パパ・パパゲーノ -69ページ目

寿司の数え方

 このひと月のあいだに、たまたまですが、お寿司屋さんで3度昼食を食べました。値段が表示されているお店にしかいきませんから、びっくりするほどの勘定にはなりようがありません。ランチ・セットと銘打たれた何個かの組み合わせを食べて、もっと食べたい時には追加注文する、という方式です。


 今日もお昼に寄った初めての店で、メニューの写真を見て、セットを注文したのですが、出てきたお寿司の、酢メシの量が多いのに閉口しました。ネタも大ぶりで、若い男なら喜びそうなものです。食べてマズいわけではないので、全部平らげましたが、同行者の分を半分ほども引き受けることになって、久しぶりにおなかが一杯一杯になった。


 寿司は江戸時代に屋台店から始まったファースト・フードだそうです。のれんを手ふきに使ったので、よごれたのれんをかけた屋台が流行ったのだとか。その当時は、ごはんも多く、ネタも大きかったようです。ひと口で口に入れるには大きすぎたので、握ってから包丁で半分にした、と教えてくれた人がありました。


 寿司の数え方を「1カン2カン」と言いますが、私はずっと、1カンというのは、2つでひと組のことだと思ってきました。表示される値段も2個のそれだと。上の話はそれを裏づけてくれます。しかし、今では「一貫二貫」のように、「貫」という文字を使う店が多くなりました。ワンペアの場合は「2貫」と数える。混乱しているのを反映したものでしょうが、通りがかりに目にした2軒のお寿司屋さんの前の表示板では、「1個70円から」のように、「1コ・2個」のようになっていました。


 ごはんとネタのバランスがよく、もう少し食べたいなと思う手前で終って、しかもお手ごろな値段のお寿司はじつに好ましいものです。前に行った二つのお店はそういうところでした。


 1カン2カンのカンに当たる漢字に決まった表記はないのだそうです。漢和辞典の編集担当者がさんざん調べたけれど分からなかったと言ってました。


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ブレイクとイェイツの詩

 うろ覚えの文句をさがすのにインターネットほど便利なものはありません。前に書いたようにウィリアム・ブレイク の「タイガー」という詩を、高校生のとき教科書で習いました。調べたら、記憶がよみがえってきました。その教科書には、挿絵画家としてのブレイクのことも載っていたように思います。「ニュートン」という銅版画(?)が掲載されていたと覚えています。「タイガー」の第1連はこうなっていました。
 
 Tyger! Tyger! burning bright
 In the forests of the night,
 What immortal hand or eye
 Could frame thy fearful symmetry?
 
 おそらく、こんな意味でしょう。
 
 虎! 虎! 赤々と燃える
 夜の,いくつもの森で,
 どんな不滅の手でも目でも
 汝のおそるべきシンメトリーをかたどることはできまい
 
 綴りが現代とちょっと違いますが、それは忘れて、声に出して読んでみると、格調の高い調べにしびれます。bright と night,eye と symmetry がそれぞれ韻を踏んでいます。「シンメトリー」はこの場合は「シンメトライ」と「アイ」と同じに読むということを、アリエ先生は教えてくださいました。無理にそう読まなくとも「シンメトリー」でかまわないようです。
 
 後年、自分で英語の教科書の編集にたずさわったときに、どうしても英詩をひとつは入れたいと思ったのですが、本文には「難しすぎる」という理由で入れることがかなわず、泣く泣く見返しに印刷したのが、「イニスフリー湖の島」というイェイツの詩でした。
 
 The Lake Isle of Innisfree W. B. Yeats
 
  I will arise and go now, and go to Innisfree,
 And a small cabin build there, of clay and wattles made;
 Nine bean rows will I have there, a hive for the honeybee,
 And live alone in the bee-loud glade.
 
 須賀敦子著『遠い朝の本たち』(ちくま文庫)の中に、須賀さんの訳が出ているので、それを借ります。
 
 さあ、立ちあがって行こう、イニスフリーに行こう、
 ちいさな小屋をあの島に建てよう、粘土と小枝を使って。
 豆は九列でいい、それから蜜をとるのに、ハチの巣箱と、
 ミツバチが騒ぐ谷間で、ひとり暮らそう。

 
 最後の glade という語は、「林間のあき地」を意味する文語だそうです。


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ひとり遊び

 ひとり遊びといえば、ウィンドウズの付属についてくるソリティア、それの発展形スパイダ・ソリティアを思い出すかしら。画面でトランプを並べる遊びですが、もともとトランプにあった「ソリテア」(イギリスでは「ペイシェンス」)というひとり遊びを取り入れたものですね。コンピュータ画面で遊べるゲームは、おおむねひとり遊びです。もちろん、囲碁・将棋のように、ランダムに相手を選んで遊ぶゲームも数多くあります。


