二人のおじさん
金玉男(ぎゃんたまお)である私が、
最近、読み終わった本といえば、
J・ウェブスター著の『あしながおじさん』である。
あしながおじさんならぬ、
たまながおじさんである私と、
どこか共通点がありそうである。(いや恐らく共通点などない)
では、あらすじ。(うらすじ)
孤児院で育った16歳の最年長ジュディは、
毎月第一水曜日はいつも大忙しなのである。
何故ならばそれは、孤児院を運営している、
評議員や視察委員がやって来るからだ。
小さな子供達の世話をしたり、
来院の客人にサンドウィッチを出したり、
ジュディにとっては悩みの多い日なのである。
そんな多忙な日をやっと終えようとしたその時、
リペット院長に事務所へと呼び出される。
院長曰く、今日来た評議委員の一人に、
ジュディの才能を見込み、
月一回の学生生活を報告する手紙を書く事を条件に、
大学に入れてくれる人が現れたのだ。
孤児院に嫌気が差していたジュディは、
この好意を素直に受け入れる。
だが、この評議委員は正体を明かさない事も条件にした。
ジュディは事務所に向かう直前に、
孤児院を最後に出て行く評議委員の長い影を見る。
なんとその影の人物が資金援助をしてくれる人だと言う事を、
リペット委員長の言葉から知る。
そうして、ジュディはその長い影の人物を、
『あしながおじさん』と呼ぶ事を決め、
手紙を送る大学生活が始まった。
ジュディのこれからの人生は?
あしながおじさんとは誰なのか?
そんな希望と疑問を抱えこの話は始まる。
みたいな、洋物小説だった。
普段はあまり私は洋物を読まないのだが、
友人が読んでみてチョンマゲと貸してくれたので、
読んでみたのである。
感想は、手紙の条件として、
あしながおじさんは手紙にいっさい返事を書かない。
と言う所で、返事がない事にジュディと同じ様に苛立ちや寂しさを感じ、
たまには書いてやれよ~と思った。
やはり一方通行は辛いものであるな。
などと思いながら読んだ。
それでも悪態を手紙につづりながらも、
ジュディが書き続ける姿勢に素直にエールを送りたくなる。
そして、彼女がどんな結末を迎えるのか気になる。
また、洋物初心者の私ではあるが、
翻訳本って言うのは硬い表現が多いなと思った。
主観で訳をする人が日本語に直してしまったならば、
それは原作とは離れた印象を与えてしまうからだろうか。
かつて、私はある本好きの先輩と話をした時、
洋書の翻訳本の話になった。
そんな時、その人はこんな事を言った。
「てか俺等は英語力が無いから、原文で読めないじゃん。
読めるのは翻訳本。
だから、読んでるのは翻訳本であって原作じゃないだろ?
しょせん読んでんのは翻訳本なんだよ」
と言われたときは『なるほどな~』と思った。
確かに外国人作者のかもし出す雰囲気は、
本当の文化や言語を良く理解しなければ、
その作品を読んだ事にはならないのだろうなと思った。
自国の作家の本すら理解出来ないのに、
英語もよく分からない、狭い視野の自分がちゃんと理解できるはずはないのだろう。
だから外国人作家の本はこれからも読む事はあるだろうが、
その本が何を伝えているのかを本当に知りたいならば、
原作の書かれている言語内容を理解し、その文化を理解しなければならないのだと思う。
そんな日が私には訪れるのだろうか?
などと疑問符が頭上に浮ぶが、
人生何が起こるか分からない。
もしかすると、そんな日が訪れるかも知れないと夢想して、
ほくそ笑みながら今晩は終わりたいと思う。
さいなら。