダイブした。
そう、『ダイブ』したのである。
ではあらすじ。
妻を交通事故で失った鈴木は、
後に寺原と言う男の息子に、
遊び半分で妻がひき殺された事を知る。
調べれば、寺原とは裏で非合法な仕事を行っている、
『フロイライン』の社長であり、政界にも精通し、
息子の度重なる不祥事を力でねじ伏せてきた。
そんな真実を知り、鈴木は復讐を決意し、
この会社に契約社員として潜入する。
だが、寺原の息子と出会う直前に鈴木の目の前で、
車にひかれてしまう。
鈴木は寺原の息子が、信号待ちの歩道から押された様に見えた。
どうやら裏の社会には『押し屋』という人間が居るらしい事をそこで知る。
そうして、その押し屋を追うべく鈴木は指示される。
復讐の対象を失った今、
鈴木は訳も分からず押し屋を追うのだが・・・
一方、自殺を専門とする殺し屋『鯨』、
ナイフ使いの殺し屋『蝉』、
もまたこの同時期に押し屋を探し始めていた。
鈴木、フロイライン、鯨、蝉。
果たして誰が押し屋を捕らえ、
彼等(バッタ達)は何処へ向かうのだろうか・・・
みたいな、一般市民の鈴木と裏社会の殺し屋達を描いた小説だった。
この小説は、『鈴木』『押し屋』『鯨』『蝉』と言った独特の登場人物が、
上手く交錯して行く様が非常に見事だったと思う。
私が今まで読んだ伊坂作品でもこう言った、
登場人物の交錯が見事だなと思ったが、
この作品が今まで読んだ中では、
一番巧みに描かれているではないのかと思った。
(そういつも言っている様な気がしないでもないが)
もう最後がどういう結末を迎えるのか、
気になって気になって、
読む事を止められない状況に陥った。
お陰様で、読むのが遅い私ではあるけれども、
何とか二日で読み終えてしまった程である。
そして、読み終えて感じたのは、
良くも悪くもこの読み易さが、
一部の読者に受け入れられないのだろうと、
伊坂作品を何作か読んだ私は今回も思った。
しかし、個人的には発想は凄いな(これまた毎作品思うが)と関心させられる。
色々な能力を待つ人々が、
己の人生に翻弄される様が、
共感できたり、嫌悪感を覚えたりと、
読んでいる者の心を揺さぶるのだと思う。
やはり私は伊坂作品が好きなのだと、
この作品を読み、改めて感じた。
特に最後のシーンが良い。
あのシーンが私の心をとても暖かくしたのだ。
口角が微かに上がるのが分かる。
グラスホッパーがそうさせたのだ。
私はそう感じながら本の最後のページを閉じたのである。
微笑みながら。
反省
昨夜未明、
泥酔し眠っていた34歳の男性が、
椅子から転げ落ち、
受身を取れないまま額を強打、
4、5針程を縫う怪我をした。
また男性の話によると、
その時の状況は全く憶えていないとの事である。
34歳男性。
それは私の事である。
痛い・・・
強打した顔面が鈍痛を伴い、
腫れ上がっている。
何て私はアホなのだろうか・・・・
そして、その時一緒に居た友人に、
非常に迷惑をかけてしまった事を、
本当に申し訳ないと思う。
すみませんでした。
今後、自分は飲み方を考えなければいけないと、
今更ながら思った。
怪我をしてやっと気づくとは、
愚か者以外の何者でもない。
今日は反省の一日。
申し訳ない。
(以下、傷の画像を載せます。ややグロい。)
僕と女は夢電車で出会う
アナル和尚を尋ねて3000里程歩いて来たわけだが、
今だ和尚には出会う事が出来ず旅を続けている。
アナル和尚とトラベルの春。
朝、僕は目を覚ました。
悲しく微笑む女の人を思った。
あれは誰だろうか?
ぐるぐる回る山手線。
大量のブツを運んでは吐き出す物体。
終わりの無い回転。
永遠の食と嘔吐。
馬鹿騒ぎする若者。
新聞を広げるおやじ。
化粧をする女。
忙しなく携帯をいじる人々。
人目もはばからず愛し合う(かの様な)男と女。
僕の頭は混乱している様であるらしい。
虚構と現実の区別が付かないのは困るのだが、
ブルブルと頭を振るのだが、
景色は以前変わらない。
乗り換えるシルバーにオレンジのラインの電車。
血だらけで座るおやじ。
楽しげに歌う素敵な老紳士。
歌はフランク・シナトラ調だと感じる。
微笑む乗客達。
僕は携帯をいじる。
メールを打っているのではない。
思いついた文章を打っているのだ。
尻とパンツの間に割り箸を挟んで、
何本もへし折りつつ文章を打っている。
尻を、ギュ!!として折る。
ハッとしてグーならぬ。
ギュとしてボキッである。
トシちゃんもびっくりする程に、
尻の筋肉をギリギリと締め上げる。
そして、こう呟くのだ。
「ギャン玉をみくびるな、あの雨が止むまでは」
これはかの有名なダスコ・ヨークが述べた名言である。
それを呟く事で現実を取り戻すのだ。
虚構の列車から僕を引きずり下ろすのだ。
偉大な人物である。(そんな人物はいない)
こうして、オレンジラインの列車は僕を吐き出し、
車体をキーキーと鳴らし下り方面へ走り去った。
看板には『上福岡駅』と記されてある。
埼玉にある駅。
僕はまたあの女の人の事を思った。
悲しい微笑の彼女。
その映像が脳裏に浮ぶと同時に僕は走り出し、
反対側のホームへ停車している電車へと飛び乗った。
電光掲示板の表示は『終電』を記している。
だけれどもそんな事は関係ないと思った。
行かなければならないのだとそう思った。
そうして、上りの夢電車は走り出した。
帰って来れる保障はない。
そう思いながら車窓に流れる家々の光を出入り口の窓から眺めた。
まばらに灯った深夜の光達が左に流れる。
何だか蛍みたいだ。
僕はそれを車窓からいつまでも眺め続けた。
不規則な光は流れて行くばかりである。