 子どもは、好きな遊びなら、ひとりで何時間でもやっています。養老孟司先生の書いたものに、子どものころ、お医者さんである母上が往診に出かけるときに、家の前で道端の虫を眺めていて、そのまま、往診から帰宅してもまだ同じところを見つめていたので、「この子は知恵遅れではないか」と思われた、というのがありました。虫を見ているのが今でも無上の喜びであるという養老先生らしいエピソードです。


 ひとりで何時間でも過ごせるタイプと、だれかがそばにいないと落ち着かなくなるタイプとがいるようです。年をとってくるとその差が痛切なことになってくることがあります。だれかにそばにいてもらいたいタイプは、どちらかと言えば男に多い。女の人は夫に先立たれても、たいていシャキっとしてますしね。


 奥さんと二人きりで毎日を過ごすことになった旦那さんが、奥さんの出かける先にいつでも着いていくようになるのを、「濡れ落ち葉」と呼ぶのではなかったでしょうか。わが世代もそういう時期にさしかかってきました。「心すべきことにこそ」と念じているところです。私は(たぶん)ひとりで遊ぶことが好きなほうだと思っています。


チューリップ黄        チューリップ赤       チューリップ紫       チューリップピンク        チューリップオレンジ



受胎告知

 「受胎告知」というテーマのキリスト教絵画はものすごくたくさんありますね。最も有名なのはフラ・アンジェリコのそれ。フィレンツェのサン・マルコ美術館(もと修道院)の階段を上がったすぐの2階にかかっていました。
 
 最近日本でも展覧会があったと思いますが、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」は、同じくフィレンツェのウッフィーチ美術館にあります。
 
 新約聖書のルカ伝1:26以下の物語にもとづいているのだそうです。羽根の生えた大天使ガブリエルが、マリア(このときはまだヨゼフの許婚なのですね)のもとに神様からつかわされて、「おめでとう、あなたは神の子を身ごもったのです」と言う。言われたほうはそれはびっくりします。「なぜでしょう、わたしはまだ男を知らないのに」と書いてありました。敬虔なマリアはわりとすぐに事態を受け入れます。
 
 画家たちの描くこのシーンからは、だれの絵の場合も、静謐な緊張とでも言うべき空気がただよいます。ユリの花が添えられることが多い。純潔や無垢を象徴するのだそうです。
 
 絵の主題としての「受胎告知」はこれを指しますが、このことばを文字通りに、すなわち、「妊娠のお知らせ」という意味で使って、「わたし赤ちゃんができたみたい」と告白する場面の出てくる日本の小説を、まことに上手にからかってみせた、というより、文学批評の新機軸をうちたてた、と言ってもいいのが、斎藤美奈子著『妊娠小説』(ちくま文庫)です。抱腹絶倒の一篇です。

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藤原咲子

 1949 年に刊行されて大ベストセラーになった藤原てい著『流れる星は生きている』は今も中公文庫の中に入っていて、引き続き読者を獲得しているようです。


 満洲の新京(現・長春)の気象台に勤務していた夫(後の作家・新田次郎)との間に3人の子どもがいた26歳の妻が、1945 年8月9日、新京を逃げ出さなければいけなくなります。敗戦が決定的になって、関東軍も撤退を始めたからです。後始末の仕事が残る夫とは別行動をとらざるをえなくなって、うら若い母親が一人で3人の子を連れて、まず朝鮮の都市(宣川)まで逃げます。そこでほぼ1年を過ごし、1946 年9月12日博多港にたどりつくまでの、壮絶としか言いようのない逃避行を描いたものです。


 6歳の長男、3歳の次男は歩いてついてきますが、1歳の長女は母のリュックサックのなかです。それが、藤原咲子さんです。『父への恋文』『母への詫び状』(いずれも山と溪谷社刊)の2つの作品は、作家の両親をもって感受性豊かに育った娘が、愛憎をないまぜにしながら生きてきた軌跡を静かに反芻した佳作です。


 『流れる星は生きている』のなかに、お兄ちゃんたちが赤ちゃんのために食べ物を我慢するシーンが出てきますが、それが一種のトラウマになって、「私なんか生きてはいけない」と思い込んだりします。『流れる星は生きている』をまだ読んでいない方は、ぜひお読みになってみてください。


 この中で、しばしば危機におちいる(肺炎にかかったり、川で溺れて助けられたりする)次男が、今や知らぬ人とていないであろう、あの藤原正彦先生です。この人の数多い作品の中では、『若き数学者のアメリカ』(新潮文庫)が一番よくできていると思います。


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